アイヌ
《アイヌ語で人の意》北海道を中心に日本列島北部、樺太(からふと)(サハリン)・千島(クリル)列島などに居住する民族。伝統的に狩猟・漁労・採集を主とする自然と一体の生活様式をもち、吟誦形式の叙事詩ユーカラが伝わる。室町時代から和人との交渉が生じ、江戸時代には松前藩や商人などに従属を余儀なくされ、明治以後は、同化政策のもとで言語など固有の慣習や文化の多くが破壊され、人口も激減した。
[補説] 平成9年(1997)北海道旧土人保護法を廃止してアイヌ文化振興法が成立。平成19年(2007)先住民族の権利に関する国際連合宣言を採択。平成20年(2008)6月、政府にアイヌの人々を先住民族として認めることを求めた国会決議が衆参両院で採択される。
アイヌ
それらの神々には、火や水、風、雷といった自然神、クマ、キツネ、シマフクロウ、シャチといった動物神、トリカブト、キノコ、ヨモギといった植物神、舟、鍋といった物神、さらに家を守る神、山の神、湖の神などがあります。そういった神に対して人間のことを「アイヌ」と呼ぶのです。
起源
アイヌの人種所属については、かつて「コーカソイド(白人)説」「モンゴロイド説」「大洋州人種説」「古アジア民族説」そして「人種の孤島説」などが唱えられました。現在では「モンゴロイド説」が発展した一つの仮説として、次のような説があります。
古モンゴロイドには南方系と北方系の2つのタイプがあって、縄文時代前、いまから数万年前にそのうちの南方系のモンゴロイドが北に向かって移動を始め、長い年月の間にそれらが沖縄を含む日本列島に住みつき、全国的規模で縄文文化を担うようになります。やがて弥生〜古墳時代になると、北方系のモンゴロイドが大挙して渡来するようになり、これらの影響を強く受けて急進化してきたのが和人(アイヌ以外の人々)、ほとんど影響を受けずに小進化してきたのがアイヌと琉球人であるといわれています。
アイヌ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/19 05:29 UTC 版)
アイヌ(アイヌ語: Aynu / アィヌ、ロシア語: Айны)は、北は樺太から北東の千島列島・カムチャツカ(勘察加)半島、北海道を経て、南は本州北部にまたがる地域に居住していた民族である[3]。現在は日本国内に大部分が居住している。2019年5月に施行された「アイヌ施策推進法」では「日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族である」と明記されている。
注釈
- ^ 縄文土器の文様は、長い長い年数をかけてゆっくりと変化してゆき、「後期縄文土器」の文様は、その後の時代の「アイヌ」の人々が用いている文様と酷似しており かなり直接的に、連続的に繋がっている。[要出典]
- ^ 例えば、「イヌイット」はカナダ・エスキモーの自称であるが、これはイヌクティトゥット語で「人」を意味する Inuk の複数形、すなわち「人々」という意味である。また、7世紀以前、日本列島に居住した民族は、中華王朝の史書では「倭人」と記載されているが、これは自らを「我(ワ)」と呼んだためとする説がある。他にも、タイ族やチェロキー、カザフなどにも、民族名に「人」の意が含まれる。
- ^ 当時、アイヌは和人のことを「シサム」「シャモ」と呼称していた。シサムは隣人という意味のアイヌ語で、シャモはその変化形の蔑称または「和人」のアイヌ読みともいわれる。
- ^ 萱野茂によれば、和人の多い学校に通ったアイヌが「あア、イヌが来た(あ、アイヌが来た)」と悪口を言われるのは序の口だったという[17]。1986年には秋玲二の漫画『日本のんびり旅行』で北海道を扱った際、子供が次の行先を決めるために投げた石が犬に当たったのを見て「あっイヌだ!(中略)アイヌコタンへいこう」と言う場面があり[18]、小川隆吉は人権侵犯事案として法務局に申し入れた[19]。また、2021年3月12日放送の日本テレビ系朝の情報番組「スッキリ」で、アイヌの映画を紹介する際にコーナーを担当するタレントが「この作品とかけまして動物を見つけたととく。その心は、あ、犬」という謎掛けを披露し、批判が寄せられた[20][21]。
- ^ 義務化されたのは国語、算数、体育、農業の4種目であった。
- ^ 毒矢と網の使用禁止、禁猟区と禁猟期の設定
- ^ 他の7言語は与那国語、八重山語が「重大な危険 (severely endangered)」、宮古語、沖縄語、国頭(くにがみ)語、奄美語、八丈語が「危険 (definitely endangered)」に分類されている。
- ^ 1923年(大正12年)に出版された知里幸恵のアイヌ神謡集では、その発音を、ローマ字で表記するなどの工夫がされている。
- ^ 「昭和21年(1946年)12月19日、東京でデレヴャンコ中将と日本における連合国軍最高司令官代表ポール・J・ミューラー中将が、ソ連領とのその支配下にある地域からの日本人捕虜と民間人の本国送還問題に関する協定に署名した。協定では、日本人捕虜と民間人はソ連領とその支配下のある地域から本国送還されなければならない、と記されていた。日本市民はソ連領から自由意志の原則に基づいて帰還することが特に但し書きされていた。」“市史編さんニュース №100 ヌプンケシ”. ネットワークコミュニティ都市きたみ (2005年7月15日). 2023年10月21日閲覧。
- ^ 「しかしアキヅキトシユキは実際には1975年の樺太・千島交換条約の際に千島に住んでいた90人のアレウト族の末裔だったのではないかと推測している。そのアイヌがどこのだれのことを示しているのかということに関してそれ以上の情報はでてこなかった」 David L. Howell. “Geographies of Identity in Nineteenth-Century Japan” (英語). University of California Press. 2014年7月13日閲覧。 小坂洋右『流亡: 日露に追われた北千島アイヌ』北海道新聞社〈道新選書〉、1992年、259-266頁。ISBN 9784893639431。
- ^ DNAによる系統研究は、ミトコンドリアDNAハプログループ、Y染色体ハプログループ、核ゲノム解析などがあり、この順番で難易度と取得できる情報量が上がっていく(篠田謙一 2015, pp. 222–224)。
- ^ 現代日本人のミトコンドリアDNAハプログループは人口比1%を超えるものだけで20種以上があるが、それらは分布中心地は、東南アジア地域・東アジア中央地域・北東アジア地域、そして日本列島以外には殆ど分布しないものに分類できる。日本固有のハプログループであるM7aは東南アジア、N9bはシベリア南東端で近縁グループと分岐したと考えられており、縄文人は南北両方に起源をもつ集団であったと考えられている(篠田謙一 2015, pp. 134–140)。北海道縄文人は本土縄文人に比べN9bの割合が多く、出現頻度は65%である[74]。
- ^ 篠田は、北海道縄文人とオホーツク人が混血した時期を続縄文時代から擦文時代までと推測しているが、当該期の人骨が著しく減少するためDNA研究で検証できていないとしている(篠田謙一 2015, pp. 167–172)。
- ^ 日本列島に特有のD2とCは現代日本人の約4割はのを保有しており、縄文人の系統が農耕社会成立以降も継続したことを示唆している(篠田謙一 2015, pp. 140–145)。
- ^ 大都市圏の地域比較では出現頻度に明確な差はないとする佐藤陽一ら(2014年)の研究もあるが、斎藤成也はサンプルデータが大都市に偏っていた為と推測している(斎藤成也 2017, pp. 174–178)。
- ^ 100万年前に進出した原人が、各地で独自に進化したとする説(篠田謙一 2015, pp. 18–21)。
- ^ かねこ やすゆき。1970年、兵庫県生まれ。東京大学卒業後、1998年から北海道に在住し、2011年の市議会議員選挙でみんなの党公認で初当選した後、同年4月から自民党に所属していた[105]。落選後NHKから国民を守る党に入党し2019年に渋谷区議に当選するも同年離党、現在は無所属。
出典
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アイヌ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 00:40 UTC 版)
アイヌ民族の間でも、独自の人体尺が使用されていた。 テㇺ - 両手を広げた長さ。日本本土の「ひろ」に同じ。体幹から指先までの長さは、「テㇺの半分」の意で北海道アイヌ語ではアッテㇺ、樺太アイヌ語ではアㇵテㇺと呼ばれる。 ウォ - 親指から人差し指の先端までの長さ。なお日本や中国の「尺」に当たる「親指から中指先端までの長さ」は、北海道アイヌ語ではシウォ(大きなウォ)、樺太アイヌ語ではイヌクスン・モンペㇸ・ウォ(中指で計ったウォ)と呼ばれる。 イク - 人差し指の第一関節から第二関節までの間の長さ。
※この「アイヌ」の解説は、「身体尺」の解説の一部です。
「アイヌ」を含む「身体尺」の記事については、「身体尺」の概要を参照ください。
アイヌ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 22:51 UTC 版)
「ハプログループD (Y染色体)」の記事における「アイヌ」の解説
アイヌにおいては「D1a2a」が16人に14人の割合に当たる87.5%の高頻度で見られた。アイヌに見られるD1a2aの内訳はD1a2a*(81.25%)、D1a2a1a(6.25%)である。
※この「アイヌ」の解説は、「ハプログループD (Y染色体)」の解説の一部です。
「アイヌ」を含む「ハプログループD (Y染色体)」の記事については、「ハプログループD (Y染色体)」の概要を参照ください。
アイヌ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 04:07 UTC 版)
アイヌはむしろこれを好機と捉え、来場者にアイヌの待遇改善をアピールした。[要出典]
※この「アイヌ」の解説は、「人類館事件」の解説の一部です。
「アイヌ」を含む「人類館事件」の記事については、「人類館事件」の概要を参照ください。
アイヌ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 04:42 UTC 版)
アイヌは伝統的に土葬であったが、仏教の影響や日本政府の指導により火葬されるようになった。
※この「アイヌ」の解説は、「火葬場」の解説の一部です。
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アイヌ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:38 UTC 版)
アシㇼパ 杉元一味の項のアシㇼパを参照。 ウイルク(ポーランド語: Wilk、ロシア語: Вилк) 声 - 東地宏樹 アシㇼパの父。アシㇼパからはアチャ(父さん)と呼ばれている。顔面に縦横数本の裂傷痕と口髭が特徴。アシㇼパ同様深い青色の目を持ち、ポーランド人の父と樺太アイヌの母の子でキリスト教徒。ロシア語、日本語、アイヌ語を話す。普段は温和だが、常人なら躊躇するような行為でも必要とあれば最短経路で決断し実行できる精神性の持ち主。アシㇼパ曰く、杉元同様羆の洞穴に飛び込んだことがある。南樺太出身で樺太・千島交換条約で樺太全島がロシア領になった際、彼のコタンの住人の多くが北海道に移住し、彼は出自(ポーランド人の父を持つこと)を理由に樺太に残らざるをえなかったが、故郷のコタンは解体された。若い頃はキロランケらの少数民族と共に帝政ロシアからの解放運動をしていた。15歳のキロランケと共に1881年・アレクサンドル2世暗殺を実行。顔の裂傷痕はその時の爆風によるもので、ロシアから指名手配される。ソフィアから思いを寄せられている。その後、樺太経由で北海道へ渡り、小樽に辿り着いてインカㇻマッやアシㇼパの母に出会い生活を共にし、北海道アイヌの信仰や文化を学ぶ。アイヌの金塊強奪事件で死亡したとされる。 しかしキロランケは「金塊強奪事件でアイヌを殺戮したのっぺら坊がウイルクである」と語ったため、それを確かめるために杉元一味が網走へ向かうこととなる。一方で、インカㇻマッは占いにより「のっぺら坊はウイルクではなく、キロランケこそが金塊強奪事件の犯人であり、ウイルクを殺害した」と信じている。 独房に収監されていた「のっぺら坊」は替え玉で、網走監獄典獄・犬童により教誨堂地下に閉じ込められていた「本当ののっぺら坊」こそがウイルクであった。娘のために彫ったメノコマキリ(小刀)を持っていた杉元をアシㇼパの友人だと信用し、「アイヌ殺しは自分ではない」「金塊」と伝えている最中に尾形に頭部を狙撃され死亡した。その狙撃を合図したのはキロランケである。ロシア極東や樺太、北海道の少数民族を中心とした「極東連邦」の成立を目指して活動していたが、アシㇼパが生まれてからは、海に囲まれ比較的守りやすい北海道のみを独立させよう考えに変わった。性格も軟化した。これがキロランケとの仲違いを生み、射殺される要因となった。 ウイルクという名前はポーランド語で「狼」を意味する。これは幼少期に群れからはぐれた狼が、弱った自分を殺してもらうために仲間を呼び、群れに不要という理由で仲間の狼に殺されるのを見て、そのように合理的で気高くなりたいと狼の毛皮をかぶって遊んでいたため、ポーランド人の父により名付けられたものである。後にこの話を聞いたアシㇼパの母・リラッテから「ホㇿケウオㇱコニ」(アイヌ語: Horkew oskoni、アイヌ語で「狼に追いつく」の意)というアイヌ名をもらった。この名前はウイルク、リラッテ、アシㇼパの3人しか知らない。 アシㇼパの祖母(アイヌ語: Huci) 声 - 一城みゆ希 アシㇼパの母方の祖母でアイヌの老女。19歳の頃からイコインカㇻマッ(取り上げ女、産婆の意)をしている。アシㇼパからはフチ(おばあちゃん)と呼ばれ、本名は不明。口の周囲に彫った刺青も大きく、コタン一番の実力者で、親族でない谷垣やチカパシからもフチと呼ばれ慕われる。アイヌ語話者で日本語は判らないため、孫たちの通訳を介して和人と会話する。孫娘のアシㇼパを自分の宝と思っている一方で、アイヌの女としての嗜みを身につけようとせず、狩猟に精を出している様を嘆き将来を心配している。 孫娘が初めて客人を連れて来たことを喜び、快く和人を迎え入れ、矢毒で息も絶え絶えの谷垣を手厚く看病するなど、人情に厚い性格。アイヌ人としての伝統と因習を重んじているため、大事な孫娘に凶事が振りかかるという占いを信じ込み、床に伏してしまうが、アシㇼパを無事に連れて帰ってくると約束を告げた谷垣に涙し、カムイの加護を捧げ見送る。その後に、鶴見によって捨て子の形で坂本とお銀の子を託され、大切に育てている。 北海道各地のコタンに多くの兄弟姉妹や親族がおり、杉元一味の旅の助けとなっている。 オソマ(アイヌ語: Osoma) 声 - 朝井彩加 アシㇼパの従妹。父であるマカナックル似の少女。アイヌ独特の風習に沿い、病魔除けの幼名として「オソマ(糞)」という汚い言葉を命名されている。和人の耳に興味津々で日がな一日遊戯に明け暮れ、谷垣に懐き常に付き添い、幼い身ながら窮地に助力、谷垣出立時には未完成ながらも自作のテクンペ(手甲)を手渡し涙ぐんで見送った。 マカナックル(アイヌ語: Makanakkuru) 声 - 斧アツシ アシㇼパの母方の叔父でオソマの父。アシㇼパからはアチャポ(叔父さん)と呼ばれている。和人相手に商売をしているため、日本語の読み書きができる。杉元のことは賢い姪のアシㇼパが懐いていることから一応の信頼を寄せている。先祖のアイヌらが集めた砂金の存在を知っており、川からの恵みを尊んで川を汚さないようにしてきたアイヌの生き方から外れていたものであることから「呪われたもの」と評している。 キロランケ(アイヌ語: Kiroranke) 声 - てらそままさき キャッチフレーズ - 謎の多き北の工兵 アシㇼパの父・ウイルクの古い友人で、ロシア系少数民族出身のアイヌ。ロシア語、アイヌ語、日本語、ウイルタ語、ニヴフ語などを喋れる。日本語とロシア語は読み書きも可能。樺太アイヌ独特の髪型(額からつむじ、耳付近にかけて短髪で後頭部が長髪)と蓄えられた顎髭が特徴の色男。名前の意味は「力強い(キロ)下半身(ランケ)」。 元大日本帝国陸軍第七師団工兵部隊隊員で、工兵として日露戦争に出征した。アシㇼパ・杉元・白石と出会った時点では既に第七師団を除隊しており、村(コタン)で生活している。なお、出征に必要な和名は明らかでない。 若い頃、ウイルクと共に北海道へ渡り、小樽近くのアシㇼパのコタンから少し離れた別のコタンに居住。妻と2人の幼い子供がいる。 子供のころから馬に慣れ親しんでおり、その体調や感情に通じ、どんな馬でも無下に扱うのは忍びないと考えている。そのため日露戦争出征時には軍馬の管理を一任された。知らずに食べた肉が馬の腸と知って吹き出す場面もあった。工兵だったことから爆薬の扱いにも長け、手製の手投げ弾を所持している。 女は抱き心地だとして肥満女性を好み、妻もふくよかな体型である。若い頃、樺太で逃亡中に長谷川から日本語を教わる際に「ワタシ…デブ女…スキデース」と発言したり、その後の亜港監獄で以前のスリムな体型から著しく肥大化したソフィアと再会した際にも開口一番「めちゃくちゃいい女になったな」と真顔で伝え、周りを唖然とさせた。 「のっぺら坊の正体はウイルクである」「金塊は北海道アイヌへ返すべき」と言い、その行く末を見届けるため、網走監獄へ向かう杉元らと行動を共にする。アシㇼパとはアシㇼパが赤ん坊の時に会っており、ウイルクの葬式で再会。アシㇼパからは「キロランケニㇱパ」と呼ばれているが、杉元はあまりキロランケを信用していない。土方からはロシアのアムール川流域から来た極東ロシアのパルチザンで「のっぺら坊」の仲間の一人と考えられている。また、インカㇻマッからは金塊強奪事件の犯人であり、その際、ウイルクを殺した人物と推測されている。 ウイルクは網走監獄の中で生きていたが、アシㇼパによりウイルク本人である確認が取れると、キロランケはひそかに尾形へ合図を出しウイルクを射殺させた。かつてキロランケは合理的なウイルクのことを「心から信頼して愛していた」が、ウイルクが北海道に移住し娘を得て変わってしまったことに失望しての判断だった。その後ウイルク殺害を主導したことを隠したままアシㇼパを連れて樺太へ向かい、ソフィアとの再会を目的に亜港監獄を目指す。 亜港監獄を襲撃し、脱獄させたソフィアとともに流氷を通ってロシアの大陸側に渡ろうとしたが、アシㇼパを追ってきた谷垣に見つかり、網走監獄でインカㇻマッを刺した自身のマキリで刺され深手を負い逃走。その後、月島・鯉登とも戦闘になり得意の手投げ弾で奮戦するも、鯉登にトドメを刺されるところ、止めに入ったアシㇼパに金塊の鍵を思い出したことを伝えられると、安心したかのように息を引き取った。故郷の水(アムール川)が凍ってできた流氷の上で氷葬され、ソフィアもそっと一人で別れを告げた。 昔の名前はユルバルス(ロシア語: Юлбарс, ラテン文字転写: Yulbars)。タタール語で「虎」を意味する。キロランケの出身民族かどうかは語られていないが、アムール川流域に住む少数民族のひとつ・ナーナイ族では虎は神様であり、虎を殺した者は不幸になるとされる。樺太アイヌの曾祖母 を持つタタール人。人民の意志の党員として1881年のアレクサンドル2世暗殺に関与した実行犯の一人で、ロシアの指名手配犯。暗殺から20年以上経ってもロシア側から命を狙われている。暗殺実行時には15歳。皇帝殺害後、ウイルクやソフィアとともに10年以上の逃亡を続けた末、樺太経由でウイルクと日本へ渡る。樺太ではウラジオストクで写真館を営む日本人・長谷川 幸一から日本語を学んだ。実は長谷川は日本軍のスパイとしてロシアに潜伏していた鶴見中尉の仮の姿だが、キロランケは気付いていない様子である。 携帯している小刀(マキリ)のモデルは平取町二風谷在住のアイヌ工芸家、貝澤徹 に作ってもらっている。 インカㇻマッ(アイヌ語: Inkarmat) 声 - 能登麻美子 キャッチフレーズ - 神出鬼没の見る女 苫小牧勇払のコタンに現れ居ついた、良く当たると評判の謎の占い師の女。アイヌ女性の慣習として口周囲に刺青を彫っている。名前の意味は「見る女」。細面の美女で、アシㇼパからは「イカッカㇻ・チロンヌㇷ゚(誑かすキツネ)」と呼ばれている。「顔に傷がある男性が好き」と杉元に気がある素振りを見せ、彼女をやきもきさせる描写がある。アシㇼパの父と面識があるとしているが、アシㇼパは父から彼女のことを聞かされておらず、またキロランケとの面識も無かった。 占いには「シラッキカムイ」と呼ばれる先祖伝来の白狐の頭骨を使うほか、手のひらを上に向けて第六感を働かせる「千里眼」を使ったり、ある状況が「頭にふと浮かんだ」りするが、事前に関係者と接触した場面もあるため、その能力が本物か偽物かは曖昧な描写となっている。 孤児で子供の頃から占いをしながら放浪しており、アシㇼパと同じくらいの齢の時、小樽でウイルクと出会い、共に放浪していた。ウイルクに想いを寄せていたが、彼がアシㇼパの母と出会った後に彼の元を離れた。その別れの際に、ウイルクより再会する際に判るようにと彼の母の形見の衣装を渡された。受け取る際に「二度と会うことはないと占いに出ている」と伝えたが、今もその衣装を着用している。その後、アイヌの金塊強奪事件を知ってウイルクの死を調べる中、遺留品を持つ鶴見に「ウイルクは金塊強奪の際にキロランケに殺され、のっぺら坊は金塊の在処を知るキロランケの仲間」と告げられ、それを信じている。 白石に苫小牧の競馬場に連れ出され、キロランケが参加したレース以外の馬券を占いで的中させている。これは金塊強奪事件の犯人を突き止めるため、馬券からキロランケの指紋を手に入れるためであった。 アイヌの女として金塊を取り戻すため、そしてウイルクの娘であるアシㇼパを助けるために行動していると言い、アシㇼパのコタンへ赴く前、鶴見から谷垣を利用するよう助言を受け、谷垣と共に彼女を探す旅に出る。その過程で谷垣に何度か助けられるうちに惹かれてゆき、後に相思相愛となった。 アシㇼパからは、ウイルクから彼女のことを聞かされてないこと、「杉元・白石・キロランケの中から裏切り者が出る」と忠告しフチを不安にさせたこと、谷垣を利用し追ってきたことなどから怪しまれている。また尾形には鶴見との内通を見抜かれるが、鶴見を利用しているだけだと答えている。 網走監獄襲撃時の発言から、本心ではアイヌの金塊に興味なく、アシㇼパとウイルクの身を何より案じ、杉元や土方より鶴見に信頼を置いていたことが伺える。また本物ののっぺら坊であるウイルクは、双眼鏡越しに自身が渡した母の形見の衣装を着た彼女を見て、少女の頃に別れたきりのインカㇻマッと認識した。インカㇻマッはキロランケが何処かへ合図を送ったのを目撃した直後にウイルクが狙撃されたことから、脱出時にキロランケと口論になり揉み合った際、キロランケのマキリが腹部に刺さったのを証拠にするため抜かずに重傷を負った。第七師団の下で治療中に谷垣の子供を宿していることがわかり、小樽の病院に移される。駆けつけた谷垣と共に脱出後、フチのコタンにて出産する。 携帯している小刀(メノコマキリ)のモデルは北海道網走郡在住の彫刻家・藤戸幸夫が作ったもの。 チカパシ(アイヌ語: Cikapasi) 声 - 渡辺明乃 疱瘡の流行により家族が亡くなったため、アシㇼパのコタンの老人たちによって育てられた少年。名前は「鳥(チカプ、陰茎の隠喩)を立てる(アシ)=勃起」という意味で、亡くなる前の親から正式な名として付けられた。村の子供たちとあまり交流せず、狩りに興味を持っていた。谷垣はチカパシの狩りを盗み見る姿を自身の少年期の姿と重ねた。猟を見せてくれた事を切っ掛けに谷垣らを慕うようになり、旅立った彼らを追い掛け、以後同行することになる。性に興味があり、少々ませている部分がある。が、オチウを目撃した時には生々しさに怖気づいてしまった。谷垣とインカㇻマッが恋仲になった後は、二人が結婚して本当の家族になるよう提案している。 周囲の大人に安全なコタンへ戻るよう促されても「待ってる人がいない」「居場所がない」と語り、結果的に谷垣が身柄を預かる形となっている。釧路以降はリュウと行動を共にし、谷垣を追って樺太へ渡り、杉元一味のアシㇼパ追跡行にも同行する。 樺太で出会った同じ年のエノノカと家族になるためにリュウとともに残留。谷垣から二瓶の銃を受け継いだ。 キラウㇱ(アイヌ語: Kirawus) 声 - 前野智昭 釧路付近のコタンに住むアイヌ。常にマタンプㇱ(アイヌ伝統の鉢巻)を巻いている。名前の意味は「角がついている」で、子供の頃に鹿の角をつけて遊んでいたことに由来する。当時のアイヌ同様、払い下げの軍用銃を猟に使っている。二瓶とは知り合いで、10年以上前 に一緒に狩りをしたことがある。エゾシカ惨殺犯が二瓶の銃を持っていたことから、持ち主の谷垣を犯人と勘違いし追っていた。後に姉畑の行為を仲間のアイヌと共に目撃したため誤解が解け村長に説明し、谷垣とは和解する。 杉元一味がコタンを去った後、コタンが蝗害に遭ってしまう。そのため食い扶持を稼ぐべく鰊漁場で働いていたところ、土井新蔵の一件で土方一味と知り合い、共に行動することになる。 エノノカ(アイヌ語: Enonoka) 声 - 市ノ瀬加那 樺太アイヌの少女。名前の意味は「フレップ(コケモモ)」、フレップをたくさん食べてすべて吐いたことに由来する。チカパシと同じ齢だが、しっかり者で物怖じしない性格。日本語も達者な上、そろばんが使える。 祖父と共に犬橇で大泊(現在のコルサコフ)へ行商に来ていたが、帰り道で犬橇から落ちるも祖父に気づかれず置いて行かれてしまい、一人で森を抜けようとしていたところを「見慣れないアイヌの少女」を追う杉元たちに助けられた。チカパシと仲良くなり、よく行動を共にするようになる。 エノノカの祖父(アイヌ語: Henke) 声 - 杉崎亮 犬橇の所有者。孫娘のエノノカからはヘンケ(おじいちゃん)と呼ばれ、本名は不明。アイヌ語話者で日本語が判らず、また耳が遠い。 行商からの帰路、孫娘が橇から落ちたことに気づかなかったものの、エノノカが杉元たちに助けられた後に合流し、杉元たちをコタンへ案内した。鯉登の意向で犬橇の操者として彼に雇われ、エノノカと共に杉元たちのアシㇼパ追跡行に同行することになる。 イポㇷ゚テ 第七師団の項の有古力松を参照。 キムㇱプ 疱瘡痕のある老人。金塊を集めたアイヌの一人。チカパシの祖父。 1860年頃、和人に対抗しアイヌの金塊でロシア海軍から兵器を購入しようと画策するも失敗。金塊を隠し山の中でひっそりと生活をしていたが、1902年にシロマクルに発見されたのを機にアイヌの埋蔵金の捜索に巻き込まれる。 シロマクル アイヌ惨殺事件の当事者のひとり。有古力松の父。息子とともに八甲田雪中行軍遭難事件の遭難者遺体の捜索に参加した過去を持つ。和名不明。途中、メㇱラやイレンカなどの気の荒い者に嫌気が差し、アイヌの金塊の捜索から抜けた。 メㇱラ アイヌ惨殺事件の当事者のひとり。沙流出身。 スクタ アイヌ惨殺事件の当事者のひとり。 イレンカ アイヌ惨殺事件の当事者のひとり。 ラッチ アイヌ惨殺事件の当事者のひとり。 オㇱケポロ アイヌ惨殺事件の当事者のひとり。
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アイヌ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:15 UTC 版)
アイヌにおいてはアキレス腱を切断してコタン(集落)から所払いする刑があった。追放刑であるが、歩行に支障がある状態では野生動物から逃げられず、食料の調達も難しいため実質的には死刑に近かった。
※この「アイヌ」の解説は、「流罪」の解説の一部です。
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アイヌ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 07:56 UTC 版)
詳細は「アイヌ音楽」を参照 北海道のアイヌはレクッカラと呼ばれる喉歌の一種をたしなんでいたが、現在は行われていない。レクッカラの最後の歌手は1976年に亡くなっているが、レコーディングは残っている。
※この「アイヌ」の解説は、「喉歌」の解説の一部です。
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「アイヌ」の例文・使い方・用例・文例
- それがきっかけで、彼はアイヌ文化というものが自分の居場所だったことに気付いた。
- 最近やっとアイヌ語を真剣に勉強し始めた。
- 私はアイヌ文化について発表します。
- 私はアイヌの家族の構造を研究した。
- アイヌ人は人口が減る
- 日本は元来アイヌ人の住んでいた国だ
- アイヌ人は今に絶える(死に絶える)
- アイヌ人は全身に毛が生えている
- アイヌ人を絶やさないようにしたいものだ
- アイヌ人は毛が多い
- アイヌ人は人口が減るばかりだ
- アイヌはからだ中毛だらけだ
- アイヌ人は本州に痕跡を残している
- 本州にアイヌ人の痕跡が残っている
- アイヌ人は今に死に絶える
- アイヌ人はもと本州に住んでいた
- アイヌ人は全身毛だらけだ
- アイヌは日本の最北の島の原住民である
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