A百円券とは? わかりやすく解説

A百圓券

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 02:20 UTC 版)

百円紙幣」の記事における「A百圓券」の解説

1946年昭和21年2月17日大蔵省告示23号日本銀行券百圓券及拾圓券樣式ノ件」で紙幣の様式定められている。主な仕様下記の通り日本銀行券 額面 百圓100円表面 聖徳太子法隆寺夢殿新円標識瑞雲裏面 法隆寺西伽藍全景 印章表面総裁之印 〈裏面発券局長 銘板 大日本帝國印刷局製造 記番号仕様記番号色 黒記番号構成記号〉「1」+組番号数字1 - 4製造工場数字2番号通し番号数字6 寸法 縦93mm、横162mm 製造実績印刷局から日本銀行への納入期間 1946年昭和21年2月26日 - 1949年昭和24年12月26日 記号(組番号範囲 1 - 7352(1記号当たり900,000製造製造枚数 6,493,632,000 発行開始1946年昭和21年3月1日告示上:同年2月25日支払停止1956年昭和31年6月5日 発行終了 有効券 終戦直後猛烈なインフレーション抑制策として、政府により新円切替極秘裏に検討されていた。これは発表からごく短期間のうちに旧紙幣全て無効化して金融機関強制預金させたうえで預金封鎖し、代わりに発行高を制限した新紙幣A号券)を発行して最低限度の生活費だけを引き出せるようにするものであった。これを実施するには従前紙幣明確に識別可能な新紙幣急遽準備する必要が生じるため、紙幣図案検討としては異例指名型公募が行われ、他のA号券10円5円1円券)では粗末とはいえ公募を基にした新デザイン決定されたが、A百円券に関して下記経緯からその例外となっている。 連合国軍占領下当時は改刷を行い新紙幣発行する場合図案についてGHQ連合国軍最高司令官総司令部)の承認が必要であった当初の案は、インフレーション闇取引助長懸念から高額紙幣発行に対してGHQ反対したことにより不発となった凸版印刷株式会社によって提案され図案1つである弥勒菩薩像の肖像描いたA五百円券図案流用したものであり、弥勒菩薩像の肖像クレーム付いたためこれを聖徳太子像差し替えたものがA百円券の新デザインとしてGHQ申請が行われた。これは製造効率優先したオフセット印刷前提したものであったが、GHQ高額券である百円紙幣にはオフセット印刷認めず偽造防止観点から凹版印刷使用すべきとして変更指示したものの、当時切迫した状況から準備時間要する凹版印刷版面新たに用意する時間的余裕がない状態であった。そのため表裏両面ともい号券彩色のみを変更してそのまま流用し識別のために表面中央下に赤色新円標識瑞雲桜花)を加刷したもの発行することとなった。したがって刷色新円標識除いた図柄表裏両面ともい号券同一となっている。通称は「4次100円」である。 A号券のうち「発券局長」の印章裏面印刷されている唯一の紙幣であり、他のA号券場合は、10円5円1円券では「総裁之印」「発券局長」の両方表面に、10銭・5銭券では「発券局長」がなく「総裁之印」のみが表面印刷されている。 当初紙幣の製造についても発行元日本銀行から民間印刷会社直接発注するように調達方式変更する構想大蔵省持っていたが、極めて厳格な管理求められる紙幣製造業務の特殊性から望ましくないとのGHQ意向によりこちらは実行されなかった。結局のところ一部い号券ろ号券などと同様に従来通り印刷局一元的紙幣製造管理を行うこととなり、凸版印刷にて完成され版面印刷局引渡したうえで、印刷局とその委託受けた大日本印刷凸版印刷などの複数民間印刷会社分散して印刷されることとなった記番号については、通し番号省略され記号(組番号)のみが印字されている他のA号券異なり、このA百円券のみ1枚1枚固有の通し番号付されている。組番号通し番号両方印字されている他券種異なり、組番号括弧表記はないた区別付き難いが、他券種同様に紙幣右上左下が組番号左上右下通し番号となっている。通し番号基本的に900000までであったが、い号券と同様、不良券との差し替え用に900001以降通し番号印刷された補刷券が存在する記号(組番号)の下2製造工場表しており、下表通り12箇所印刷所別に分類できるこのように多数民間委託先でも印刷されたため、用紙刷色変化多く品質不均一となっている。 製造工場記号下2透かし大蔵省印刷局滝野川工場 12 (白透かし不定位置大蔵省印刷局酒匂工場 22 大蔵省印刷局静岡工場 32 大蔵省印刷局彦根工場 42 天平時代の裂の文様白黒透かし定位置凸版印刷板橋工場 13 (白透かし不定位置凸版印刷富士工場 23 凸版印刷大阪工場 33 大日本印刷榎町工場 44 共同印刷小石川工場 15 東京証券印刷王子工場 16 東京証券印刷小田原工場 26 帝国印刷工場 17 透かしは、印刷局彦根工場製造分(組番号右上左下番号)の下242)のみ乙百圓券い百圓券同様の天平時代の裂の文様」(小幡赤地模様ならびに鳳凰高山植物組合せ)の定位置透かしであり、そのほか工場製造分は「桐」の白透かしによる不定位置(ちらし)透かしである。印刷局彦根工場製造分の異な透かし用いられ理由は、A百円券の発行開始により製造発行中の全ての紙幣白黒透かし用いられなくなってしまうことから、将来備えて白黒透かし製造技術維持することを目的したものである。A号券のうち透かし入っている唯一の紙幣となっている。 使用色数は、表面5色内訳凹版印刷による主模様1色、地模様2色、印章新円標識1色、記番号1色)、裏面3色(内訳は主模様1色、地模様1色、印章1色)となっている。凹版印刷採用されているのは表面のみで、裏面印刷方式当初凸版印刷であったが、新円切替をもってしてもインフレーション食い止めることはできなかったため、百円紙幣需要増大し製造追いつかない状況になったことから、1946年昭和21年後半以降から製造効率上のため平版印刷変更されている。 A百円券の製造終了1949年度昭和24年度)である。 新円切替後の紙幣なので現在も法的に有効だが、失効券である乙号券い号券(これらの紙幣には赤色新円標識がない)と図柄類似しているため間違えないように注意する必要がある

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「A百圓券」を含む「百円紙幣」の記事については、「百円紙幣」の概要を参照ください。

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