公布前の英法派の主張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 21:34 UTC 版)
ウィキソースに穂積陳重『法典論』の原文があります。 1889年(明治22年)6月、増島六一郎(英吉利法律学校創立者)の「法学士会ノ意見ヲ論ズ」は法律学の普及発展、人材育成こそ急務と主張。彼はその後実業界で商法延期論多数派工作に活躍したが、民法に対しては存在感希薄であった。 一方、鳩山和夫(明治17~21年外務省勤務、翌23年7月東京専門学校校長)は意見書に反対し、少しずつ単行法を出すより一度に法典を編纂すべきで、草案に賛成すべきかは別問題と主張している(法学協会雑誌63号)。結論的には延期派。 7月の岡野敬次郎「英法ノタメニ妄ヲ弁ズ」も、法学士会意見書は法典編纂そのものへの批判ではなく、あくまで施行の時期尚早論と強調。 イギリス法派の主張が、イギリス法に在るから法典を主にしない慣習法論・判例主義であるといふわけでもないのですね。 — 平野義太郎 延期派は元来がフランス法派の法典を嫌ふのですから、法典を編纂する事に就ては少しも反対ではない。結局フランス法の臭ひのある法典が嫌ひなのです。 — 仁井田益太郎 民商法につき純粋な非法典論を主張したものとしては、花井卓蔵「新法典ニ対スル余ノ意見」があり、「私権」は「人民相互の間に止まり」、「国家の権力」で干渉すべきでないとする。 7月、山田喜之助は「立法ノ基礎ヲ論ズ」を発表。西洋諸国の多様性を指摘し、歴史法学派の立場から、立法の基礎は外国法の模倣ではなく、当該国の人情慣習に依るべきと主張。 江木衷(英吉利法律学校創立者)は、10月から12月にかけて『法理精華』に「民法草案財産編批評」を発表、古風な定義が多いこと、物権と人権(債権)の区別の不明瞭を批判。財産法案中の「無形人」を改めて「法人」とすべきというように内容的には説得的なものを含む反面、その挑発的文体は論争混迷の一因となった。 草案第6条には、物に有体なるあり無体なるありと云ひ、無体物中には物権は勿論、人権其の他有体物を包含すと謂ふことなれど、財産権を分って人権物権の二種と為しながら…其の言の葉の未だ乾かぬに、夫れは嘘ぢゃ、物権も人権も区別はないと云ひたるは、我輩に「スカ」若くは「ポカン」を食わせたるものか、冗談にも程がある…狐狸に化かされて蛞蝓を赤飯と味ひ、馬糞を団子と心得へたるの趣あり。…然りと雖も…少年の法学生徒をして、法律上所謂物なる語の意義を…通俗の意義と混同すべからずと…教へ示すが為めと推察し奉るなり。 — 江木衷 旧民法財産編1条 1.財産は各人又は公私の法人の資産を組成する権利なり 2.此権利に二種あり物権及び人権是なり 財6条 1.物に有体なる有り無体なる有り 3.無体物とは智能のみを以て理会するものを謂ふ即ち左の如し1.物権及び人権 ナメクジ・馬糞呼ばわりに憤慨した磯部の反論「法理精華ヲ読ム」は、最新草案では「法人」を採用しており情報が古いという指摘のほかは江木を嘲笑するもの、これに憤慨した鳥居鍗次郎「法律ノ学士磯部ノ四郎大先生ノ五議論ヲ評ス」は、磯部への罵倒に終始したもの。 四郎先生が時の古今を問はず国の東西を分たず、民事に関する法理を以て唯一なりと公言…に至りては驚かざるを得ざるなり。…法理は恰(あたか)も石ころの如くにして…変遷もなければ沿革もなかるべし。四郎先生が民法編纂の報告委員として報告せられたる法案は定めて「エスキモー」の法律なりしならん。…元より四郎先生は近世の学者にあらざること明白なれども、先生は凡そ紀元前何世紀時代何国の法学者に候哉。 — 鳥居鍗次郎 両者の遺恨は残り、翌年4月の財産法公布の際には「江木が早く死んで仕舞へば宜しいとは有名なる某法律学士が長大息の嘆息なり」と江木がコメントする有様であった。 1890年(明治23年)3月、穂積陳重(英吉利法律学校創立者)は『法典論』を刊行、ヨーロッパ各国の法典編纂の歴史・方法を網羅し、法典の拙速主義を批判、断行論者をして反省させるに足るものがあったといわれ、後に明治民法制定の理論的基盤となった。宮崎道三郎(日本法律学校創立者)、伊藤悌治も富井政章らとともに情報提供の形で執筆に協力している。 そのほか、攻法社の『法叢』も延期論に与した。
※この「公布前の英法派の主張」の解説は、「民法典論争」の解説の一部です。
「公布前の英法派の主張」を含む「民法典論争」の記事については、「民法典論争」の概要を参照ください。
- 公布前の英法派の主張のページへのリンク