フィンランドでの運用とは? わかりやすく解説

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フィンランドでの運用

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 07:04 UTC 版)

F2A (航空機)」の記事における「フィンランドでの運用」の解説

F2A運用歴として特筆すべきフィンランド空軍においてのもので、アメリカよりフィンランド44機が提供されている。この時点ではまだアメリカ第二次世界大戦参戦しておらず、フィンランドソ連との戦争冬戦争)中のため、交戦国軍事物資輸出禁止する法律中立法)により、武装照準機計器といったアメリカ海軍制式装備撤去されエンジンをスペックダウンしたタイプ提供された。機体建前上あくまで“機材”として「Amerikan rauta(アメリカン・ラウタ:「アメリカ製鉄鋼材料もしくはアメリカ製鉄鋼製品」)の意」の名称で受領され分解された状態で1940年1月2月アメリカから出荷されて一旦ノルウェー陸揚げされたあと、スウェーデン陸送されてSAAB社によってフィンランド独自に準備した各種装備改め搭載して組み立てられ完成フィンランド自力飛行してフィンランド空軍引き渡された。 太平洋方面では、日本軍機との性能差により活躍機会には恵まれなかった当機ではあったが、フィアットG.50モラーヌ・ソルニエMS406、カーチス・ホーク75ホーカー ハリケーンⅠ、果ては鹵獲したポリカルポフI-16I-153雑多な戦闘機構成されていたフィンランド空軍にあって、それらの性能凌駕する本機B-239は「ブルーステル(Brewster:ブルースターフィンランド語発音)」の愛称呼ばれ、BW-351から394登録番号与えられた。なお現在、携帯電話機有名なノキア社はBW-355機の購入際し十分な資金拠出し、機体には「NOKA」の銘が記入された。 冬戦争フォッカー D.XXI装備し大きな戦果挙げた24戦闘機隊に配属されB-239継続戦争序盤から奮戦21機の喪失(事故を含む)に対しソ連軍機を456機撃墜するという、約21対1の圧倒的なキルレシオにより、35人ものエースパイロット生み出し、「タイバーン・ヘルミ(Taivaan helmi:「空の真珠」の意)」と賞賛された。この他フィンランドで当機に付けられ愛称としては「Lentävä kaljatynnyri(空飛ぶビールケグの意)」「Pylly-Valtteri(“ヴァルッテリの尻”の意で、ヴァルッテリとは当機が導入された際のフィンランド国防大臣の名)」などがある。 フィンランド軍がいかにB-239大切にしていたかのエピソードとして、1942年6月下旬越境出撃したランペルト中尉のBW-365は空戦結果大きくソ連側制圧領域入った地点不時着、これを知った陸軍はただちに出撃遠路踏破し不時着した機体回収し引き揚げた、というものがある。無事フィンランド領域内に辿り着いた後に修理されたBW-365は「ついてないカタヤイネン」ことニルス・カタヤイネン少尉によって試験飛行行ったが、離陸直後激し振動発生急遽着陸した際に転覆した少尉怪我はなかった。 なお、B-239のトップエースは総撃墜機75機(フィンランド空軍第2位)のうち39機を撃墜したハンス・ウィンド大尉である。また、最高の撃墜記録を誇るB-239はBW-393号機で、41機のソ連機を撃墜したが、1944年7月2日格納庫入っているところを爆撃遭いウィンド大尉戦果撃墜マークとして描いた垂直尾翼残し焼失した本機性能惚れ込んだ空軍当局は、タンペレ国営航空機工場主翼木製化したコピー生産版である「VL フム」を開発したフムエンジンには鹵獲したソ連製 M63 9気筒空冷星型エンジン(1,100 馬力)を搭載していた。M63純正ライトサイクロンエンジンが損傷枯渇したためBW-365、374379392機に装着した実績があったためである。初飛行1944年8月8日で、当初90発注されたが、木造化したことによる重量増加性能大幅に低下し、後にキャンセルされた。 詳細は「VL フム」を参照 1943年3月メッサーシュミットMe109Gが導入されるさすがに第2線扱いとされ第26戦隊へと配備替えとなったが、ソ連軍大攻勢対抗しカレリア地峡奮戦、7機の損害17機を撃墜した本機最後の戦闘ラップランド戦争でかつての友軍ドイツ軍交戦Ju 87撃墜するも、またドイツ軍対空砲火により撃墜され悲哀を味わうこととなる。敗れはしたものの、フィンランド占領妨げたバッファロー1948年9月まで現役使用され正式に退役したのは1953年のことであった。 なお「日本軍機と交戦した米英機体は、航空母艦上で運用のための様々な装備付いており、鈍重なため惨敗したが、こちらの供与機体はそれらの装備省かれているため軽くこのような良好な性能発揮出来た」という説があるが、アメリカ以外発注され運用され機体には艦上用の装備省かれており、また、フィンランド空軍型は低馬力エンジン搭載していたことを考えると、疑問が残る説である。 B-239 BW-355号機 “NOKA”号 フィンランド中央航空博物館フィンランド語版)に展示されている、B-239 BW-372号機カレリア地方の湖に不時着水した機体1998年引き揚げたものである。(後述「#現存機」の項目参照B-239 BW-374号機(1944年5月8日撮影フィンランド中央航空博物館展示されているVL フム試作機2005年7月5日撮影

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フィンランドでの運用

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 14:22 UTC 版)

カルカノM1938」の記事における「フィンランドでの運用」の解説

94,500挺のカルカノM1938フィンランド送られた。現地ではそれらはテルニ騎兵銃の名で知られた。それらは冬戦争1939年-1940年)の間、主に警備部隊兵站部隊で使われた。 いくつかの前線部隊では兵器不足の問題があったが、フィンランド兵はこの小銃嫌っていた。7.35x51mmという標準的でない口径弾薬使用するので、前線部隊への弾薬補給維持問題があったことと、リアサイト調整不可能な300m固定照準なので、様々な距離で生起する遭遇戦での精密射撃用いるには全く適していなかったからであった。なお、この300m固定照準は、イタリア語版Wikipediaでは、200m固定照準となっている。これはどちらが正しいというよりも、おそらくこの固定照準300mの距離で使用して当たらないので200mの距離で使用したという意味だと考えられる。さらに、フィンランド軍では、これを150m固定照準として使用したとされるまた、フィンランド兵はこの弾薬標的に対して散布界が広過ぎることにも不満があった。 可能ならばいつでも、フィンランド兵は戦場鹵獲した兵器使用する方を好んだ。それには、敵であるソ連標準小銃であるモシン・ナガン含んだ少なくともモシン・ナガンには7.62x54mmR弾使用できる有利さがあった。 継続戦争勃発したことによって、フィンランド陸軍首脳部残っているM1938を、対空用・沿岸防衛用・その他・第二戦級(民間防衛部隊用として、フィンランド海軍譲渡した第二次世界大戦後フィンランド残った74,000挺のM1938全て売却した

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