パセーナディ
プラセーナジット
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 10:21 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動プラセーナジット (漢訳:波斯匿王 - はしのく・おう、名前については後述)は、在位:紀元前6世紀頃または紀元前5世紀頃の古代インドに栄えたコーサラ国の王。
名前
- サンスクリット語:Prasenajit(プラセーナジット)
- パーリ語:Pasenadi(パセーナディ)
- 日本におけるカタカナ表記:パセナーディ、パーセナディ、パセーナディ
- 他の音写:鉢羅犀那逝多、鉢邏犀那待多、波匿、卑先匿、不梨先泥など
- 漢訳(意訳含む):勝光、勝軍、明光、和悦など
人物・出身
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ブラフマダッタ、もしくはマハーコーサラ前王の子といわれる。タキシラに学んだのち王位に就く。釈迦成道の年に即位したという。実妹のコーサラ・デーヴィーをマガダ国のビンビサーラ王に嫁がせてカーシー国を持参金とした。マガダ国と並ぶ中インドの2大強国の王である。
彼の妃や子供の名前は仏典によって差異があり一致しない。複数の妃がいたとも考えられ、マッリカー夫人(末利夫人(まりぶにん))は第二妃とも、第一妃とも。ある日、マッリカー夫人と「この世で一番愛しいのは誰か」という話題になり、「それは自分自身です」という夫人の答えに疑問に思い、それを釈尊に訊ね、釈尊は「他の人々にとっても自己は非常に愛しい。それだから自己を愛しく求めるものは他を害してはならない」と説かれた[1]、という話がある。
また、彼には王子がいたが、中でもジェータ太子(祇陀、祇多=ぎだ)とヴィドゥーダバ太子(ビドーダバ、毘瑠璃、破瑠璃、のちの毘瑠璃王)の2人が有名である。勝鬘夫人(しょうまんぶにん)は娘である。
ジェータ太子は自身が所有する林園をスダッタ長者(須達多)に譲って祇園精舎が建てられたことで知られる。
中阿含経の第216経「愛生経」には末利夫人との間には一女ヴァジリー、一男ヴィドゥーダバがいた、ともある。
一説には、ヴィドゥーダバ王子は、釈迦族の指導者が召使に生ませた娘を母親として生まれた、と釈迦族の者が馬鹿にするのを聞いて、父・母・釈迦族を憎み、釈迦族を滅ぼす決意をした、とする[2]。つまりこの説では、マッリカーは召使(下婢)が産んだ娘とされる。
プラセーナジット王はヴィドゥーダバ太子のクーデターにあい王位を奪われ、助けを求めにマガダ国に逃げるも命尽きたといわれる。
脚注
パセーナディ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 22:59 UTC 版)
コーサラ国王。原典ではバーセナディ、プラセーナジットとも。漢訳仏典では波斯匿(はしのく)王と表記。後継者のいなかった前王の遠縁だったため、この地位についた。元プロレスラーで横暴な性格。「傍系出身の成り上がりで気品に欠ける」と見做されていた自身の権威を高めようと属国であるシャカ族に妃の提供を求めたが、自尊心の強いシャカ族がクシャトリアではなくスードラ(奴隷)の女を妃として納めたことを恨み、シャカ族を滅ぼそうとする。しかし、それを果たす前にビドーダバに幽閉された上に位を簒奪された。最期はブッダに諭されたビドーダバによって幽閉を解かれ、ビンビサーラを頼ってマガダ国に逃亡するも、既にビンビサーラも王位を簒奪されていたことを知り、そのまま斃死した。仏典上では、ブッダに帰依している在家の仏弟子である。
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