ユリシーズ【Ulysses】
ユリシーズ
分類:月・惑星探査
名称:ユリシーズ(Ulysses)
小分類:太陽・深宇宙探査
開発機関・会社:ヨーロッパ宇宙機関(ESA)
運用機関・会社:ヨーロッパ宇宙機関(ESA)
打ち上げ年月日:1990年10月6日
打ち上げロケット:スペースシャトル・ディスカバリー
打ち上げ場所:ケープカナベラル空軍基地
ユリシーズ計画は、アメリカとヨーロッパ宇宙機関(ESA)との共同計画です。これまでの惑星探査帰太陽探査機は、すべて太陽系の黄道面(惑星の公転する面)に沿って太陽を周回していましたが、ユリシーズ計画では初めて、黄道面から大きく外れた領域に探査機を送り込むのが目的でした。探査機をヨーロッパ側で製作し、アメリカがスペースシャトルで打ち上げました。初めは1986年に打ち上げられる予定でしたが、スペースシャトル・チャレンジャーの爆発事故で予定より遅れ、1990年の打ち上げになりました。そのため太陽活動周期の、一番激しい頃に観測をおこなうはずだったのが、逆に一番穏やかな太陽を観測することになりました。
1.どんな形をして、どんな性能を持っているの?
直径1.65mの高利得アンテナを備えた箱型です。打ち上げ時の重量は371kgです。
2.どんな目的に使用されたの?
両極上空から見た太陽活動の観測です。
3.宇宙でどんなことをし、今はどうなっているの?
初めて緯度32度以上の高度から太陽活動を観測。5.4AUの遠日点に向けて飛行したあと、太陽に向かう途中で木星周辺の空間を観測します。
4.打ち上げ・飛行の順序はどうなっているの?
1992年2月8日木星から約38万kmを通過、重力アシストで黄道面にほぼ直角に方向転換して、太陽の南極上空を目指しました。1994年6月から11月に太陽の南極上空を通過し、太陽から1.34AUの近日点を通過した後、1995年6月から9月に北極上空を通過しました。2000年11月27日、再び太陽の極の上空を通過しました。
ユリシーズ
ユリシーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/11 03:15 UTC 版)
『ユリシーズ』(Ulysses)は、アイルランドの作家ジェイムズ・ジョイスの小説。当初アメリカの雑誌『リトル・レビュー』1918年3月号から1920年12月号にかけて一部が連載され、その後1922年2月2日にパリのシェイクスピア・アンド・カンパニー書店から完全な形で出版された。20世紀前半のモダニズム文学におけるもっとも重要な作品の一つであり[1]、プルーストの『失われた時を求めて』とともに20世紀を代表する大長編小説とみなされている[2][3]。
- 1 ユリシーズとは
- 2 ユリシーズの概要
ユリシーズ(1992年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 06:29 UTC 版)
「木星探査」の記事における「ユリシーズ(1992年)」の解説
「ユリシーズ (探査機)」も参照 1992年2月8日、ユリシーズは木星の北極から451,000kmの位置を通り過ぎた。このフライバイは、ユリシーズを超高軌道傾斜角の太陽軌道に投入するために必要であり、黄道に対する傾斜角は80.2°に増加した。巨大惑星の重力は、探査機の飛行経路を軌道平面から離れて内側に曲げ、太陽の北極と南極を通る最終的な軌道に投入した。探査機の軌道の大きさと形はより小さな角度に調節され、その結果、遠日点を約5天文単位(木星と太陽の距離)に置いたまま、近日点を約1天文単位(地球と太陽の距離)にした。木星への接近中、探査機は木星の磁気圏を測定した。探査機にはカメラは搭載されなかったため、画像は撮影されなかった。2004年2月、探査機は再び木星に接近した。この時は、惑星からの距離はもっと大きく、約2億4000万kmであったが、木星をさらに詳しく観測した。
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(※)ユリシーズ
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25歳→28歳。ベオク。『蒼炎』および『暁』に登場。クラスは『蒼炎』では賢者。『暁』では大賢者(アークセイジ)。属性は風。
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ユリシーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/17 01:57 UTC 版)
「エメリア・エストバキア戦争」および「大陸戦争 (ACE COMBAT)」も参照 1996年、1994年に発見された小惑星ユリシーズの地球衝突が確定的である事が発表される。発表時点での国際天文学連合(IAU)の予測では、突入時に分散した小惑星の破片による被害は、ユージア大陸を中心とした地域とされていた。しかし、探査衛星による継続調査が行われ、その結果を受けた1998年7月の被害予測パターンの月次更新報告では、ユリシーズによる被災範囲は当初よりも大幅に拡大し、北極を挟んでアネア大陸の東部にまで破片が降り注ぐ可能性が示唆された。 発表当初(公式発表以前の協議も含めれば更に以前)より対策を練っていたユージア大陸の各国とは異なり、突然の報にエストバキア連邦を始めとしたアネア大陸各国は計り知れない衝撃を受け、各地では大規模デモの寸前まで至った。それまで講じられていた対策では広がった被害予想地域に対処する事は不可能である為、ユリシーズの落着まで残り1年という短い期間でアネア大陸の各国が独自に対策を採る必要に迫られ、時間・資源・技術の何れもが絶対的に不足していたからである。 エストバキア連邦でも、隕石迎撃の手段として超大型レールガン「シャンデリア」と、その弾体であるミサイルコンテナ「スタウロス」を開発してはいた。しかし、技術的な問題から開発が難航した上に、各国が独自に進めていた迎撃システムの兵器転用の危険性が指摘され、世界的に開発差し止めを求める動きが広まった。シャンデリアは完成の目処が立たないまま、砲身の一部が建造されるに留まり、エストバキア連邦はユリシーズの破片の落着を受けて甚大な被害を受けた。
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「ユリシーズ」の例文・使い方・用例・文例
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