「原点」「女子教育」「風」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 15:05 UTC 版)
「千野境子」の記事における「「原点」「女子教育」「風」」の解説
取材対象・場所の幅広さから、立場もブレやすい新聞記者という職業だが、千野には揺るがぬ部分と、あえて揺るがせる部分とがある。千野は、朝日新聞からのインタビューに、自身の原点と信念を語っている。高校生の頃、クラブ活動で文芸部を選んだほど無口で内気な少女だった千野は、「自分の考えを持ち付和雷同しない」ことを学び、今も「独自の闘いが好きなのはフェリス(女学院高)が始まりかも」としている。 女性初の外信部長となった際、千野は台風の目になった。米国ニューヨーク特派員として書く記事は、湾岸戦争やカンボジアPKOなどの一方、米国社会については「有名な百貨店が会社更生法を申請するとか、米国経済が問題を抱えていることなどアメリカの駄目な話ばかり」で、対する日本は「不動産会社が、例えばロックフェラービルとか西海岸の有名なゴルフコースを買収した話とか、日米の取材は対照的時代」だった。暗いニュースばかり米国から発信し続けた千野が日本に戻ったのは、偶然にも『政界のドン』金丸信自民党副総裁が割引金融債をめぐる脱税容疑で逮捕された翌日。大事件を連れて凱旋する形となったことを、産経新聞1面コラム「産経抄」が紹介。帰国便の日本航空機内で千野は新聞を読み、「あっと声を上げ、その自分の声の大きさにもう一度びっくりした。『金丸前副総裁を逮捕』。日本の新聞の大きな見出しが目に飛び込んできからだった。」。そして、大ニュースが掲載されているから新聞を読むべきだ、と客室乗務員が乗客に告げて回った状況を、「(女性の乗客2人が)『あら、長嶋一茂がホームラン打ったのね!』久しぶりに帰国する新外信部長にとって、この三度目の驚きが最も大きかった」と伝え、千野の赴任時と帰国時が、そのままバブル景気崩壊前後の日本社会の激変と重なるようすを描いている。 また、千野は2005年、女性初の論説委員長として最初のコラムで、自身の象徴として「風」を扱う。「このタイトル(=シリーズ「風を読む」)が決まった後、風からの連想で産経新聞の大先輩、司馬遼太郎さんが本紙朝刊でコラム『風塵抄』を書かれていたのを思い出した。」と書き始め、国民的作家の司馬を引用するのは少々おこがましいと断った上で、「風に敏感でありつつ、恒心で時代の風を読めたらいいなと思う。」と表明。続いて、1996年2月12日、偶然にも司馬自身が亡くなった当日の朝刊に掲載された「風塵抄」の最終回に触れ、司馬が「日本に明日をつくるために」と題してバブル時代の土地高騰への怒り・戒めを書いたことを引用しながら、千野も「馬鹿げた土地狂乱は、よもや再燃しまい。しかしいま、さらに先を行く軽薄でオソロシイ、マネーゲームの時代が来たようで、あの失敗から日本人はどれほど成熟したのだろうか」と21世紀の日本に警鐘。そして、「風もう一題。実はボブ・ディランの「風に吹かれて」を反射的にイメージしてしまう世代である。」と、結んでいる。 取締役を退任した直後の2008年には、「土・日曜日に書く ランブイエの精神を思う」と題したコラムで、翌週から始まる主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)に言及。福田康夫首相はサミットの精神に戻って、ロシアに北方領土を、米国に地球温暖化問題をきちんと主張すべきで、「会議の流れを作る議長という8年に1度のチャンスに巡り合わせながら、もったいないことである。」と、追い風を活用できない福田外交に釘を刺す。 2012年、新聞社を退社し、客員論説委員として最初のコラムでは、「遠い響・近い声 『独り勝ち』求めぬ町作り」と題して、「長野県でもっとも小さな町、知る人ぞ知る小布施」を取り上げた。「毎月、ぞろ目の日に行う『小布施ッション』も人気だ。こだわりを意味する英語のオブセッションと小布施の合成語で、各界の先駆的仕事をしている人が講演し交流もする。先月は建築家、隈研吾氏だった。」と、人口1万2千人ほどの町に、年120万人が訪れる秘密を紹介。そして、「そう、これを私流に名付ければ独り勝ちを求めない町作り。中心部だけ賑(にぎ)わっても全体に及ばなければ何の繁栄か。町作りに限らないが。彼の見事な転身に、本稿から客員論説委員と肩書が変わった筆者もまねたいものだと小布施を後にした。」と結んでいる。 翌月には、「小さな1隻を大きな飛躍へ」と題して、日米豪によるミクロネシア連邦海上保安能力強化支援プロジェクトを紹介。ミクロネシアで、小型艇1隻の引き渡し式を取材した千野は、「一国の大統領が竹島によじ登り、運動家たちが大旗を掲げて尖閣諸島に侵入する。日本の領海・領域で見たくない光景が現実となり、危機管理能力や外交の戦略が問われた夏」だからこそ、排他的経済水域(EEZ)で米豪に次ぐ世界3位の広さを抱えるのに海軍を持たないミクロネシアに対する継続的支援が必要とし、「きめ細かく忍耐強い技術指導は現地でも好評で、米豪にはない強みである。海上保安庁に余力がなければ、OBの出番があってよい。歓迎されること間違いなしだと思う。」と、一歩、引いた自身の産経OBとしての立場を重ねて結んでいる。
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