映画界での親交
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 05:56 UTC 版)
特に川谷拓三とは助監督時代から親交が厚く、川谷が俳優として人気が出だした頃に牧口も監督昇進したが、超低予算のデビュー作『玉割り人ゆき』に、川谷は牧口のためにノーギャラで出演をしたというエピソードがある。また、そのくだりは、『知ってるつもり?!』(1997年12月14日放送)で54歳で他界した川谷拓三の生涯が紹介された時に牧口本人がテレビのインタビューで語っている[出典無効]。助監督時代は、鈴木則文、中島貞夫と一緒に、山下耕作監督の1963年のリメイク版、萬屋錦之介主演『関の弥太っぺ』で将軍と呼ばれた山下耕作監督を盛り立てたという。 佐藤蛾次郎の起用も多く、『暴れん坊将軍』でゲスト出演した蛾次郎のシーンに凝り過ぎて、主役である松平健を待たせて「主役は誰なんだ」と怒らせてしまったり、『柳生一族の陰謀』の九州ロケでは、蛾次郎の出番に力を入れて、山村聡をほったらかしにし、現場で進行主任とやり合うこともあったと映画監督の後輩である土橋亨が語っている。
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