歴史哲学
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歴史哲学(れきしてつがく、英語:philosophy of history)は、歴史学のあり方、目的などについて考察を加える哲学の一分野である。
注釈
- ^ P.K.クロスリーは『グローバル・ヒストリーとは何か』p154にて「多くのグローバル・ヒストリーの著者が、歴史家ではなく、経済学者や社会学者や政治学者や自然科学の専門家、さらには-H.G.ウェルズのように-小説家であ」る、と指摘し、各著作を分析している
- ^ 他に、体系的記述、経歴、変遷、物語などの意味がある。
- ^ 他に、物語、説話、話術などの意味がある。
- ^ 「物語」ではなく、「物語り」である。野家啓一は、『物語の哲学』(pp. 299–301)、『歴史を哲学する』(pp. 150–151) にて、しばしば「物語り(narrative)」が「物語(story)」と混同され多大な誤解を招いたとして、両者の区別を主張し、多くの論者が「物語り」として実践している(論集『岩波講座哲学<11>』など)が、未だ不徹底さが残る
- ^ 物語り論とは、歴史哲学だけではなく、歴史学にも適用されるものである
- ^ 『物語の哲学』(p. 164) では「物語り」は「間主観的妥当性」を持つものであり「共時的整合性」と「通時的整合性」という論理整合性を持つもの、と論じられる (p. 322)
出典
- ^ ウォルシュ『歴史哲学』、p10、1951年
- ^ Rolf Gruner, "The concept of speculative philosophy of history," Metaphilosophy 3(4)
- ^ The Continuing Relevance of Speculative Philosophy of History, Journal of the Philosophy of History
- ^ Philosophy of History, Stanford Encyclopedia of Philosophy
- ^ “What is Intellectual History?”. historytoday.com
- ^ 『岩波講座 哲学 <11> 歴史/物語の哲学』p247-249、『「世界史」の世界史』13章「実証主義的「世界史」」
- ^ アーサー・ダントー著・河本英夫訳『物語としての歴史―歴史の分析哲学』(国文社,1989年)
- ^ 野家啓一『物語の哲学』p318-319。野家もこの立場である
- ^ ここでは『岩波講座哲学<11>歴史/物語の哲学』「概念と方法」の章の枠組みに従う
- ^ 前掲書p238
歴史哲学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 00:39 UTC 版)
「ニコライ・ベルジャーエフ」の記事における「歴史哲学」の解説
ベルジャーエフは、「人間は<歴史的なものの>中にあると同時に<歴史的なもの>は人間的なものの中にある」とする。各個の人間は、世界全体と過去のすべての偉大な歴史的時代が反映されたミクロコスモスであるというのである。 彼は過去、現在、未来を分割して考えることを批判する。そのような歴史観は刹那の連続に過ぎず、本来実在的な<歴史的なもの>が否定されてしまう。<歴史的なるもの>の体得のためには過去から連なる「伝統」と「記憶」が重視される。民族の記憶と象徴的伝統の中に開示される内的生命が歴史に意味を与えるのである。
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歴史哲学
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詳細は「初期ムスリム社会学」を参照 歴史学を主題とする最初の研究と、歴史学研究法に対する最初の批判的考察はアラブ人でアシュアリー派の博学者イブン・ハルドゥーン(1332年 - 1406年)の作品に現れる。彼は、特に『歴史序説』(「プロレゴメナ Prolegomena」とラテン語訳される)と『助言の書』(Kitab al-Ibar)を書いたことで、歴史学、文化史、歴史哲学の父とされる。また、彼の『歴史序説』によって歴史上の主権国家、コミュニケーション、プロパガンダ、組織的バイアスの研究の基礎が築かれていて、彼は、文明の盛衰を論じている。 フランツ・ローゼンタールは著書『ムスリム歴史学の歴史』で以下のように述べている: 「ムスリム歴史学は歴史的にイスラーム圏の学問一般の発展と密接に結び付いてきた。イスラーム圏の教育における歴史的知識の地位は歴史に関する文献の知的レベルに決定的な影響を及ぼしてきた[…]ムスリムは歴史の社会学的理解と歴史学の体系化において歴史の文献の中で一定の成果を上げてきた。近代歴史学的文献の発展はそれによって17世紀以降の西洋の歴史家が異文化の目を通して世界の広い領域を見ることができるようになったところのムスリムの著作の利用を通じて速度と内容において相当に進んできた。間接的にムスリム歴史学によってある程度今日の歴史思想が形作られた。」
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歴史哲学
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カントは人類の歴史を、人間が己の自然的素質を実現するプロセスとして捉える。人間にとっての自然的素質とは、本能ではなく理性によって幸福や完璧さを目指すことである。
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歴史哲学
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「フランティシェク・パラツキー」の記事における「歴史哲学」の解説
カント哲学に影響を受け、ヒューマニストとしてパラツキーは人間性を信じ、「民族」とは人類の一体化という目的のための一手段に過ぎない、と説く。パラツキーの祖先はアウクスブルク信仰告白によってルター派に改宗する以前はモラヴィア兄弟団に所属していた。パラツキーはその精神的伝統に、カントの「至上命令」に関する教えを結びつけた。つまりチェコの宗教改革の意義は、神学上の変更にはなく道徳上の進歩にある。モラヴィア兄弟団においてカトリックとプロテスタントの教義は相互に浸透し合い、キリスト教はこれまでで最高の水準に達した、モラヴィア兄弟団は歴史的発展の終局点である、と彼は考えた。『ボヘミア史』で、カトリックの出版物では野蛮な狂信者として描かれていたフス、ジシュカ、プロコプなどのチェコ宗教改革の闘士たちを復権し、チェコ人よりも敵の残虐さが甚だしかったことを示した。パラツキーはオーストリアにより検閲に苦しみながらも最初はドイツ語で書かれていた『ボヘミア史』を1848年以降はチェコ語でも出版できるようにした。この事業は後のチェコの歴史家たちを励まし、ヴァーツラフ・トメク(Václav Vladivoj Tomek)などの弟子たちを育てた。
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歴史哲学
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「ジャンバッティスタ・ヴィーコ」の記事における「歴史哲学」の解説
ヴィーコは歴史を研究するときに次のような仮定を設けた。 異なる二つの時代が同一の全般的性質を持ち、そのため一つの時代から他の時代を類推して論じることができる。 同じ種類の時代が、同一順序で再起する傾向がある。英雄時代には必ず古典的時代が続き、新たな未開状態への衰微が始まり、というように時代は循環する。 このような循環運動は、単純にもとのところに戻るのではなく、螺旋を描いて進展する。この点でヴィーコはプラトンやポリュビオス、マキャベリやカンパネッラと異なり、歴史家は未来を予測できないと考える。20世紀の歴史家ではA・J・トインビーがこれに近い歴史観を持つ。 ヴィーコは次の5つを、歴史家の陥りやすい誤謬の原因としてあげた。 古代に対する大言壮語、理想化と誇張。 国民的自負。 学者が自分の性質を、歴史上の行動者に投影する。 二つの民族が類似の観念や制度を持つときに、一方が他方から学んだに違いない、と考える偏見。 古代人も比較的身近な時代に関しては、現代人より事情に通じていたに違いない、と考える偏見。 さらに歴史家が利用できるものとして、言語学・神話・伝説・現代の未開人・子どもや農民の作るおとぎ話などをあげた。ヴィーコは文献を過去のものとして葬らず、文献学と哲学を総合し、歴史研究を科学と同じくらい確実性があるものとした。また、芸術を論理に従属させる考え方に反対し、芸術の構想力が論理より優位にあると主張したため、反合理主義の哲学者とも呼ばれる。
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