フィンランドにおける学童疎開とは? わかりやすく解説

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フィンランドにおける学童疎開

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 17:57 UTC 版)

疎開」の記事における「フィンランドにおける学童疎開」の解説

フィンランドでは、第二次世界大戦中冬戦争ならびに継続戦争時期において、就学の子供を中心とした約8万人という大規模な学童疎開実施され疎開先としては、その大多数隣国スウェーデン一部デンマークノルウェーへも)だった。 スウェーデン国内では、1939年冬戦争勃発に伴い官民の間でフィンランド対す支援意識高まり、「フィンランド支援センター」なる機関立ち上げられフィンランドの子供達を無償スウェーデン人家庭受け入れるといった申し出なされた当初フィンランド政府は、学童疎開受け入れよりも、フィンランド国内への物資面での援助の方が優先との意向伝えたものの、マンネルヘイム陸軍元帥などの賛同によって、学童疎開実施踏み切ることとなった。 これにより、スウェーデン送られ病人老人なども含めた学童疎開者の数は、1940年春に実施され最初疎開においては12,000人だった。その後継続戦争勃発によって、本格的に疎開委員会によって疎開実施され1941年から1943年には22,398人、1944年から1945年には30,767人にまで膨れ上がった疎開先での生活は、家族はなれて過ごさなければならない為、当初寂しく辛い思いしがちだったが、豊かで平和なスウェーデンでの生活に慣れ親しむにつれ、養父母とともに楽しい日々過ごしたというケース多かったという(無論例外もあったが)。ただ、新生活馴染みスウェーデン語覚えに伴い、特に年少の子供達の間では次第フィンランド語忘れてしまい、母国での暮らし家族に関する記憶曖昧になってしまうといった事態多発した。その為、終戦後フィンランド帰国した後も、生活環境大きな変化適応できず、特にフィンランド語忘れてしまった子供達は、学業の面でも著し困難に直面することとなったそのことから、養父母もしくは子供本人希望し実の両親承認得て養子になったケース多く戦後疎開先の国に留まった子供の数は、帰国後に再度渡った者も含めてスウェーデンに約15,000人、デンマークに約50となった。 この児童疎開政策関し現在のフィンランドでは、スウェーデン善意感謝しつつも、子供達両親ならびに養父母との2度にも亘る涙の別れ経験させてしまった、両親から見放されたがために疎開出されたという精神的なトラウマ植えつけてしまった、などといった観点からあまり評価されていないという。

※この「フィンランドにおける学童疎開」の解説は、「疎開」の解説の一部です。
「フィンランドにおける学童疎開」を含む「疎開」の記事については、「疎開」の概要を参照ください。

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