うしなわれたときをもとめて〔うしなはれたときをもとめて〕【失われた時を求めて】
失われた時を求めて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/13 08:36 UTC 版)
『失われた時を巡って』(うしなわれたときをめぐって, À la recherche du temps perdu)は、マルセル・プルーストによる長編小説。プルーストが没時まで執筆校正した大作で、1913年から1927年までかけ全7篇が刊行された(第5篇以降は作者没後に刊行)[5][6]。長さはフランス語の原文にして3,000ページ以上[7][8]、日本語訳では400字詰め原稿用紙10,000枚にも及び[8][6][9][注釈 2]、「最も長い小説」としてギネス世界記録で認定されている[10]。ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』などと共に20世紀を代表する世界的な傑作とされ、後世の作家に多くの影響を与えている[11][12][9]。
注釈
- ^ 加筆修正のための余白がなくなると、プルーストは図のように大きな付箋を貼り付けてその上に加筆を行なっていた。プルーストは、この付箋を「パプロル」と呼び、草稿段階でも多用した[1]。
- ^ 一般的な長編小説の10冊分にあたり、『源氏物語』の数倍の長さである[6][9]。
- ^ 最初の第1巻刊行前の1913年7月には、第1巻を『一杯のお茶のなかの庭』あるいは『名前の時代』にし、第2巻を『言葉の時代』、第3巻を『物の時代』にする構想もあった[32]。
- ^ プルーストは初め第6篇に『逃げ去る女』という題を考えていたが、このころタゴールの小説が同じ題で仏訳されていたため『消え去ったアルベルチーヌ』という題も考えて迷っていた[1]。
- ^ 明示されていないが、これは大人になった語り手が療養所(サナトリウム)で過ごしている時代であることは、前段階の草稿などから看取されている[7][20]。
- ^ 少年期の回想の舞台コンブレーのモデルになったのは父親アドリヤンの故郷である、シャルトル大聖堂で有名なシャルトルから西に20キロメートルの所にある田舎町のイリエである[36]。小説が有名になったため、現在の町の名前はイリエ=コンブレーと呼ばれている[3][6]。
- ^ このように、ある特定の香りから、それにまつわる過去の記憶 (Involuntary memory) が呼び覚まされる現象は、心理学・神経学では「プルースト現象」として知られているが、これは本作に由来する命名である[37]。
- ^ ルイ・ド・ルヴロワ・ド・サン=シモン公爵は『回想録』の中で、ルイ14世を「並以下の知性」「滑稽きわまる愚行」などと辛辣に批判し、ルイ14世の死後の宮廷の様子も記していた[32]。
出典
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- ^ “(寄稿)困難な時代に与える勇気 プルースト生誕150年、現代への指針 吉川一義:朝日新聞デジタル”. (2021年10月7日)
- ^ 処女作の単著は『心の間歇』(弘文堂書房・世界文庫、1940年)を刊行。新書判の抜粋訳
失われた時を求めて(À la Recherche du temps perdu)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 15:03 UTC 版)
「マルセル・プルースト」の記事における「失われた時を求めて(À la Recherche du temps perdu)」の解説
小説と評論の2部構成で考えられていた上述の「サント=ブーヴに反論する――ある朝の思い出」は、出版社に断られるなどしながら改稿を続けるうち次第に構成変更と加筆が繰り返されて、やがて『失われた時を求めて』の題を持つ壮大な自伝的小説へと変貌していった。1913年11月に第1篇(第1巻)『スワン家のほうへ』がグラッセ社より刊行された時にはまだ3篇構成の予定だったこの作品は、前述したようなアゴスチネリの事件などを経てさらに大幅な加筆がなされ、最終的に7篇の構成、総計3,000ページにわたる長大な作品となった。
※この「失われた時を求めて(À la Recherche du temps perdu)」の解説は、「マルセル・プルースト」の解説の一部です。
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