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ソクラテス [S
krat
s]
映画情報 |
ソクラテス
| 原題: | |
| 製作国: | 日本 |
| 製作年: | 1996 |
| 配給: | 日活配給 |
| スタッフ | |
| 監督: | 鶴巻日出雄 ツルマキヒデオ |
| 製作総指揮: | 津滝嘉夫 |
| プロデューサー: | 溝上潔 |
| 真木太郎 マキタロウ | |
| 原作: | 小川竜生 オガワタツオ |
| 脚本: | 森崎東 モリサキアズマ |
| 企画: | 佐谷秀美 サタニヒデミ |
| 撮影: | 東原三郎 ヒガシハラサブロウ |
| 音楽: | 岡本大介 オカモトダイスケ |
| 美術: | 田中政一 タナカ |
| 編集: | 渡辺行夫 ワタナベユキオ |
| 録音: | 土屋和之 ツチヤカズユキ |
| 照明: | 吉村光巧 ヨシムラ |
| キャスト(役名) |
| 大仁田厚 オオニタアツシ (菊地ソクラテス竹男) |
| 小嶋亜由美 コジマアユミ (良子) |
| 長門勇 ナガトイサム (玄) |
| 遠山景織子 トオヤマキョウコ (里夏) |
| 南原宏治 ナンバラコウジ (黒松組組長) |
| 森香名子 モリカナコ (咲子) |
| 徳井優 トクイユウ (ヤマちゃん) |
| 山本ゆめ ヤマモトユメ (チエ) |
| 水橋研二 ミズハシケンジ (不明) |
| 木場勝己 キバカツミ (不明) |
| 片桐竜次 カタギリリュウジ (不明) |
| 小倉一郎 オグライチロウ (不明) |
| 奥村公延 オクムラコウエン (不明) |
| 水木薫 ミズキカオル (不明) |
| 水原ゆう紀 ミズハラユウキ (不明) |
| 石井トミコ イシイトミコ (リヤカーのおばちゃん) |
| 解説 |
| 自称ハーフの暴れん坊男が活躍する、義理と人情の浪花ヒューマン・コメディ。監督はこれがデビュー作となる鶴巻日出雄。小川竜生の原作『極道ソクラテス』を、鶴巻の師匠でもある「美味しんぼ」の森崎東が脚色。撮影を「美味しんぼ」の東原三郎が担当している。主演は「DAN−GAN教師」の大仁田厚。共演に小嶋亜由美、山本ゆめ、森香名子、遠山景織子ほか。 |
| ストーリー※ストーリーの結末まで記載されていますので、ご注意ください |
| 大阪・通天閣界隈に残る遊郭の一部屋に住みついている大男・菊地竹雄は、父親がギリシャ人の神父だったというだけでミドルネームを“ソクラテス”と名乗る、フリーのヤクザ者だ。乱暴者だが人情にもろく、泣きつかれると大抵のトラブルに首を突っ込んでは体を張る性分のソクラテスは、五目並べ仲間で医者の玄先生や、その娘で看護婦でもある里夏の手伝いなどをしながら生活している。ある日、白タクの運転手・ヤマちゃんが、ソクラテスのもとに、手形詐欺にあった印刷屋の社長を連れてきた。手形も不渡りも何のことだかわからないソクラテスは、始めは面倒臭そうなので断っていたが、結局泣き落としにあって、手形を取り戻すために黒松組に乗り込むことになる。手形は黒松組系で表向きは金融業を営んでいるが裏でシャブの売買をしている立花の手に渡っており、ソクラテスは黒松組若頭・前園と一緒に手形を取り戻しに行って、大暴れをして帰ってきた。ソクラテスの男っぷりに惚れこんだ黒松組の組長は、娘の咲子と結婚させてソクラテスに跡目を継いでもらおうと考える。一方、立花はひそかに黒松組長を亡きものにして組を乗っ取ろうと計画していた。そんなころ、ソクラテスを“クソのおっちゃん”と呼んで慕っている居候先の娘・チエとその友達の良子が、テレクラ遊びをきっかけに立花たちに連れ込まれ、シャブ浸けにされそうになった。立花のあくどい手口に堪忍袋の緒が切れたソクラテスは、激闘の末に立花たちを倒し、良子とチエを無事に救出する。こうして通天閣界隈には、再び平和な日々が取り戻された。 |
ウィキペディア |
ソクラテス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/03/14 01:19 UTC 版)
ソクラテス(より原音に忠実にはソークラテース;ギリシャ語:Σωκράτης Sōkratēs;紀元前469年頃 - 紀元前399年4月27日)は古代ギリシアの哲学者である。 彼自身は著作をおこなわなかったため、その思想は、弟子のプラトンや歴史家のクセノポン、アリストテレスなどの著作を通じて紹介されている。
目次 |
生い立ち
父は彫刻家ないし石工のソプロニスコス、母は助産婦のパイナレテとされる。アテナイに生まれ、生涯のほとんどをアテナイに暮らした。彼はスパルタと戦ったペロポネソス戦争の最初の大会戦(デリオンの戦い)では重装歩兵として従軍した。青年期には自然科学に興味を持ったとの説もあるが、晩年は倫理や徳を追求する哲学者としての生活に専念した。
名言
「クサンティッペ」も参照
ソクラテス自身はかなりの恐妻家で、妻のクサンティッペに「何が哲学だ!?屁理屈ばかり重ねずに仕事をしろ」と言われるなど頭が上がらなかった。そんな中、ソクラテスは結婚について悩んでいる人間に向かい、「結婚してもしなくても、どのみち君は後悔することになる」といった。
その死
ソクラテスは当時、賢人と呼ばれていた人々や通りすがりの若者を次々にたずね、「アポロンの宣託の通り自分が最も知恵があるのかどうか」を知るために対話をおこなった。しかし、ソクラテスのこの行動は相手の考えを向上させることができる対話であったが、当時の賢人たちは「常識」に執着したため、結局、「知っていると言っていることを、実は知らない(知っていると思い込んでいる)のだ。」ということを暴くことになった。相手は論破され恥をかかされたとしてソクラテスを憎むようになった。
このため、「アテナイの国家が信じる神々とは異なる神々を信じ、若者を堕落させた」などで公開裁判にかけられることになった。アテナイの500人の市民がソクラテスの罪は死刑に値すると断じた[1]。原告はメレトスという詩人で、政界の有力者アニュトスらの後ろ楯とみられる。しかし、ソクラテスの刑死の後、アテナイの人々は不当な裁判によってあまりにも偉大な人を殺してしまったと後悔し、告訴人たちを裁判抜きで処刑したという[2]。告訴の背景には上記の他にもペロポネソス戦争とその後の暴政など複雑な事情があったと考えられる。
ソクラテスは自身の弁明(ソクラテスの弁明)を行い、自説を曲げたり自分の行為を反省したりすることを決してせず、追放の手も拒否し、結果的に死刑を言い渡される。票決は2回行われ、1回目は比較的小差で有罪。刑量の申し出では常識に反する態度がかえって陪審員らの反感を招き大多数で死刑が可決された。
神事の忌みによる猶予の間にクリトン、プラトンらによって逃亡・亡命も勧められ、またソクラテスに同情する者の多かった牢番も彼がいつでも逃げられるよう鉄格子の鍵を開けていたが、ソクラテスはこれを拒否した。当時は死刑を命じられても牢番にわずかな額を握らせるだけで脱獄可能だったが、自身の知への愛(フィロソフィア)と「単に生きるのではなく、善く生きる」意志を貫き、票決に反して亡命するという不正をおこなうよりも、死を恐れずに殉ずる道を選んだ。
紀元前399年、ソクラテスは親しい人物と最後の問答を交わして毒ニンジンの杯をあおり、従容として死に臨んだ。この顛末は弟子であるプラトンの著作『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』にくわしく書かれている。
思想
- 無知の知
- ソクラテスはアポロンの託宣を通じてもっとも知恵のある者とされた。ソクラテスはこれを、自分だけが「自分は何も知らない」ということを自覚しており、その自覚のために他の無自覚な人々に比べて優れているのだと考えたとされる。
- また一般に、ソクラテスは対話を通じて相手の持つ考え方に疑問を投げかける問答法により哲学を展開する。その方法は自分ではなく相手が知識を作り出すことを助けるということで「産婆術」と呼ばれている。ソクラテスのもちいた問答法は、相手の矛盾や行き詰まりを自覚させて、相手自身で真理を発見させた。こうして知者と自認する者の無知を晒させたことから、エイロネイアともいう。→イロニーの語源
- アレテー
- 彼の最も重視した概念はよい生き方としてのアレテー(αρετη、徳)である。人間のアレテ-は魂をよりよくすることであり、刑罰もそのために有効だとする。また、アレテーを実践する者の人生は幸福であるとも主張した。しかし、これはプラトンの考えという説もある。なぜなら、ソクラテスは著書を残していないからである。
著作をおこなわなかった理由
ソクラテスは書記言語の野放し状態の普及を激しく非難していた[3]。
ソクラテスは、話し言葉つまり「生きている言葉」は、書き留められた言葉の「死んだ会話」とは違って、意味、音、旋律、強勢、抑揚およびリズムに満ちた、吟味と対話によって1枚ずつ皮をはぐように明らかにしていくことのできる動的実体であると考えた。書き留められた言葉は反論を許さず、柔軟性に欠けた沈黙であったので、ソクラテスが教育の核心と考えていた対話のプロセスにはそぐわなかったのである[4]。
ソクラテスは書き言葉が記憶を破壊すると考えた。個人的知識の基盤を形成するにふさわしい厳密さを期待できるのは暗記するという非常な努力を要するプロセスのみであり、そうして形成した知識基盤は教師との対話の中で磨いていくことができるという信念を抱いていたからである[5]。
ソクラテスは読字を恐れていたわけではないが、過剰な知識が必然的にもたらす結果、表面的な理解しかできないことを恐れていた[6]。
ソクラテス問題
ソクラテスは自説を著作として残さなかったため、今日ではその生涯・思想共に他の著作家の作品を通してうかがい知ることができるのみである。これは「ソクラテス問題」として知られる一連の問題を発生させている。
同時代の作家の内、劇作家・詩人のアリストパネスは戯曲『雲』においてギリシャのソフィストたちを揶揄し、その筆頭としてソクラテスを挙げている。ここではソクラテスの言動は揶揄のために誇張されていると考えられる[7]。
ソクラテスの弟子の一人とされるクセノポンは『ソクラテスの思い出』などソクラテスに関する文章を記しており、今日まで比較的よく保存されている。ただし、クセノポンの描くソクラテスは通俗的で哲学者としての力量をとらえきれていないとの理解が一般的である。
同じくソクラテスの弟子であるプラトンの記した一連の対話篇にはソクラテスが頻繁に登場する。しかしながら、特に『メノン』以降のソクラテスはプラトンの思想を表現するための人物として利用されている感がある(ただし、前期対話篇についてはその限りではない)。
他の弟子による文章の一部やプラトンの弟子にあたるアリストテレスによる記述をはじめ、後世の著作家による記述も残っている。
弟子
- プラトン
- クセノポン(軍人)
- アリスティッポス(キュレネ学派の開祖)
- エリスのパイドン(エリス学派の開祖)
- アルキビアデス(軍人・政治家)
- アンティステネス(犬儒学派の開祖)
- メガラのエウクレイデス(メガラ学派の開祖)
- アンブラキアのクレオンブロトス(哲学者)
- クリティアス (三十人僭主)(政治家)
など
脚注
- ^ 『プルーストとイカ』 111頁。
- ^ ディオドロス, XIV. 37
- ^ 『プルーストとイカ』 110頁。
- ^ 『プルーストとイカ』 114頁。
- ^ 『プルーストとイカ』 117頁。
- ^ 『プルーストとイカ』 120頁。
- ^ 同時にそれがまったくのでっちあげであれば揶揄としての効果を持たないことから、何らかの真実を含んでいるとも考えられる。
関連項目
- ソクラテス以前の哲学者
- 山口良忠-現代のソクラテスといわれることがある
参考文献
- ディオゲネス・ラエルティオス著・加来彰俊訳 『ギリシア哲学者列伝(上)』 岩波文庫、1984年10月。ISBN 400336631X
- 田中美知太郎 『ソクラテス』 岩波新書、初版1957年。ISBN 4004120195
- 加来彰俊 『ソクラテスはなぜ死んだのか』岩波書店 2004年 著者は田中の弟子
- F・M・コーンフォード 山田道夫訳『ソクラテス以前以後』 岩波文庫 1995年
- 納富信留 『哲学者の誕生 ソクラテスをめぐる人々』ちくま新書 2005年
- 斎藤忍随『知者たちの言葉 ソクラテス以前』 岩波新書青版 1976年
- メアリアン・ウルフ 『プルーストとイカ…読書は脳をどのように変えるのか?』 小松淳子訳、インターシフト(原著2008-10-15)、初版。ISBN 9784772695138。2009-04-29閲覧。
固有名詞の分類
- ソクラテス政権継続へ/ポルトガル総選挙四国新聞
- ソクラテス政権継続へ佐賀新聞

