17世紀以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/12 03:21 UTC 版)
1650年にフロートーで年に一度市場を開催することが許された。この街は新たな隆盛期を迎えたが、三十年戦争の直後であり、定期的な開催は途絶えがちであった。 ヴェーザー川沿いの都市がその重要性を回復する上で重要な役割を担ったのが港であった。交易品や原材料が港からリッペ地方やラーフェンスベルク地方の後背地に輸送された。ミンデンとハーメルンとの間の重要な港がフロートーに造られた。この付近に中州があり、流れは二手に分かれていた。穏やかな流れの側(1875年以降は鉄道の線路が通された)には、グロースマンによれば、100隻の船が出入りし、投錨し、冬を越した。 内陸水運の船乗りによる組合であるフロートー船員ギルドの結成により、街は勢いを取り戻した。これにつれて多くのフロートーの住民が運送業に就き、大勢の貨物輸送業者がこの街に定住した。天然の港がその繁栄の源であった。フロートーはリンネル交易の中心地となった。1719年に名目上の都市 (Titularstadt) として都市権を回復し、1740年には独自の市行政機構を再び組織した。 筏流しも大変に重要であった。原料となる木材以外に石臼もヴェーザー川の流れに乗って輸送された。重い荷物を載せた荷車はヴェーザー川沿いの径をテューリンゲンの森まで遡った。最後の商業筏は1964年にフロートー市を通って行った。
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