スパイとして
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/01 00:36 UTC 版)
「ポーリン・クッシュマン」の記事における「スパイとして」の解説
北部での出演を終えた後、クッシュマンは2人の親南派地元民に雇われ、アメリカ連合国(南部連合)の大統領ジェファーソン・デイヴィスを歓迎する酒宴に参加することになった。劇場は彼女に退職を迫ったが、彼女には別の考えがあった。すなわち、南部要人らの酒宴に参加することによって、北軍のための情報を収集するスパイとしての役割を果たそうとしたのである。 クッシュマンは南軍の指揮官らとの交流から得られた戦闘計画などの情報を靴の中に隠して持ち出していたが、1864年には2度逮捕された後、ブラクストン・ブラッグ将軍のもとへと引き渡され、軍事法廷において絞首刑が宣告された。当時、彼女は体調を崩していたのだが、さらに病状が悪化したかのように装い、これによって処刑は延期され、その間に北軍がその地域へと侵攻したことで、絞首刑に処されることなく解放されたのだった。また、彼女は2度負傷している。 いくつかの報告によると、その後に彼女は軍服を着用して男性に扮し、再びスパイとして南部に潜入したと言われている。彼女はジェームズ・ガーフィールド将軍から名誉進級少佐(brevet major)の階級を贈られたほか、エイブラハム・リンカーン大統領からも「連邦の大義」への貢献に対して名誉少佐(honorary major)の階級を贈られた。以後、彼女はミス・ポーリン・クッシュマン少佐(Miss Major Pauline Cushman)の通称で知られるようになる。1865年の終戦の後、彼女は全米を巡って自らのスパイとしての活動に関する講演を行った。
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