カトリック教会への批判
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アルゼンチンにおけるカトリック教会およびその指導者の「汚い戦争」に対する対応を批判する声が存在する。ブラジルやチリでの軍事政権の弾圧にそれぞれの国のカトリック教会が立ち向かった一方で、アルゼンチンのカトリック教会は軍事政権を支持し、信者に対して「国を愛する」よう求めていた。当時「汚い戦争」に対し異議を唱えた者は「破壊分子」のレッテルを貼られる恐れがあった。軍事政権を批判し殺害された司祭、司教がいる一方で、大多数の教会関係者は口を閉ざしたままだった。 「汚い戦争」の期間中にエンリケ・アンヘレッリ(Enrique Angelelli)とカルロス・ポンセ・デ・レオン(Carlos Ponce de León)の2人の司教と17人の司祭が軍事政権により殺害された。2013年2月に下された判決において裁判官は、教会組織が司祭の殺害から「目を背けた」と批判した。1976年に殺害された司教エンリケ・アンヘレッリに関する裁判では、軍事政権の迫害に教会の同意があったと指摘された。軍事政権の指導者の一人であるホルヘ・ラファエル・ビデラは2012年、教会の指導者たちは政府による弾圧の共犯者だったと証言した。 1976年から1983年にかけて警察署付きの司祭であったクリスチャン・フォン・ヴェルニッヒ(Christian von Wernich)は囚人の拷問、殺害に直接関わっていた。民主化後1985年に行われた裁判において彼は容疑を否認した。1986年に汚い戦争における犯罪の追求を停止する法律が公布されると彼に対する捜査も打ち切られた。この法律が憲法に違反しているとの判断がくだされた後、2003年9月にヴェルニッヒに対する逮捕状が出され、チリの町でクリスチャン・ゴンザレスとの偽名を使い潜伏していたヴェルニッヒは逮捕された。2007年10月にヴェルニッヒは7件の殺人、42件の誘拐、32件の拷問の罪で有罪となり終身刑がくだされた。カトリック教会のヴェルニッヒに対する処分は2010年時点でも行われておらず刑務所の中で囚人に対してミサをおこなっていた。 2000年にアルゼンチン司教評議会は、軍事政権に対して反対の立場を示さず市民を庇護しなかったことを謝罪する声明を発表した。
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カトリック教会への批判
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「カトリック教会」の記事における「カトリック教会への批判」の解説
宗教改革以来、プロテスタントから、教皇の首位権・使徒継承性に対して「『聖書』の曲解、根拠なき伝承(聖伝)に基づくもの」と批判されている。同様にプロテスタントが『聖書』に根拠を持たないと主張する「秘跡」や「マリア崇敬・聖人崇敬」について批判を受ける。歴史的には、カトリック教会が封建領主として君臨したこと、マルティン・ルターによって、聖遺物崇敬・贖宥状(免罪符)発行を批判されたが、対抗改革によって中止された。一方、改革の中で原理主義的姿勢が強まって「禁書目録」の作成がなされたが、このような動きは学問の自由や言論の自由を求める学者と衝突を招いた。 啓蒙主義者にとっては、カトリック教会による社会生活の支配は克服すべき課題であった。フランス革命ではマクシミリアン・ロベスピエールが宗教を廃止し、「理性」(あるいは、「最高存在」)に対する崇拝をそれまでの宗教に代わるものと位置付けた。このような過程を経て、カトリック教会は寛容政策に転換し、信徒や聖職者が他宗教の祭祀・儀式に列席することも認められるようになった。しかし、21世紀においても(プロテスタントの保守的な教会同様に)胎児も含めた、かけがえのない生命を尊重するという崇高な理念に基づき人工授精や妊娠中絶、避妊、同性愛(ただし、同性愛的行為は禁じられるが、同性愛的性志向自体は否定されない)、ES細胞研究への反対姿勢は変えておらず、この点を批判されることがある(ただしこれらについては他教派やプロライフの関係者にも賛成する者がおり、賛成者とカトリック教会が連携することもある。一例としてマンハッタン宣言を参照)。「妊娠中絶の支持者には聖体の秘跡の授与を制限すべきだ」という教会関係者の発言が物議を醸しており、一種の教条主義とも揶揄されている[誰?]。 なお、プロテスタントや聖公会の中には“教会内における女性の首位権”(女性聖職者または女性牧師)を認める教会もあるが、カトリック教会では女性は司祭に叙階されない。教義上、聖職者になれるのは男性信者に限られている。フェミニストの中にはこれに対する批判を行う者もいるが、カトリック教会側はあくまでも教義に基づく制度であるから「女性蔑視」ではないと説明している。また、聖職者には世俗の権力は一切存在しないので「女性差別」とは言いがたい、との説明もあるが、国や地域、組織によっては、聖職者が世俗的な権力行使に関わったり、その言動が世俗の権力に大きな影響を及ぼす例もあり、至当とは言えない。また、かつては女性助祭、旧約聖書時代には女性預言者も存在したこともあり、この制度が復活することがないとは言えない。
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