古代末期とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 時間表現 > 時間 > 時代 > 時代区分 > 古代末期の意味・解説 

古代末期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/06 09:23 UTC 版)

古代末期(こだいまっき、英語: Late Antiquity, ドイツ語: Spätantike, フランス語: Antiquité tardive)は、ヨーロッパ史における時代区分で、古典古代から中世中世初期)への変遷の説明に用いられる。




注釈

  1. ^ キリスト教的君主制の絶対主義的傾向に対する同時代のイスラームの特質への一見解について以下を参照。Garth Fowden, Empire to Commonwealth: Consequences of Monotheism in Late Antiquity, Princeton University Press, 1993.
  2. ^ オックスフォードのピーター・ヘザーが発展させた近年の一仮説は、ゴート族、フン族の帝国、そして406年の侵略者たち(アラン族、スエヴィ族、ヴァンダル族)のライン河越えを、西ローマ帝国衰退の直接的原因と仮定している; The Fall of the Roman Empire: a New History of Rome and the Barbarians, OUP 2005.

出典

  1. ^ a b Brown, Bowersock, Graber, Late Antiquity: A Guide to the Postclassical World (Harvard University Press Reference Library) 1999年
  2. ^ a b c d e f g h i j k 南雲泰輔「英米学界における「古代末期」研究の展開」西洋古代史研究 = Acta academiae antiquitatis Kiotoensis (2009), 9: 47-72,2009-12-01
  3. ^ ミハイル・ロストフツェフ『ローマ帝国社会経済史』東洋経済新報社 (2001)上下
  4. ^ A. Giardina, “Esplosione di tardoantico,” Studi storici, 40 (1999).
  5. ^ 南雲 2016, pp. 11-24.
  6. ^ グレン・バウアーソック Glen W. Bowersock, “The Vanishing Paradigm of the Fall of Rome,” Bulletin of the American Academy of Arts and Sciences, 49. 8 (May 1996) p.34.
  7. ^ 南雲 2016, pp. 24-31.
  8. ^ 南雲 2016, pp. 198-199.
  9. ^ パーキンス 2014.
  10. ^ Eusebius of Caesarea, Vita Constantini, 3.5-6, 4.47.
  11. ^ Brown, Authority and the Sacred.


「古代末期」の続きの解説一覧

古代末期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 15:53 UTC 版)

ネオプラトニズムとキリスト教」の記事における「古代末期」の解説

悪の起源である善の欠如(en:privatio boni)や、その善の欠如人間の罪に由来することといったネオプラトニズム中心教義は、ヒッポのアウグスティヌスによって、彼のマニ教からキリスト教への遍歴の上一時的に哲学的問題として扱われたのみであった。おそらくもっと重要なことに、プロティノスポルピュリオスの著作において強調されている、神つまり一者出会うたの手としての神秘的瞑想アウグスティヌス深く影響したアウグスティヌスはその著書「告白」において、明らかにネオプラトニズムモデルに従っている少なくとも二つ神秘的体験について述べている。「告白」第7巻の「プラトニストの書」という節で彼が重要な発見をしたと述べているところによれば、アウグスティヌス霊的実体としての神及び人の魂の概念ネオプラトニズム負っている。 387年改宗し数年後に「真の信仰について」という論文書いてアウグスティヌスキリスト教ネオプラトニズムによってさらに磨き上げられたが、最終的にアウグスティヌスネオプラトニズムを完全に放棄して自身聖書解釈基づいたキリスト教選んだ。 他にも多くキリスト教徒が、特にネオプラトニズム一者つまり神をヤハウェ同一視することによってネオプラトニズムから影響受けたその中で最も影響力があったのはアンモニオス・サッカスから教え受けたかもしれないオリゲネス(後世異教徒オリゲネス呼ばれる人物アンモニオス・サッカスから教え受けたオリゲネスだったかもしれないのでこれは確実ではない)や、偽ディオニュシオス・ホ・アレオパギテースの名で知られる5世紀後半著述家であろうネオプラトニズムグノーシス主義ともつながり持ったが、プロティノス自身著書エンネアデス第2巻第9論文においてグノーシス主義非難している。「エンネアデス第2巻第9論文には「宇宙の創造者や宇宙それ自体が悪であると主張する者ども抗して」(一般的にはグノーシス主義者らに抗して」として知られる)という表題つけられている。 ネオプラトニストらは自分たちがプラトン思想基づいていると信じていたために、プラトンティマイオス論じた物質的世界つまりコスモス創造者であるデーミウルゴス対すグノーシス主義者たちの中傷拒絶したJohn D. Turner教授のような学者ネオプラトニズム正統派プラトン哲学呼んできたが、これは部分的には、プロティノスが「エンネアデス」を通じてプラトン哲学定まった解釈論駁ようとしたことによるのかもしれないプロティノスグノーシス主義者たちが本来のプラトン教説崩壊させたと信じていた。 こういった哲学キリスト教影響与えたにもかかわらずユスティニアヌス1世再建されアカデメイア529年閉鎖することによって後期ネオプラトニズム損害与えたアカデメイア閉鎖されたのに続いて世俗的なコンスタンティノープル大学開学した。コンスタンティノープル大学はこれ以前は公式には大学呼ばれなかったが、実質的に425年にマグナウアの宮殿広間大学として創建されていた。コンスタンティノープル大学大学呼ばれる前から長年わたって学術的な公共機関であった。元々の機関テオドシウス2世によって作られた。

※この「古代末期」の解説は、「ネオプラトニズムとキリスト教」の解説の一部です。
「古代末期」を含む「ネオプラトニズムとキリスト教」の記事については、「ネオプラトニズムとキリスト教」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「古代末期」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「古代末期」の関連用語

古代末期のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



古代末期のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの古代末期 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのネオプラトニズムとキリスト教 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS