フィンランドとソビエトの共同作業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 08:25 UTC 版)
「ミール (深海探査艇)」の記事における「フィンランドとソビエトの共同作業」の解説
2隻のミールの建造は、冷戦下におけるフィンランド-ソビエトの経済的、技術的な協力の重要な例になった。カナダ、フランス、スウェーデンからの応札は、おそらくは政治的圧力により、撤回された。後に、当時のラウマ・レポラの部門長であったピーター・ラクセルがSTT(フィンランドの通信社)に語ったところでは、「プロジェクトはどうせ失敗するとアメリカのココム委員会が思っていたことが前提となって、フィンランドは船体を納入する許可を得ることができた」と信じている。「我々が設計を成し遂げたことが彼らの目にも明らかになるや、どうしたらこんな技術をソビエトに売ることが出来るんだと大騒ぎになって、ペンタゴンにはたくさんの人が押しかけた」 ココム規制のために、使用されているほとんどの技術をフィンランドで開発しなければならなかった。電装はホルミングが開発した。シンタクチックフォームは、業界首位の3Mが供給を断ってきたので、エクセルが製造した 。 ソビエトに流入する技術レベルの高さがアメリカで問題になったのである。例えば、海底に敷設したアメリカの対潜水艦深海聴音装置を除去することが可能な先導潜水艦部隊を組織するのではないかという懸念をペンタゴンは持っていた。ラウマ・レポラは裏で経済的な制裁を行うという脅しを受けた。利益の大きい洋上型石油プラットフォームの市場を失う可能性の前にラウマ・レポラは屈し、フィンランドでの潜水艦の開発はストップした(ラウマ・レポラは会社を閉鎖し、その後ホルミングと合併してフィンヤードとなった。現在のSTX)。また燃料電池を基にした大気非依存推進(こうした機関は主として潜水艦の主機に用いられる)の開発が放棄された。 全長122mの母船である調査船アカデミク・ムスチスラフ・ケルディシュも同様に1980年にフィンランドのラウマのホルミング造船所(現在の STX フィンランド)で建造された。
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