ギリシア哲学
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ギリシア哲学(ギリシアてつがく、ギリシャ哲学)とは、かつて古代ギリシアで興った哲学の総称。現在でいう哲学のみならず、自然学(物理学)や数学を含む学問や学究的営為の総称である。
- ^ ラエルティオス(1984), I.13-15
- ^ ラエルティオス(1984), I.18
- ^ a b 納富信留『ギリシア哲学史』(筑摩書房、2021年)31-37
- ^ ラエルティオス(1984), I.12(ヘラクレイデス・ポンティカスの言葉として)
- ^ キケロー(2002), V.8-9
- ^ ラエルティオス(1984), I.12
- ^ 前掲『ギリシア哲学史』80-82
- ^ 前掲『ギリシア哲学史』80-94
- ^ 前掲『ギリシア哲学史』87-90
- ^ 前掲『ギリシア哲学史』94ページ。
- ^ 前掲『ギリシア哲学史』95-99ページ。
- ^ 青木健『新ゾロアスター教史』(刀水書房、2019年)97-100ページ
- ^ a b c 『ギリシア哲学史』37-39ページ。
- ^ 『ギリシア哲学史』90ページ。
- ^ a b 前掲『ギリシア哲学史』54-58ページ。
- 1 ギリシア哲学とは
- 2 ギリシア哲学の概要
- 3 主な哲学者
- 4 関連文献
- 5 関連項目
古代ギリシア哲学
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詳細は「ギリシア哲学」を参照 女神アテナ(ローマ神話のミネルウァ)のフクロウが哲学、philia(愛)、sophia(知)の学の誕生を象徴している。古代ギリシア哲学(希: φιλοσοφία)は、イデオロギー的な連続体をなしているイスラエル、エジプト、メソポタミア、ペルシアといった先行する古代文明と結びついている。 ギリシア哲学の開始が中国・インド哲学の開始とほぼ同時期だったことは枢軸時代という術語であらわされている。 小アジア東端のエーゲ海沿岸部にギリシア人が移住したことによって古代ギリシア哲学が始まった。そこではソクラテス以前の哲学の一つイオニア哲学が始まった。彼らはホメロスの叙事詩の神話的な世界観に対して自然哲学的な世界の説明を対置した。例えば、ミレトスのタレスは紀元前585年に日食を予言している。 ペルシア戦争で勝利したというアテナイの自己主張とアテナイの、アッティカ同盟内での専制によってアテナイは紀元前5世紀のギリシアの文化と広範な哲学的発展の中心地になった。古代の中心に影響力を及ぼしたローマ・ローマ帝国において宇宙の秩序、人間の本性、そして正しい生き方について考えることが前面に押し出されてきた。ここで新しい形の大きな問題が立ち上がってきた。全てのものはどこからやってきたのか?徳とは何か?何が最初の原因(アルケー)の始まりなのか?真理(アレテイア)とは何か?何が善い物か、何が幸福か、…等々。 アテナイはソフィストたちが集まる場所となり、ソクラテスの住んでいる街でもあった。ソクラテスの影響はプラトンの学派を通じて哲学史の全時代に存続した。プラトンは自身の学派、アカデミア学派を創設し、同様にアリストテレスも逍遥学派を形成した。それらに加えてその後すぐにアテナイにエピクロス派とストア派が現れた。これら4つの学派に対して、ストア派の薫陶を受けた哲人王マルクス・アウレリウス・アントニヌスは176年にアテナイに滞在した際に4学派の講座を創設することで敬意を表している。
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古代ギリシア哲学
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ソクラテスは(あるいはプラトンが自著で描くソクラテスは)、プシュケーを知と徳の座だとした。< よく生きる>ことを《プシュケーの気遣い》として説いた。プシュケーの世話をせよ、と説いたのである。 ソクラテスの弟子のプラトンは、滅びる宿命の身体に属する感覚を超えた知を描き、知を特質とし自己を動かすプシュケーは不滅である、とした。 アリストテレスは『ペリ・プシュケース』(「プシュケーについて」という題名の書)において、さまざまな生命の生存の原理を論じ、プシュケーとは「デュナミス(可能態)において命をもつ自然的物体の形相」と述べ、プシュケーというのは命の本質である自己目的機能であり、そして起動因である、とした。また同書でプシュケーは栄養摂取、知覚、理性などの順で階層をなしていると捉え、各階層ごとに説明を試みた。より細かく挙げれば、栄養摂取、生殖の能力、感覚能力、欲求能力、場所的移動の能力、表象能力、理性能力などである。 アリストテレスは、一時期は生物の種類によって異なるプシュケーの段階があると見なし、(1)植物的プシュケー (2)動物的プシュケー (3)理性的プシュケー の3つを区別した。だが、彼の知識が増えるにしたがい、植物・動物・人間にプシュケーの違いが絶対的にあるとは考えないようになり、動物もその程度に応じて人間と同じような理性を持っていると考え、さらにその後になると、植物・動物・人間でプシュケーに区別は基本的に無い、と見なすようになったようである。 プロティノスは、神秘主義的な方向に進み、一者からヌース(知性)が、ヌースからプシュケーが、そしてプシュケーからヒューレー(質料)が流れ出ると述べた。
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古代ギリシア哲学
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「ドクソグラフィー」の記事における「古代ギリシア哲学」の解説
ソクラテス以前の哲学者をはじめとする古代ギリシア哲学の文献の大半が消失している現状、我々が持っている知識は、後世の学説誌の記述に依る所が大きい。たとえば、我々が知っているタレスやアナクサゴラスの自然哲学についてのほとんどは、アリストテレスの『形而上学』や、プラトンの『ソクラテスの弁明』などに書かれてあったことである。つまり言い換えれば、プラトンやアリストテレスといった哲学者は学説誌家(ドクソグラファー)でもあり、先達はこう述べている、と先達の学説についてコメントしていた。 造語者のディールスは、アリストテレスの後継者である自然学者テオプラストスの『自然学説誌』(希: Φυσικῶν δόξαι, 散佚)を最初の正式な学説誌とした。その上で、後世のギリシア・ローマの学説誌の大半は、直接的・間接的に本書を継承しているとした。(このディールスの見解には以降多くの批判や改訂が寄せられている。) 学説誌の要素をもつ文献の例として以下がある。 テオプラストス『自然学説誌』 - タレスからプラトンに至る自然学説をトピックごとに整理。後世に要約版・改訂版が多数作られた。 アエティオス『学説誌』 プルタルコス『モラリア』 セクストス・エンペイリコス『学者たちへの論駁』 アレクサンドリアのクレメンス『ストロマテイス』 ヒッポリュトス『全異端反駁論』 ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』 - 伝記の中で学説を伝える。 ストバイオス『自然学抜粋集』『倫理学抜粋集』 シンプリキオスの諸アリストテレス註解(英語版) - 注釈の中で積極的に学説を伝える。 ほか。
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