映画界にデビューするまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 08:13 UTC 版)
「フランク・ボーゼイギ」の記事における「映画界にデビューするまで」の解説
フランク・ボーゼイギはスイス、イタリア、そしてオーストリアの家系であり、ユタ州ソルトレイクシティ生まれ、イタリア語を話す石工の父親と、ドイツ語を話す母親の間に8人兄弟の4番目として生まれた。彼は西部の子供であったが、父親の労働を手伝うため13歳になる頃には金鉱で働いていた。だが、少年時代にはすでに旅役者の劇団に入り、役者を始めていた。彼が映画界に入ったのは1910年代で、ウォーレス・リード主演のアラン・ドワン制作の西部劇のエキストラとして働いていた。しかし、1913年、20歳の時にプロデューサーで監督であったトマス・インスの元で働くようになる。彼は助演から、軽い主演を務めるようになり、悪人としても助演することもあった。しかし、1914年『The Wrath of the Gods』で青木鶴子と共演し、一躍スターダムにのし上がる。この時代に映画出演は110本を越えた。 彼は、インスのために数本の映画に出演後、『The Pitch O'Chance』で俳優と監督を兼任した。この時代は、ジョン・フォードが兄のフランシス・フォード(後に俳優に転ずる)よりその才能を認められ監督業を始め、ヘンリー・キングが監督の椅子に座り、キング・ヴィダーはすでにフィルムメーカーとして認められるなど、後の巨匠たちが支配する時代となる。
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