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てつがく 2 0 【哲学】
(1)世界や人間についての知恵・原理を探究する学問。もと臆見や迷妄を超えた真理認識の学問一般をさしたが、次第に個別諸科学が独立し、通常これらと区別される。存在論(形而上学)、認識論(論理学)、実践論(倫理学)、感性論(美学)などの部門をもつ。
(2)自分自身の経験などから得られた基本的な考え。人生観。
「社長の経営術には一つの―がある」
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哲学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/06 13:17 UTC 版)
哲学(てつがく、古希: φιλοσοφία、英: philosophy、独: Philosophie )とは、古代ギリシャでは学問一般を意味し[1]、18世紀末~19世紀をとおしての諸科学の分化独立と諸技術の組織洗練によって、現代では専ら、特定の学問分野を指す。
- 学問一般[注 1]。
- 問題の発見や明確化、諸概念の明晰化、命題の関係の整理といった、概念的思考を通じて多様な主題について検討し研究する、学問の一分野[注 2]。なお、この意味の哲学に従事する学者を哲学者と呼ぶ。
- 哲学者の哲学研究の成果も「ソクラテスの哲学」などというように、哲学と呼ばれる。「ウィトゲンシュタインを専攻している」などと言うように、哲学者の名がその哲学者の哲学を指す場合もある。
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脚注
- ^ ただし、古代ギリシャから19世紀ごろにかけて
- ^ (現代の)“哲学”に関する学問は人文科学に含まれる(分類される。カテゴライズされる。)。人文科学は文化科学とも呼ばれる。出典は広辞苑。
- ^ 元津和野藩士
- ^ 『百一新論』 - 近代デジタルライブラリー
- ^ この「哲学」という表現は中国語にも移入され、同言語でも「哲学」と表現するようになった。
- ^ 西周は主觀・客觀・概念・觀念・歸納・演繹・命題・肯定・否定・理性・悟性・現象・藝術(リベラルアーツの訳語)・技術など、西欧語のそれぞれの単語に対応する日本語を創生した。
- ^ 実存哲学とも呼ばれる。
- ^ 例えば、「神とは何か」
- ^ 例えば、「理性は人間にとって生与のものか」
- ^ 例えば、「諸存在の本質はひとつであるとする立場と、諸存在の本質は多様であるとする立場の主な争点は何か」
- ^ 主題の追求の方法として、「頭の中で、言葉なくして思考し、言葉を表出させる」、つまり現代で言えば言葉による象徴化の作用を伴う明晰化や、ソクラテス的な問答法、対話、弁証法、観想等がある。
- ^ 著作をものさず、主に討論に時間を費やしたソクラテスの思想は彼の死後弟子達の著作によって残り、またプラトン・アリストテレスの影響力は中世ヨーロッパに至るまで、分野によっては近代まで、多大なものがあった。
- ^ プラトンは数学・幾何を重要視し、フランシス・ベーコンは科学的な発見・発明を重んじた。
- ^ デカルトは、懐疑主義のどのような途方もない想定をもってきても、「わたしは考える、故にわたしは存在する」という彼にとっての真理は覆せず、よって彼はこれを哲学の第一原理とした。
- ^ 例えば太陽の周りを惑星が円軌道を描いて回転しているというアリスタルコスの仮説は、後世のコペルニクスによって(おそらくそうと意識してではないだろうが)復活させられた。後のケプラーが、軌道が太陽を中心としてではなく焦点とした楕円状であることを見いだし、次いでニュートンが、軌道が厳密には楕円でさえないことを発見した。仮説は、どんなに突飛に見えようと、自然を新たな見方でとらえることを可能にし、ある程度まで科学の進歩に寄与することが'ありうる'。
- ^ もっとも、物理学の哲学の一分野としての時空論においては、哲学者と物理学者のより密接なコラボレーションが実現している。
- ^ ただし近年では数学基礎論やコンピュータサイエンスとの学際化が進展しており、哲学の一分野とは言いにくい状態になりつつある。
- ^ アリストテレスは論理学において長い間至高の地位を占め続けた。彼のもっとも重要な業績は三段論法の説である。古代ギリシャ人は演繹を重要視する半面、帰納を軽視した。帰納法の発展は近代においても真に遅々たるものであった。
- ^ 今日では神の存在の合理的な説明の試みも迷信的に映るのが大部分であるが、数学理論や観測技術の発展など時代の制約を考慮する必要がある。また、根源的・本質的な部分においてこの問いは解明されたとすることはできないだろう。
- ^ そもそも教義を持たない宗教[要出典]もあるので、全ての宗教がドグマを絶対視するわけではない。
- ^ 仏教ではその成立期においては(原始仏教)、外の超越者を持たなかったため「神」へのタブーそのものが無く、内観など別の形で哲学的思考が発達したとされる。一方、仏陀は神々なる存在を徐々に観念に置き換えようとする試みをしていた、という心理学者の意見[要出典]もある。また日本の仏教では、例えば親鸞が、理屈抜きに阿弥陀如来の救いを信じるよう説いていた。
- ^ もっとも、哲学にも師の考え・言葉をそのまま数百年間継承した歴史もあることや、神学の中で様々な論争があったり、新たな宗派・教派が生まれ続けていたりすることもあり、単純化して比較することは困難である。
- ^ 不思議なことに、脳の特定の箇所を刺激すると、「白い光に包まれたような感じがした」、「キリストの姿を見た」等と被験者が告げる現象が、脳科学者[誰?]から多数報告されている。たいていそれらは、いわゆる宗教的な高揚感を伴っていた。脳科学者の中には必ずしも「神」を否定しない人、肯定する人もおり、彼らは宗教者むけに「神が己の恩寵を感知する器官を人に授けた」のかもしれない、といった解釈を伝える。
- ^ 古代ギリシャのプラトンやアリストテレスらの倫理的思索と異なって、ニヒリスト的哲学は、社会的に見て、かえって悪い結果、不幸を多くの人々に現実に作り出してしまう思考形態である、ということ。
- ^ 日本哲学会における女性会員の比率は1割に満たない。男女共同参画ワーキンググループ (2006年3月4日). “日本の文系学会における女性役員等比率”. 日本哲学会. 2008年8月6日閲覧。
- ^ 哲学者タレスが貧乏であったために、フィロソフィアと貧困を勝手に結び付け、哲学は役に立たないとの印象を誤って持つ者が現れたので、タレスは自分の知識を応用してたくさんお金を儲けて見せることで、フィロソフィアは全てに関するものを(実用的な知識まで含めて)含んでいて、哲学者はそれを活かすことができるのであって、(自分の利便や金儲けなどが一番重要だと感じている、その感情、考え方が実はおかしいのであって)哲学者はそれを知っていて、その重要なこと、別の意味で本当に役に立つこと、を探求しなければならないから探求しているのだ、ということを示した、ということである。それは、例えば、古代ギリシャにおいては倫理的な探求だったのである。
- ^ また、森岡正博は「現代において哲学するとはどのようなことなのか」において、次のようなことも述べている。 「もし、現代社会とそこに生きる人間の姿を問うことをその中心に据える哲学があるとすれば、それは文献学・解釈学を中心に据える哲学ではなく、自分自身がこの社会を生きるその実践のプロセスのただ中において思索を深めていくという形の実践学を中心に据える哲学になるはずだ」(p.25)「実践学としての哲学においては、テキスト読解のかわりに、実人生と実社会の読解が入り口となる」「重視されるのは、テキスト解釈ではなく、『フィールドワーク』である。」「『私がよりよく生き、よりよく死ぬ』ために哲学をしている」「それをめざすためにはいくらテキストを読んでも解釈していてもだめなんだということが分かった」「そこから足を洗い、そのかわりに、自分の人生そのものをフィールドとして、自己とは何か、現代社会とは何か、他者とは何かを自分の頭とことばで気の済むまで探究しているのである」「われわれが知らない過去の無数の哲学者たちは、なんのことはない、こういう営みを日々続けていたのだろうから、私もまたそれをするだけのことなのである。」(p.27)「私がいう実践学というのは『実践』についての哲学的議論をするということではない。」「そうではなくて、この私やあなたが、実際に、この世界のなかで実践していくということだ」(p.27)
出典
- ^ 『広辞苑』
- ^ 『広辞苑』
- ^ 『ブリタニカ国際大百科事典』【哲学】冒頭部、p.630
- ^ 平凡社『世界大百科事典』【哲学】冒頭部、第19巻 p.142
- ^ 『ブリタニカ国際大百科事典』【哲学】冒頭部、p.630
- ^ 平凡社『世界大百科事典』【哲学】冒頭部、第19巻 p.142
- ^ 『日本大百科全書』【哲学】冒頭部 p.138
- ^ 『ブリタニカ国際大百科事典』【哲学】冒頭部、p.630
- ^ 『日本大百科全書』【哲学】冒頭部 p.138
- ^ 『日本大百科全書』【哲学】冒頭部 p.138
- ^ 『日本大百科全書』【哲学】冒頭部 p.138
- ^ 『ブリタニカ国際大百科事典』【哲学】冒頭部、p.630
- ^ 『日本大百科全書』【哲学】冒頭部「哲学の方法」p.138
- ^ 『広辞苑』
- ^ 『ブリタニカ国際大百科事典』【哲学】冒頭部、p.630
- ^ 平凡社『世界大百科事典』【哲学】冒頭部、第19巻、p.142
- ^ 『岩波 哲学・思想事典』【哲学】p.1119
- ^ 小学館デジタル大辞泉「窮理」[1]
- ^ PHP 哲学
- ^ a b 高野繁男「『哲学字彙』の和製漢語―その語基の生成法・造語法」『人文学研究所報』37: 97p, {{subst:和暦/sandbox|2004}}
- ^ 『ブリタニカ国際大百科事典』【哲学】冒頭部、p.630
- ^ 平凡社『世界大百科事典』【哲学】冒頭部、第19巻、p.142
- ^
周敦頤: 通書#.E5.BF.97.E5.AD.B8.E7.AC.AC.E5.8D.81 - ウィキソース - ^ 平凡社『世界大百科事典』【哲学】冒頭部、第19巻、p.142
- ^ KO字源「哲」[2]
- ^ wikt:哲
- ^ 『日本大百科全書』【哲学】冒頭「哲学の対象」 p.138
- ^ 『日本大百科全書』【哲学】冒頭「哲学の対象」p.138
- ^ 『哲学の歴史 1巻』, p. 328-330
- ^ 『日本大百科全書』【哲学】冒頭「哲学の対象」p.138
- ^ 『日本大百科全書』【哲学】冒頭「哲学の対象」 p.138
- ^ 『日本大百科全書』【哲学】冒頭「哲学の対象」 p.138
- ^ 『日本大百科全書』【哲学】冒頭「哲学の対象」p.138
- ^ 『日本大百科全書』【哲学】冒頭「哲学の対象」p.138
- ^ 『日本大百科全書』【哲学】冒頭「哲学の対象」p.138
- ^ 『日本大百科全書』【哲学】冒頭「哲学の対象」p.138
- ^ 『日本大百科全書』【哲学】冒頭「哲学の対象」 p.138
- ^ マイペディア、電子辞書PW-A8000所収
- ^ 『哲学者とは何か』中島義道
- ^ この項目「経営哲学の試み--経営思想と峻別した経営哲学体系」日置弘一郎(京都大学經濟論叢, 175(3): 175-191、2005-03)[3]から起筆した。
- ^ 永井均[1997] 『(子ども)のための哲学』講談社。この脚注は日置(2005)にもとづく
- ^ 純粋理性批判第二版865頁
- ^ Politics,1259a
- ^ 参考文献:バートランド・ラッセル『西洋哲学史1』市川三郎訳,みすず書房、p.35
- ^ カレン・グロイ『「ポスト哲学の時代」における哲学』(翻訳)とそれへの短評
種村完司 鹿児島大学教育学部研究紀要 Vol.54(20030318) pp. 67-80 鹿児島大学 ISSN:03896684 [4]PDF5頁以降 - ^ 「現代において哲学するとはどのようなことなのか」森岡正博(森岡正博全集第一巻P19-28 1999年)[5]
「哲学」の用例一覧
三木清 哲学入門 (青空文庫)
三木清 哲学入門 哲学入門 三木清 序 哲学に入る門は到る処にある。諸君は、諸君が現実におかれている状況に従って、めいめいその門を見出すことができるであろう。ここに示されたのは哲学...
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太宰治 多頭蛇哲学 多頭蛇哲学 太宰治 事態がたいへん複雑になっている。ゲシュタルト心理学が持ち出され、全体主義という合言葉も生れて、新しい世界観が、そろそろ登場の身仕度を始めた。 古い...
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