「つばさ」の登場
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「つばさ (列車)」の記事における「「つばさ」の登場」の解説
1961年(昭和36年)10月1日:サンロクトオのダイヤ改正により、上野駅 - 秋田駅間を東北本線・奥羽本線経由で特急「つばさ」が運転開始。キハ82系気動車を使用。 1962年(昭和37年)2月:「たざわ」を 仙台駅 - 秋田駅間で1往復増発、下り列車を「たざわ2号」、上り列車を「たざわ1号」とした。 7月15日:「月山」の鶴岡駅始発編成運転開始(余目駅で酒田駅始発編成と併結)。 10月:「鳥海」の併結相手が喜多方駅発着の「ばんだい」に変更。 1963年(昭和38年)4月:「つばさ」キハ80形1両を増結して7両編成化。 10月:ダイヤ改正により、以下のように変更。「蔵王」の名称をひらがなの「ざおう」に変更し、同時に1往復増発する。 新庄駅→山形駅間を運行する準急列車として、「むらやま」運行開始。 12月:「つばさ」に盛岡駅発着の列車(6両編成、食堂車連結)を併結し、上野駅 - 福島駅間では13両編成となる。 1964年(昭和39年)10月1日:このときのダイヤ改正により次のように変更。「ざおう」1往復を特急列車化し、山形駅発着の気動車特急として「やまばと」がキハ82系7両編成で運行開始。 「つばさ」は盛岡駅発着の列車に1両増結し福島駅以南では14両編成での運転となる。 1964年(昭和39年)12月:「むらやま」の列車名を「月山(上り)1号」に変更。 1965年(昭和40年)10月:ダイヤ改正に伴い、以下のように変更する。「つばさ」の盛岡駅発着の列車を「やまびこ」として分離。「つばさ」秋田発着のみで2往復とする。 「やまばと」に会津若松駅発着列車を併結。同時に食堂車の連結を中止し各編成を6両編成化、郡山駅以南では12両編成での運転となる。 仙台駅・米沢駅 - 秋田駅間の準急「たざわ」を「千秋」(せんしゅう)に変更。 「鳥海」列車名を「たざわ」に変更。 1966年(昭和41年)3月:準急列車制度の変更に伴い、「月山」「千秋」「もがみ」が急行列車化。 1968年(昭和43年)10月1日:ヨンサントオのダイヤ改正により、以下のように変更。「つばさ」の一部が東京駅発着になる。この後1年間は1往復(上下とも2号)に「はつかり」の583系電車化で余剰となったボンネット型のキハ81形が転用された。 福島駅 - 米沢駅間が直流電化から交流電化に変更され、「つばさ」は福島駅北方の中川信号所で行っていた補助機関車の連結・解結作業が福島駅構内で行われるようになり、使用機関車もEF64形からEF71形になる。 「やまばと」の使用車両を485系電車に変更したことにより、「やまばと」の会津若松駅発着列車を「あいづ」として分離し、「やまばと」に食堂車が復活。 「ざおう」は定期1往復と臨時1往復を455系電車に変更。 「たざわ」列車名を同区間を運行する夜行列車と統合し、「おが」に変更。昼行列車については、「おが1号」(上り・下りとも)を名乗る。 「もがみ」の運転区間を羽後本荘駅まで延長。 1969年(昭和44年)10月:「千秋(下り)1号・(上り)2号」の運転区間を青森駅まで延長する。 1970年(昭和45年)2月:「つばさ」が奥羽本線板谷峠の自力登坂を目的にキハ82系からキハ181系10両編成に置き換え。 10月:山形駅 - 秋田駅間で急行「こまくさ」が運転を開始。 1971年(昭和46年)7月:奥羽本線のダイヤ改正により、「つばさ」の混雑緩和を図るためキハ181系10両を新製し、編成両数を10両から12両に増強。 12月:年末年始輸送でキハ181系による臨時列車「つばさ」51号と、485系による臨時列車「やまばと」51号が運転。 1972年(昭和47年)3月15日:このときのダイヤ改正により、以下のように変更。「千秋(下り)2号・(上り)1号」 院内駅 - 秋田駅間を普通列車に変更。 「ざおう」は全列車季節列車ないし臨時列車化。 12系客車による臨時列車「つばさ」51・52号が運転を開始。動力分散方式に比べ到達時分が長くなることをできる限り補うため、大宮駅や宇都宮駅には停車せず、急行形車両を用いるため特急料金の割引を行うなど、異例の列車となったが、その後に14系客車が投入されたため割引措置は終了した。 10月:キハ181系は急勾配区間の自力登坂や東北本線内での高速運転などの苛酷な運用に伴うエンジントラブルが夏季を中心に多発、遅延や運休が続出したため再び福島駅 - 米沢駅で補助機関車(EF71形)を連結することとなり、これは1975年11月の電車化まで実施。 1973年(昭和48年)4月:東北新幹線・上越新幹線建設工事に伴い、「つばさ」の東京駅乗り入れを中止。このほかキハ181系の故障対策として予備車を確保するため12両編成を11両編成に減車。 10月:「千秋(上り)1号」の普通列車区間を秋田駅 → 新庄駅間に拡大。「つばさ」はキハ181系の故障対策として福島駅以南を中心に所要時間が延長。 1975年(昭和50年)11月24日:奥羽本線全線電化完成により、「つばさ」は485系12両編成を使用し電車化。当初は200番台を使用し、翌年1000番台に置き換えられた。また、「千秋(下り)2号」の普通列車区間を新庄駅 → 秋田駅間に拡大。 1978年(昭和53年)10月2日:ゴーサントオのダイヤ改正により、以下のように変更。「つばさ」「やまばと」は、それぞれ3往復ながら、合計6往復でペアによるエル特急指定。東北本線内の規格ダイヤ修正により若干所要時間が延びた。 「つばさ」に初の自由席設置。 「こまくさ」の運転区間を山形駅 - 青森駅間に変更。
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