フィンランドでの運用
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「F2A (航空機)」の記事における「フィンランドでの運用」の解説
F2Aの運用歴として特筆すべきはフィンランド空軍においてのもので、アメリカよりフィンランドに44機が提供されている。この時点ではまだアメリカは第二次世界大戦に参戦しておらず、フィンランドがソ連との戦争(冬戦争)中のため、交戦国に軍事物資の輸出を禁止する法律(中立法)により、武装、照準機、計器といったアメリカ海軍制式装備が撤去され、エンジンをスペックダウンしたタイプが提供された。機体は建前上あくまで“機材”として「Amerikan rauta(アメリカン・ラウタ:「アメリカ製(鉄鋼)材料」もしくは「アメリカ製(鉄鋼)製品」)の意」の名称で受領され、分解された状態で1940年1月と2月にアメリカから出荷されて一旦ノルウェーに陸揚げされたあと、スウェーデンに陸送されてSAAB社によってフィンランドが独自に準備した各種装備を改めて搭載して組み立てられ、完成後フィンランドへ自力飛行してフィンランド空軍に引き渡された。 太平洋方面では、日本軍機との性能差により活躍の機会には恵まれなかった当機ではあったが、フィアットG.50やモラーヌ・ソルニエMS406、カーチス・ホーク75、ホーカー ハリケーンⅠ、果ては鹵獲したポリカルポフI-16、I-153等雑多な戦闘機で構成されていたフィンランド空軍にあって、それらの性能を凌駕する本機B-239は「ブルーステル(Brewster:ブルースターのフィンランド語発音)」の愛称で呼ばれ、BW-351から394の登録番号を与えられた。なお現在、携帯電話機で有名なノキア社はBW-355機の購入に際し十分な資金を拠出し、機体には「NOKA」の銘が記入された。 冬戦争でフォッカー D.XXIを装備し大きな戦果を挙げた第24戦闘機隊に配属されたB-239は継続戦争序盤から奮戦、21機の喪失(事故を含む)に対しソ連軍機を456機撃墜するという、約21対1の圧倒的なキルレシオにより、35人ものエースパイロットを生み出し、「タイバーン・ヘルミ(Taivaan helmi:「空の真珠」の意)」と賞賛された。この他にフィンランドで当機に付けられた愛称としては「Lentävä kaljatynnyri(空飛ぶビールケグの意)」「Pylly-Valtteri(“ヴァルッテリの尻”の意で、ヴァルッテリとは当機が導入された際のフィンランドの国防大臣の名)」などがある。 フィンランド軍がいかにB-239を大切にしていたかのエピソードとして、1942年6月下旬、越境出撃したランペルト中尉のBW-365は空戦の結果、大きくソ連側制圧領域へ入った地点で不時着、これを知った陸軍はただちに出撃、遠路を踏破して不時着した機体を回収し引き揚げた、というものがある。無事フィンランド領域内に辿り着いた後に修理されたBW-365は「ついてないカタヤイネン」ことニルス・カタヤイネン少尉によって試験飛行を行ったが、離陸直後激しい振動が発生、急遽着陸した際に転覆したが少尉に怪我はなかった。 なお、B-239のトップエースは総撃墜機数75機(フィンランド空軍第2位)のうち39機を撃墜したハンス・ウィンド大尉である。また、最高の撃墜記録を誇るB-239はBW-393号機で、41機のソ連機を撃墜したが、1944年7月2日、格納庫に入っているところを爆撃に遭い、ウィンド大尉の戦果を撃墜マークとして描いた垂直尾翼を残し焼失した。 本機の性能に惚れ込んだ空軍当局は、タンペレ国営航空機工場で主翼を木製化したコピー生産版である「VL フム」を開発した。フムはエンジンには鹵獲したソ連製 M63 9気筒空冷星型エンジン(1,100 馬力)を搭載していた。M63は純正ライトサイクロンエンジンが損傷、枯渇したためBW-365、374、379、392号機に装着した実績があったためである。初飛行は1944年8月8日で、当初90機発注されたが、木造化したことによる重量の増加で性能が大幅に低下し、後にキャンセルされた。 詳細は「VL フム」を参照 1943年3月にメッサーシュミットMe109Gが導入されるとさすがに第2線機扱いとされ第26戦隊へと配備替えとなったが、ソ連軍の大攻勢に対抗し、カレリア地峡で奮戦、7機の損害で17機を撃墜した。本機の最後の戦闘はラップランド戦争でかつての友軍のドイツ軍と交戦、Ju 87を撃墜するも、またドイツ軍対空砲火により撃墜される悲哀を味わうこととなる。敗れはしたものの、フィンランドの占領を妨げたバッファローは1948年9月まで現役で使用され、正式に退役したのは1953年のことであった。 なお「日本軍機と交戦した米英蘭の機体は、航空母艦上での運用のための様々な装備が付いており、鈍重なため惨敗したが、こちらの供与機体はそれらの装備が省かれているため軽く、このような良好な性能を発揮出来た」という説があるが、アメリカ以外に発注されて運用された機体には艦上用の装備は省かれており、また、フィンランド空軍型は低馬力エンジンを搭載していたことを考えると、疑問が残る説である。 B-239 BW-355号機 “NOKA”号 フィンランドの中央航空博物館(フィンランド語版)に展示されている、B-239 BW-372号機カレリア地方の湖に不時着水した機体を1998年に引き揚げたものである。(後述「#現存機」の項目参照) B-239 BW-374号機(1944年5月8日の撮影) フィンランドの中央航空博物館に展示されているVL フムの試作機(2005年7月5日の撮影)
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フィンランドでの運用
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「カルカノM1938」の記事における「フィンランドでの運用」の解説
約94,500挺のカルカノM1938がフィンランドに送られた。現地ではそれらはテルニ騎兵銃の名で知られた。それらは冬戦争(1939年-1940年)の間、主に警備部隊と兵站部隊で使われた。 いくつかの前線部隊では兵器不足の問題があったが、フィンランド兵はこの小銃を嫌っていた。7.35x51mmという標準的でない口径の弾薬を使用するので、前線部隊への弾薬補給の維持に問題があったことと、リアサイトが調整不可能な300m固定照準なので、様々な距離で生起する遭遇戦での精密射撃に用いるには全く適していなかったからであった。なお、この300m固定照準は、イタリア語版Wikipediaでは、200m固定照準となっている。これはどちらが正しいというよりも、おそらくこの固定照準を300mの距離で使用しても当たらないので200mの距離で使用したという意味だと考えられる。さらに、フィンランド軍では、これを150m固定照準として使用したとされる。 また、フィンランド兵はこの弾薬が標的に対して散布界が広過ぎることにも不満があった。 可能ならばいつでも、フィンランド兵は戦場で鹵獲した兵器を使用する方を好んだ。それには、敵であるソ連の標準小銃であるモシン・ナガンも含んだ。少なくともモシン・ナガンには7.62x54mmR弾を使用できる有利さがあった。 継続戦争が勃発したことによって、フィンランド陸軍首脳部は残っているM1938を、対空用・沿岸防衛用・その他・第二戦級(民間防衛)部隊用として、フィンランド海軍に譲渡した。 第二次世界大戦後、フィンランドは残った約74,000挺のM1938の全てを売却した。
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