ボビー・オロゴン
芸名 | ボビー・オロゴン |
芸名フリガナ | ぼびー おろごん |
性別 | 男性 |
生年月日 | 1973/4/8 |
星座 | おひつじ座 |
干支 | 丑年 |
出身地 | ナイジェリア |
身長 | 182 cm |
URL | http://aremco-bobby.com/profile.html |
ブログURL | http://blog.excite.co.jp/bobbyblog/ |
デビュー年 | 2001 |
靴のサイズ | 30 cm |
プロフィール | TBS『さんまのSUPERからくりTV』の出演をきっかけに、芸能活動を開始。数々のバラエティー番組や、ドラマ・ラジオに出演し、子供から大人まで男女を問わず、絶大な支持を受ける。また、格闘家としても活動しており、2004年大晦日の「K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!」に参戦。シリル・アビディに勝利する。特技は格闘技、サッカー、柔道。ナイジェリア語、英語、日本語、フランス語、アラビア語の五カ国語を話すことができる。 |
デビュー作 | TBS『さんまのSUPERからくりTV』 |
代表作品1 | TBS『さんまのSUPERからくりTV』 |
代表作品2 | 日本テレビ『業界クイズ ミニキテ!』 |
代表作品3 | 日本テレビ『世界の果てまでイッテQ!』 |
職種 | 俳優・女優・タレント |
語学 | ナイジェリア語/英語/日本語/フランス語/アラビア語 |
好きなスポーツ | 格闘技/サッカー/柔道/乗馬 |
趣味・特技 | 乗馬/車/格闘技/柔道/サッカー/料理 |
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ナイジェリア出身のタレント | ボビー・オロゴン |
ボビー・オロゴン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/10 16:30 UTC 版)
ボビー・オロゴン(Bobby Ologun、1973年[注 1]4月8日 - )は、ナイジェリア系日本人[5]のタレント、格闘家、実業家。アレムコプロダクション所属。
注釈
出典
- ^ a b “プロフィール”. AREMCO PRODUCTION. 2020年5月18日閲覧。
- ^ a b c d e “ボビー・オロゴン「アベノミクスで別荘ゲット」”. 日刊SPA!. 扶桑社 (2013年12月28日). 2023年2月25日閲覧。
- ^ a b “実はFX通、ボビー・オロゴンは「投資で負けたことがない!」”. ザイFX! (2014年5月8日). 2014年5月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g “インタビュー:タレント・格闘家 ボビー・オロゴンさん - LIBRA Vol.13” (PDF) (2013年1月). 2023年2月25日閲覧。
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- ^ “お騒がせ男ボビー”. 菊田早苗日記 (2006年2月3日). 2014年5月10日閲覧。
- ^ “【K-1】12・31 ベルナルドが負傷欠場。ボビーの相手はアビディに変更”. 格闘技ウェブマガジンGBR (2004年12月25日). 2014年5月10日閲覧。
- ^ “【K-1】12・31 曙とボビー・オロゴンが総合ルールで激突!”. 格闘技ウェブマガジンGBR (2005年11月8日). 2014年5月10日閲覧。
- ^ “【K-1】12・31 大晦日男ボビーの相手は何とチェ・ホンマン”. 格闘技ウェブマガジンGBR (2006年12月19日). 2014年5月10日閲覧。
- ^ “【K-1】12・31 ボビー・オロゴンとボブ・サップの異次元対決が実現!”. 格闘技ウェブマガジンGBR (2007年12月13日). 2014年5月10日閲覧。
- ^ “【シュートボクシング】8・19ボビー・オロゴンが女子格闘技をプロデュース「客寄せパンダとして頑張ります」”. 格闘技ウェブマガジンGBR (2011年6月14日). 2014年5月10日閲覧。
- ^ “【GRABAKA】10・15ボビー・オロゴンが金網でミノワマンと対戦!”. 格闘技ウェブマガジンGBR (2011年9月26日). 2014年5月10日閲覧。
- ^ ““バラエティタレント”ボビー・オロゴンが日本ボクシングコミッションから厳罰受ける!?”. リアルライブ. (2011年10月18日) 2014年5月10日閲覧。
- ^ “【グラバカ】10・11ボビー・オロゴンが格闘技復帰の弟のセコンドに”. 格闘技ウェブマガジンGBR (2012年10月11日). 2014年5月10日閲覧。
- ^ “【RIZIN】ボビーの対戦相手はボディビルダーで元新日本プロレスの北村克哉「俺の筋肉が本物なのか、お前の筋肉が本物なのか、シロキロはっきりさせよう」(ボビー)安田大サーカス団長との空気読めないコントに榊原CEOが「裏でやれ」と一喝”. ゴング格闘技 - GONKAKU (2021年10月29日). 2023年9月19日閲覧。
- ^ “【RIZIN】RENAが山本美憂にヒザ蹴りTKO勝ち! 皇治が祖根からダウン奪う判定勝利でシバターに直接対決を要求、砂辺vs.前田は熱闘に、オロゴンが北村に一本勝ち、ベイノアが大逆転TKO勝利! 大原は渡慶次を衝撃KO、越智が判定勝ち、地元にっせーが指笛応援の中、接戦制す!”. ゴング格闘技 - GONKAKU (2021年11月20日). 2023年9月19日閲覧。
- ^ “ボビー・オロゴン「戦いたくない」14年ぶりMMA参戦は「みそぎのため」 - リングにかける - 相撲・格闘技コラム”. 日刊スポーツ (2021年12月1日). 2023年9月19日閲覧。
- ^ “芸能界最強の投資家ボビー・オロゴンが伝授!「世界4分割投資法」”. PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) (2016年6月2日). 2023年2月18日閲覧。
- ^ “芸能界最強の投資家ボビー・オロゴンが伝授!「世界4分割投資法」 (2ページ目)”. PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) (2016年6月2日). 2023年2月18日閲覧。
- ^ “ボブ・サップも参戦!武井壮プロデュースのアスリート頂上決戦『5種競技HAOOO5!』AbemaTVで10・22放送”. TVLIFE web (2017年10月3日). 2017年11月26日閲覧。
- ^ 映画 南の島のフリムン - allcinema 2023年2月25日閲覧。
- ^ Bobī dato omoimasu. Bobby Ologun. Tōkyō: Wani Bukkusu. (2005). ISBN 4-8470-1607-6. OCLC 675159443
- ^ Moshimo 8sai no kodomo ga daitōryō ni erabaretara. Makoto Kanō, Bobby Ologun, 真士 加納. Tōkyō: Popurasha. (2010). ISBN 978-4-591-11745-3. OCLC 703505929
- ^ Bobby, 1973-, Ologun (2016). 1週間の食費が300円だった僕が200坪の別荘を買えた本当の理由. 東京: サンマーク出版
- ^ ボビー・オロゴン [出演 (2007). 美しい国、ニッポン。 ボビー・オロゴンの日本文化講座. 東京: トランスフォーマー
- 1 ボビー・オロゴンとは
- 2 ボビー・オロゴンの概要
- 3 格闘家としての活動
- 4 戦績
- 5 投資家としての活動
- 6 脚注
ボビー・オロゴン(個人戦第1~4弾、ペア戦第1弾出場 海筋肉王MC・タレント・格闘家)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 13:09 UTC 版)
「海筋肉王 〜バイキング〜」の記事における「ボビー・オロゴン(個人戦第1~4弾、ペア戦第1弾出場 海筋肉王MC・タレント・格闘家)」の解説
番組MCとして参戦。個人戦第1弾は1stキャノンボールでリタイア(1st挑戦者の中の最終挑戦者(LAST CHALLENGER) 80人目)。個人戦第2弾は1stで後述のアクシデントにより再挑戦を余儀なくされるが、アクシデントのあったパーレイの前のエリアメインデッキ(太い棒を選択)でリタイア(ゼッケン100、台湾放送版では放送するのに許可が取れなかったのか全カット)。「ROAD TO VIKING」も3回挑戦。1回目はニンジャ、2回目はガリオンでリタイア。3回目はゴール後一歩っというところのヘブンリィクライムでタイムアップ。4回目も挑んだが、再びガリオンでリタイア。ペア戦第1弾では、ナイジェリアからはるばる来日した母親と出場したが、スタートエリアランデブーランでリタイア(ゼッケン70 この回のLAST CHALLENGER)。個人戦第3弾はまさかの1stのスタートエリアオデッセイでコースアウト。本人にとって悔やんでも悔やみきれないほど呆気ない結果であり、本人はこの結果に全く満足できなかったのか号泣、おまけに自分がテレビに映りたくないほど呆気ないものであったのか「放送どうしよう、出なかったことにしてくれねぇかな?」と嘆ずいていた(ゼッケン91)。海筋肉王MC降板後の個人戦第4弾は1stリタイアから敗者復活するも2nd(ハンマーロード)でリタイア。
※この「ボビー・オロゴン(個人戦第1~4弾、ペア戦第1弾出場 海筋肉王MC・タレント・格闘家)」の解説は、「海筋肉王 〜バイキング〜」の解説の一部です。
「ボビー・オロゴン(個人戦第1~4弾、ペア戦第1弾出場 海筋肉王MC・タレント・格闘家)」を含む「海筋肉王 〜バイキング〜」の記事については、「海筋肉王 〜バイキング〜」の概要を参照ください。
ボビー・オロゴン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 03:29 UTC 版)
「いただきマッスル!」の記事における「ボビー・オロゴン」の解説
幻の食材・岩茸採りの手伝いに参加。過酷な山道と生息ポイントの断崖絶壁に尻ごみしていたが、恐怖を乗り越え仕事をこなした。岩茸の味に文句を言いながら、最も盛んに食べていたのはボビーである。
※この「ボビー・オロゴン」の解説は、「いただきマッスル!」の解説の一部です。
「ボビー・オロゴン」を含む「いただきマッスル!」の記事については、「いただきマッスル!」の概要を参照ください。
「ボビー オロゴン」の例文・使い方・用例・文例
- ボビーの歌手になるという夢は現実になった。
- ボビーは7時までテレビをみていいわ。
- ボビーは7時30分までに寝なければならない。
- 彼の名前は何といいましたっけ, ボビーなんとかでしたよね.
- ボビーは歳の割りには大きい.
- 彼はボビーと呼ばれると絶対に返事をしません.
- イギリスではボビーピンをヘアピンとよぶ
- 髪の房を湿らせて、カールし、そのカールをクリップまたはボビーピンで留めた巻き毛
- (1940年代に流行した)ボビーソックスをはいた思春期の少女
- ボビーピンという髪留め
- マリーンズのボビー・バレンタイン監督は日本シリーズを制した初の外国人監督となった。
- 明石家さんまさんとロッテマリーンズのボビー・バレンタイン監督が4位を分け合った。
- 彼は,1960年にヤンキースのボビー・リチャードソン内野手が樹立したワールドシリーズ1試合あたりの打点記録と並ぶ6打点を挙げた。
固有名詞の分類
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