各章の内容
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「オリエンタリズム (サイード)」の記事における「各章の内容」の解説
第1章 オリエンタリズムの領域 歴史と経験、および哲学的主題と歴史的主題の観点から、オリエンタリズムの範囲を定める。オリエンタリズムが中東とヨーロッパの間に設定されたきっかけとして、ナポレオンのエジプト遠征による『エジプト誌』の誕生をあげ、これがその後の関係に影響を与え続けたとする。そして、ヨーロッパがイスラームに対して自己完結的かつ反経験的で誤解のあるイメージを作り上げた歴史がすでにあったと指摘し、同様の姿勢がオリエンタリズムにもあることを見る。イスラームへの誤解の例として、バルテルミー・デルブロ(英語版)の『東洋全書』や、ダンテの『神曲』におけるムスリムの扱いをあげる。 ここでサイードはアヌワル・アブデル=マレク(英語版)、R・W・サザーン(英語版)、ノーマン・ダニエル(Norman Daniel) の研究を肯定的に評価している。また、オリエンタリストを指して、ヴィーコの『新しい学』にある「学者のうぬぼれ」を引いている。 第2章 オリエンタリズムの構成と再構成 作家、芸術家、学者たちの著作を見ながら、オリエンタリズムの発展を追う。この章では、次のような人物が論じられている。初期の学問的な定義を行なったシルヴェストル・ド・サシとエルネスト・ルナン。セム語族を後進的と見なしたフリードリヒ・シュレーゲル。オリエントを旅行する際の基準となる著作を書いたエドワード・レイン(英語版)とシャトーブリアン。帝国主義的な紀行を著したラマルティーヌ。『アラビアン・ナイト』を翻訳したリチャード・バートン。オリエント訪問を個人的・審美的に利用しえた作家であるネルヴァルとフローベールなどである。フローベールについては、『ブヴァールとペキュシェ』に見られるように、オリエンタリストを相対化するような視点を持っていたとも論じている。 第3章 今日のオリエンタリズム 1870年代のヨーロッパの植民地拡大期から、1970年代のアメリカ主導によるオリエンタリズムまでを論じる。差別的な学説がオリエンタリズムと結びついて植民地支配を正当化したとして、その例にゴビノー、キュヴィエ、ロバート・ノックスらの人種差別思想、ハックスレーらの亜流ダーウィニズム、ランケやシュペングラーのイスラーム観などをあげる。また、イギリスとフランスがオリエンタリズムを主導した時代の人物として、次のような名をあげる。植民地における白人の歩む道を書いたキプリング。アラブの反乱に自己イメージを投影したロレンス。20世紀にオリエンタリズムを包括する著作を生み出したハミルトン・ギブとルイ・マシニョン(英語版)。 第二次世界大戦とアラブ・イスラエル戦争以降、アメリカによるオリエンタリズムが隆盛をとげ、中でもアラブ・イスラーム研究の分野で著しいとする。その例として、初期のオリエンタリストと同じイスラーム観を説いたグスタフ・E・フォン・グルーネバウム(英語版)や、イスラームが変化しないと論じたバーナード・ルイスをあげる。そして、オリエンタリズムがアメリカの影響でアラブに拡大し、自らをオリエント化している状況にも触れる。 ここでサイードは、エーリヒ・アウエルバッハ、E・ロジャー・オーウェン(英語版)、クリフォード・ギアツ、ジャック・ベルク(英語版)、マクシム・ロダンソン(英語版)、ジャック・ワールデンブルク(ドイツ語版)の研究を肯定的に評価している。 第4章 オリエンタリズム再考 初版の発表後の反響をもとにサイードが書いた論考。
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「ラテンアメリカの日本人」の記事における「各章の内容」の解説
本書は全9章からなる。第1章は、初期のアメリカ、カナダ、ハワイへの日本人移民についてである。第2章では、1800年代の日本社会を論じ、明治時代から日本人移民を制限した、1908年の日米間で取り決められた紳士協定までの時代を扱う。日本人移民らはアメリカへ行くことができなくなったので、ラテンアメリカへ移民し始める。第2章はラテンアメリカへの日本人移民の第一波についても論じる。第3章では、ラテンアメリカ諸国における日本人社会が1908年から1937年の間に形成され、ラテンアメリカにおいて大きい規模を持つコミュニティとなるまでを論じる。記述の焦点はブラジル、メキシコ、ペルーの各日本人社会にある。本章における日本人社会は、移民の第1世代と第2世代に属する。第4章は、1908年から1938年までのアルゼンチン、ボリビア、コロンビア、チリ、パラグアイ、キューバにおける日本人社会の形成を論じる。これらは前述の日本人社会と比べて小規模なグループであった。第5章は、第二次世界大戦がラテンアメリカにおける日本人社会に対して与えた衝撃を論じ、1938年から1952年までをカバーする。 第6章は、第二次世界大戦中の日系ペルー人に焦点を絞って論じる。本章は唯一、単一の国に特化した章である。第6章は、ペルーから強制的に追放されアメリカの強制収容所に収容された日系ペルー人に焦点を当てている。 本章で使用された一次資料は、公文書とオーラルヒストリーである。 Takenaka が主張するところによると、これは「とりわけ著者が採用した方法論の詳細な説明が全くないため、綿密な実地調査が実行されたのか、されたとしたらどの程度かが明らかではない」という。アメリカ合衆国政府は、同国に住む日系ペルー人に出自を持つ人々に対して一度も賠償をしたり公式な謝罪をしたことがないが(訳注:本書執筆当時)、そうであるからこそ、本書がペルーに焦点を当てたことが「賢明な選択」であったと Lesser が信じるゆえんである。 Takenaka は、本書の主題を「大きな知られざる物語」と表現した。 Lesser は、アジア系アメリカ人研究と研究の推移によって、拘禁された日系ペルー人に関する法的手続きの議論が「とりわけ有意義なことである」ことがわかったと述べた。 第二次世界大戦後の日本人たちが最後の3つの章の主題である。第7章は、1952年から1970年までの間の南アメリカにおける、既存の日本人コミュニティ、及び、新しくやってきた日本人について論じる。本章は戦後のアルゼンチン、ボリビア、パラグアイの日本人が住む集落に関する情報を含む。移民の多くは沖縄から来た人々であって、colonias と呼ばれる農村に居住した。また、移民の回帰についての情報も含む。第8章は、日系二世、三世について論じる。彼らはブラジル、メキシコ、ペルーで nikkei-jin と呼ばれる。また、経済的事情により日本へ行った日系人についても論じられる。第9章は、本書刊行当時における現在のラテンアメリカにおける日系人コミュニティについて論じる。 Tsuda は、ラテンアメリカにおける同時代の日系人コミュニティについての章が、「主に実際の人口調査データで満たされている」と述べた。最終章は、ページの半分を日系ペルー人についての議論に割かれている。
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「ミメーシス (アウエルバッハ)」の記事における「各章の内容」の解説
第1章 オデュッセウスの傷痕 古代の叙事詩文体として、ホメーロスの『オデュッセイア』と旧約聖書のイサクの燔祭の2つをあげて比較し、対照的な世界観を述べる。ホメーロスの文では均一な照明、自由な発言、奥行きや発展のなさ、一義性などが見られ、旧約聖書は、光と影の対照、断続性、暗示や背景などを特徴とする。また、聖書は世界の歴史を全て神に結びつける必要があったため、のちにパウロと教父たちは旧約聖書の内容を、イエス・キリスト降臨を予告する比喩形象として解釈しなおしたとする。 第2章 フォルトゥナタ ローマ帝国の著作家として、ペトロニウスの『サチュリコン』におけるトリマルキオの饗宴と、タキトゥスの『年代記』の荘重体文体を取り上げ、近代のリアリズムの表現方法に近いと指摘する。同時に彼らのリアリズムの限界として鳥瞰的な描写を指摘し、ペトロニウスやタキトゥスが意識しなかった社会的地位の低い人々が、新約聖書では描かれているとした。例としてペテロの否認の逸話が引かれている。 第3章 ペトルス・ウァルウォレメスの逮捕 ローマ帝国後期から崩壊期にあたるアンミアヌス・マルケリヌスやヒエロニムスなどの文体を取り上げ、彼らがタキトゥスよりもさらに鳥瞰的で硬直していると論じる。その一方で、アウグスティヌスの文章は、古典的美文体と装飾法を用いつつも内心の葛藤を描いた優れた内容であるとした。 第4章 シカリウスとクラムネシンドゥス ローマ帝国崩壊後の司教であるトゥールのグレゴリウスの著書『フランク人の歴史』を読み、文語ラテン語の衰退を指摘する。同時に、セネカやアンミアヌス、ヒエロニムスらに見られた古代末期の陰鬱さや重苦しさがない点を指摘する。 第5章 ロランがフランク勢の殿軍に推挙された次第 武勲詩の『ロランの歌』や聖者伝『アレクシウスの歌』(Chanson d'Alexis) を通して、荘重体の表現の誕生、ラテン語から民衆の言葉への移り変わり、鳥瞰的ではなく個々の事件で人間が活動する描写をみる。 第6章 宮廷騎士の出立 クレティアン・ド・トロワの『イーヴァン』をはじめ、世界の具体的現実から離れて展開された騎士道物語やミンネ、宮廷叙事詩について述べる。 第7章 アダムとエヴァ 中世プロヴァンスの文芸からアダム劇を選び、イタリア文芸からヤコポーネ・ダ・トーディの受難詩を選んで読む。その2つに民衆の日常的な視点が出てきている点に注目する。また、イタリアの表現の自由さの一端として、アッシジのフランチェスコの伝承や書簡にもふれる。 第8章 ファリナータとカヴァルカンテ ダンテが『神曲』で書いた様式混交の文体は、当時のヨーロッパの地方語としては奇蹟的なほどに豊かであり、彼が当時のイタリア語の構文の枠を越えられたのは、ウェルギリウスを通して得た叙事詩の文体が助けだったと論じる。また、ダンテは比喩形象によって地上の出来事を彼岸へつなぎ、普遍的なキリスト教の世界観を形作ったとした。重要な登場人物であるウェルギリウス、ウティカのカトー、ベアトリーチェについて、地上の彼らの姿は彼岸での姿の比喩形象だとした。 第9章 修道士アルベルト ボッカッチョの『デカメロン』の中庸体が、イタリアの散文芸術の発生だとする。また、古典古代以来初めて、現在の事件を描いた文体が教養のある階級を楽しませるようになったとも指摘している。 第10章 シャステルの奥方 騎士アントワーヌ・ド・ラ・サール(英語版)の著書『マダム・フレーヌのなぐさめ』や、『結婚十五の歓び』を読み、イタリアの影響が及ぶ前のブルゴーニュのリアリズムをみる。 第11章 パンタグリュエルの口中の世界 ラブレーが『ガルガンチュワとパンタグリュエル』で描いた中世的世界の素材の再解釈を主題とする。彼の文章は本来の意図と機能を変更しているので反キリスト教的に見えるが、そうではなく、要諦は見方、感じ方、考え方が自由になった部分にあるとする。中世的リアリズムに対してラブレーは生物的リアリズムを扱っており、彼は中世の規範ではなくソクラテスを規範とした。 第12章 人間の本性 モンテーニュの『エセー』から、彼が初めて人間の生活、自分の生活を近代的な意味で問題にした人物であるとした。アウエルバッハは彼の著述について「人間の自己定位」という表現をしている。 第13章 疲れた王子 シェイクスピアの諸作品から、崇高さと低俗さの混合、悲劇と喜劇の混合という特色に注目する。キリスト教の観照の枠がゆるみはじめた16世紀に、古典古代とは異なる形で悲劇と喜劇が演じられるようになったとする。 第14章 魅せられたドゥルシネーア セルバンテスの『ドン・キホーテ』について、ヨーロッパにおいて、日常の現実をもっとも多層的に、無批判的に、無問題的に描いた作品だと評価した。狂気を前にした現実を描くという着想が、それを可能にしたとする。 第15章 偽信者 ラ・ブリュイエール、モリエール、ラシーヌなどの作品を通して、16世紀のフランス古典主義の文体が及ぼした影響力をみる。特に悲劇においては、悲劇的なものと現実的なものが徹底的に分離されたため、悲劇が日常の現実と接近することをさえぎった。この現象を、アウエルバッハは科学実験における単離処置にたとえた。 第16章 中断された晩餐 アベ・プレヴォの『マノン・レスコー』と、ヴォルテールの『カンディード』の文体から、18世紀以降のリアリズムと真面目さの接近を説く。さらにリアリズムと真面目さが融合した文芸として回想録や日記をあげ、最も重要な作家として、あらゆる出来事を文章の材料としたサン=シモンに注目した。 第17章 楽師ミラー ドイツの文芸に目を向け、シュトゥルム・ウント・ドラングを、市民的リアリズム、理想・政治、人権思想が初めて結合した時代だと論じる。ゲーテやシラーの作品をあげつつも、それらは同時代を扱うリアリズムとはならなかったと結論づけた。 第18章 ラ・モール邸 近代リアリズムの2つの特徴として、1つは地方小市民の現実、もう1つは日常茶飯事が歴史上の一時期にはめこまれていることをあげる。当てはまる作家として、近代リアリズムの創始者とも呼べるスタンダール、『人間喜劇』を書いたバルザック、公正無私、非人称、即物的なリアリズムの『ボヴァリー夫人』を書いたフローベールを選んでいる。 第19章 ジェルミニイ・ラセルトゥー 小説『ジェルミニイ・ラセルトゥー』で下層社会の人々を描くことを主張したゴンクール兄弟の姿勢に、実験生物学的な思考を見る。ゴンクール兄弟は近代リアリズムを推進し、病的な美的経験の発見者でもあったため、娯楽作を求める当時の読者層を攻撃したと論じる。その後に登場したリアリズム作品としてゾラの『ジェルミナール』を取り上げ、ドストエフスキーに代表されるロシアのリアリズムの強烈な経験をあげる。 第20章 茶色の靴下 ヴァージニア・ウルフの『燈台へ』の一節にある体験話法と内的独白を引き、現代のリアリズムの特徴として、多人数の意識の描写、外的な時間と内的な時間の対照的な長さ、語り手の視点の移動を列挙する。そして意識と時間の重層性を描いた作品として、プルーストの『失われた時を求めて』、ジョイスの『ユリシーズ』も論じた。また、この種の作品は、些細な出来事を、筋の進行のためでなくそれ自体のために重んじる過程で生の深さが現われるとしている。
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「Disquisitiones Arithmeticae」の記事における「各章の内容」の解説
ラテン語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。Disquisitiones arithmeticae D. A. は次の7章から成る(各章の題は高瀬訳のもの)。また、章より細かな単位で通し番号が付けられており、366条から成る。 第1章: 数の合同に関する一般的な事柄(第1条 - 12条) 第2章: 一次合同式(第13条 - 44条) 第3章: 冪剰余(第45条 - 93条) 第4章: 二次合同式(第94条 - 152条) 第5章: 二次形式と二次不定方程式(第153条 - 307条) 第6章: これまでの研究のさまざまな応用(第308条 - 334条) 第7章: 円の分割を定める方程式(第335条 - 366条) 第1章から第3章は、ガウス以前の研究をまとめたものであり、フェルマーの小定理(第3章第50条)、ウィルソンの定理(第3章第76条)、素数を法とした原始根の存在定理(第3章第54条、55条)などの内容を含む。ここにガウス自身の研究成果は少ないが、これらを系統的に論じたことには価値がある。算術の基本定理、すなわち整数が一意に素因数分解されるという性質の重要性に初めて気付いたのはガウスであり、第2章第16条で証明が与えられている。第2章第42条では、多項式に関するガウスの補題(英語版)が証明されている。この補題は第7章で用いられる。 第4章より先は、ガウス自身の研究成果を多く含む。第4章の中心的な話題は平方剰余の相互法則(第131条)である。第5章は、D. A. の半分以上のページを占めており、二変数二次形式について幅広く議論している。第6章では、様々な応用について論じており、例えば素数判定および素因数分解の方法を2通り与えている。最後の第7章は、円周の等分に関する理論であり、1の冪根や円分多項式について議論している。特に、正多角形が定規とコンパスによる作図で構成可能であるための条件を与えている(最終第365条、366条)。 ガウスは、高次の合同式に関する、第8章に相当するものを書いていたが、完成することなく、死後に部分的に公表された。
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ヘーゲルの歴史哲学は『歴史哲学講義』序論において詳述され、世界各地の文明に関する歴史観は本論において提示されている。本書のうち、序論がヘーゲル主義の歴史哲学における核心部分である。本論は、第一部に東洋世界、第二部にギリシア世界、第三部にローマ世界、第四部にゲルマン世界が続き、ヘーゲルの世界史論が展開される。停滞的な東洋古代の世界を提示しつつ、これとは対照をなす発展の歴史を辿ったヨーロッパ史に焦点を当てた構成をとっている。ヘーゲルは、ヨーロッパにおける世界史の展開というものを、ギリシア・ローマ時代を萌芽として定めつつ、中世のゲルマン世界を経て、彼の講義を聴講した学生たちが生きた近代の立憲君主国家プロイセン王国へと移行するものとして提示し講義を展開した。そのため人々が因習や迷信に支配され未だに文明化を遂げていないアフリカなど熱帯地域や自然環境が厳しい極地は講義対象から除外されている。 ヘーゲルは歴史考察のパターンを三つに分類する。事実そのままを同時代的に記録した「初歩的歴史」と、個人や民族、宗教など個別的な事柄を対象にしつつ、歴史から何かの意味や教訓を引き出そうとする「反省的歴史」、そして世界史そのものを大づかみに把握して、歴史を動かした指導原理や駆動力を見出して、思弁的に考察して思想によって整合化させつつ、全体史的に普遍的な原理に再構築した「哲学的歴史」とに分類した。ヘーゲルは自身の歴史認識は「哲学的歴史」に属していると位置付けている。
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