「原爆しょうがない」発言
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「久間章生」の記事における「「原爆しょうがない」発言」の解説
2007年6月30日に麗澤大学比較文明文化研究センター(千葉県柏市)主催の講演会で行い、原爆投下をしょうがないと発言したと朝日新聞が発言要旨と共に、原爆投下した側の論理を是認したとして大きく報道された。久間は7月1日のフジテレビ「報道2001」で批判や責任を問う声について、「そんなような内容(の発言)ではない」、「訂正する必要はない。誤解を与えたところがあれば、そこは丁寧に説明しなければいけない」と述べて、撤回・訂正はしない考えを明らかにしていたが、その後中川秀直幹事長や公明党からも批判を受けたため、同日の記者会見で「被爆者を軽く見ているかのような印象に取られたとすれば申し訳なかった」と陳謝して発言を事実上撤回し、かつ、毎年8月9日に行われる長崎の平和記念式典に参列する意向を示していた。 この「原爆しょうがない」発言報道による騒動に関して、安倍晋三首相から厳重注意を受けた。当初、首相と久間の意向から辞任はしないとしていたが、被爆者団体、反核平和団体などからの激しい抗議を受けた。同年7月2日、長崎市議会が久間の発言に抗議して『発言撤回を求める』意見書を全会一致で可決した上で、田上富久長崎市長は、市議会の議長とともに7月3日に上京し、安倍首相と久間サイドへ抗議した(参考)。同月3日には、長崎県議会でも発言に対する抗議決議が全会一致で可決され、金子原二郎長崎県知事も「二度とこのような発言を繰り返さないようにしてほしい」と釘を刺した。 同年7月3日午前、久間は自身の進退について「辞任の必要はない」と強気の姿勢を見せていたが、午後、一転して「選挙で与党に迷惑が掛かる」として辞任した。安倍首相は慰留せず、その場で辞任の申し出を了承した。久間は防衛大臣の座を辞職という形で追われることになり、毎年参加していた8月の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典を被爆者団体などの反発から欠席せざるを得ない状況へ追い込まれた。秋葉忠利広島市長が発言の撤回と広島・長崎訪問による被害の直視を求める抗議声明を出した。また、7月1日に日本原水爆被害者団体協議会 や連合長崎、それに長崎県原水禁などもそれぞれ批判して、抗議の意を表明するため長崎市の平和公園での座り込みや、抗議文あるいは声明文の送付を行うなどの抗議活動を繰り広げた。 一方、本島等元長崎市長は、1975年10月に昭和天皇が広島への原爆投下について「遺憾に思っているが、やむを得なかった」と久間の発言に近い事を述べたのを紹介し、「当然の認識で僕も同感。久間さんの発言も同じで、原爆の肯定だ、容認だと批判するのはおかしい。天皇陛下も原爆容認論だと批判するのか」と抗議活動を展開する被爆者団体に苦言を呈した。[いつ?]但し、本島の「仕方なかった」というのは日本人が報いを受けた罰である、という意味での「仕方ない」であり、久間や昭和天皇の意図とは微妙に違う。 産経新聞は、本島等元長崎市長の発言にみられるような原爆は仕方なかったという考えの原点は、『安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから』という原爆死没者慰霊碑の碑文にあるとして、「素直に読めば、原爆投下は、日本人に責任があるということになる。」「これをありがたがる人たちに、久間の発言を非難する資格はない」と断じた。なお、産経新聞は、広島市長平和宣言の内容を毎年批判している(産経新聞の報道#議論を呼んだ報道を参照)。 民主党・日本共産党・国民新党は久間を一斉に批判した。 久間は辞任後の記者会見でも、「原爆が日本を全面降伏に導いたのは事実」との主張を続け、「九州弁でしょうがないというのが口癖で、すぐに出るんですよ」と釈明したが、方言研究をしている九州の大学教授や島根大学の田籠博教授は、九州の方言として多用するのは聞いたことがないと疑問視、長崎市平和推進室は同じく疑問視した上でこの釈明を認めていない。また、広島市長の秋葉忠利や、長崎原爆被災者協議会の事務局長はそれぞれ、久間が防衛大臣の辞任は当然のこととした上で、日本政府や自民党の原爆に対する認識や姿勢の問題と批判し、さらに、久間の歴史認識に疑問を呈している者もいる。 この辞任について、当然であるとする意見や、選挙対策であるとする意見がある一方で、残念がる意見もあった。 大臣の座を追われた後も、久間に対して議員辞職を求めるデモ は続き、議員辞職を求める文言とともに公開質問状が被爆者団体から送付されるなど対応に追われた。 この騒動の直後に行われた第21回参議院議員通常選挙(長崎県選挙区)では、自民党は久間が主導となり、国見高校サッカー部元監督として有名な小嶺忠敏を擁立して必勝を期したが、民主党の大久保潔重に敗れた。 また、文藝春秋平成21年(2009年)6月18日号では、久間にとっては義母に当たる妻の母が一連の騒動に抗議するため、8月9日の長崎原爆祈念日に自殺したと報じられた。
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