カトリック教会・教皇庁未公認の出現とは? わかりやすく解説

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カトリック教会・教皇庁未公認の出現

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 06:36 UTC 版)

聖母の出現」の記事における「カトリック教会・教皇庁未公認の出現」の解説

聖母出現報告数千例以上あり、調査しきれていないこのため教区司教認可したが、バチカン教皇庁)によって承認されていない出現含まれるカラヴァッジョの聖母イタリア語版1432年5月26日イタリア北部ミラノ領域であるカラヴァッジョ野原出現人々信仰刷新戦争における幻視者の家族の安全を預言した。 モンタニャーガの聖母 1729年から1730年にかけ、チロル地方(現在はイタリア)のモンタニャーガにおいて羊飼い少女出現教区司教公認カンピーナスの聖母(涙の聖母ブラジルカンピーナスで、1930年3月8日修道女出現罪人回心を願う。出現信仰許される状態であり、公認はされていないラ・バンの聖母 1798年ベトナムラ・バンにおいて出現迫害受けた信者守ったロビンソンヴィルの聖母 1859年アメリカ合衆国ウィスコンシン州において28歳女性出現荒れているこの世界正しく導く学校作るように願った津和野の聖母乙女峠マリア聖堂1867年日本津和野において、拷問受けている信者語りかけ、励ました教区司教認可。これを記念し乙女峠マリア聖堂が建堂されている。 カステルペトローゾの聖母 1888年3月22日から1890年6月まで、当初イタリアカステルペトローゾ付近暮らしていた2人農婦起こったとされる2人には幻視としてイエス・キリスト十字架から降ろされ、その亡骸聖母が抱くシーンピエタ)を見せられている。その後巡礼始まり多く巡礼者たちも聖母の出現を受け、出現地には湧水出ている。 ヴィクラツバートの聖母 1919年ドイツ国バイエルン州オプフェンバッハのヴィクラツバート地区に住むアントーニエ・レドラーがスペインかぜかかったにあったとされる。この時、聖母は彼女の手引いて起こすと彼女は治癒していた。また、アントーニエがゲシュタポ逮捕されそうになった時、彼女を自転車助けたツェツィーリア・ゲイヤーにも出現があった。 ヘーデの聖母哀れな煉獄の魂の女王1937年から1940年にかけて、ドイツのヘーデにおいて出現ロザリオを祈るよう求めた。なお、出現信仰許される状態であり、公認はされていないすべての民の御母 1945年から1959年にかけ、オランダアムステルダム出現核戦争による人類滅亡を防ぐよう警告、罪の償い求めた2002年教区司教認可奇しき薔薇の聖母 1947年から1983年にかけて、イタリア・モンティキアーリにおいて看護師をしていたピエリーナ・ジリ出現フォンタネッレモンティキアーリの一地区)にも数回出現。(モンティキアーリ出現については地元司教認可) アメリカの聖母英語版1956年9月25日から1959年12月20日にかけてアメリカ合衆国インディアナ州・ローマ・シティで修道女シスター・ミルドレッド・メアリー・ヌージルに起こったとされる出現した聖母は、被出現者を通じ、「アメリカの聖母無原罪の御宿り」を名乗り人々悔い改め将来天罰等の危機迫っていると警告した地元司教非公認崇敬表明許される段階ガラバンダルの聖母 1961年から1965年にかけて、スペインのサン・セバスチャン・デ・ガラバンダルにおいて出現大天罰の警告四人少女によって預言された。全世界司祭回心求められた。地区司教認可カイロの聖母 1968年から1971年にかけて、エジプトカイロにおいて、十字架や幼いイエスとともに100回程出現コプト正教会公認司祭のマリア運動 聖母マリアから内的語らい呼ばれる私的啓示受けたカトリック教会司祭・ステファノ・ゴッビ神父によって始められ聖母への崇敬運動である。ゴッビ神父によると、1972年に彼がポルトガルファティマの聖母巡礼中に、この「私的啓示」を受け、その後大量メッセージを受け、それをまとめた書籍題名聖母から司祭へ」が出版されている。 秋田の聖母 1973年日本の秋田市において、アムステルダムの聖母像をモデル作られ聖母像から涙、回心警告1984年教区司教書簡で「奇跡としての超自然性否定できないので、ローマ聖座より最終判定示されるまで教区信者巡礼禁じない」と発表し1988年教皇庁ヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿(のちの教皇ベネディクト16世)が受理その後教皇庁による公式声明はない。 フィンカ・ベタニアの聖母イタリア語版1976年から1985年にかけて、ベネズエラのフィンカ・ベタニアにおいて、聖母マリア目撃者数百人に上る地元司教公認クアパの聖母 1980年ニカラグアのクアパにおいて、農民のベルナルド・マルティネスに聖母出現ロザリオの祈り勧めと、和解メッセージ残した地方司教公認サン・ニコラスの聖母英語版)(サン・ニコラスロザリオの聖母1983年から1990年にかけ、アルゼンチン・サン・ニコラス (ブエノスアイレス)において、一般神学教育受けていない主婦聖母出現多くメッセージ語った。そのメッセージ人々語り継がれ人々生き方変えた。その他、病気治癒等の奇蹟起きる。地元司教公認サルタの聖母(丘の上聖母1990年アルゼンチンサルタにおいて、ごく普通の主婦聖母出現超自然現象難病治癒するなどの現象起こっている。地元司教公認出ていない。地元司教の「信仰崇敬表明認可」の段階アイオペの聖母 1992年ナイジェリアのアイオペにおいて、12歳の少女聖母出現。その他太陽奇蹟などが続き多く巡礼者集めるが、地元司教の「信仰崇敬表明認可」の段階で、地元司教から出現公認出ていない。 出現意向は、「苦難受けている人々への励まし」「救命」「救霊」「警告」に区分される

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