1995年度までの日本代表とは? わかりやすく解説

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1995年度までの日本代表

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 01:17 UTC 版)

ミス・ユニバース・ジャパン」の記事における「1995年度までの日本代表」の解説

「かつてのミス・ユニバース日本大会」を表記 回年優勝者(出場後の肩書)世界大会回数世界大会開催世界大会での成績備考第1回 1952年 小島日女子 第1回 アメリカ(ロングビーチ) 第2回 1953年 伊東絹子 第2回 総合第3位獲得 伊東現す八頭身美人」は流行語となった第3回 1954年 近藤美恵子(女優) 第3回 近藤その後大映映画活動第4回 1955年 高橋敬緯子 第4回 総合第5位を獲得 第5回 1956年 馬場祥江 第5回 第6回 1957年 大谷享子 第6回トップ15』に入賞し特別賞「ミス・アジア賞」も受賞 第7回 1958年 森武知子 第7回トップ15』に入賞し特別賞「ミス・フレンドシップ」も受賞 第8回 1959年 児島明子 第8回ミス・ユニバース児島は、日本人及びアジア人として初めての『ミス・ユニバースとなった1966年俳優宝田明結婚するが、1984年離婚。娘・児島未散歌手第9回 1960年 古野弥生 第9回 アメリカ(マイアミビーチ) 『トップ15』に入賞 第10回 1961年 遠山明美 第10回 遠山は、通算10代目日本代表第11回 1962年 平野和子 第11回 第12回 1963年 安藤矩子 第12回トップ15』に入賞世界大会では、当時朝日放送常務原清審査員ひとりであった。 第13回 1964年 松本千都子 第13回 第14回 1965年 片山まり 第14回 第15回 1966年 池野温美 第15回 第16回 1967年 藤川香代子 第16回 第17回 1968年 飯野矢住代(タレント) 第17回 特別賞「ミス・アミティー」を受賞 飯野受賞後ジャニーズ事務所初めての女タレントとなった退社し1971年21歳死亡した第18回 1969年 大須賀喜久代 第18回 総合第5位を獲得 第19回 1970年 島田純(タレント) 第19回 総合第4位を獲得し特別賞受賞 島田は、ミス・ユニバース日本代表になった翌月大阪行われた万国博女王選出大会」に出場ミス・ユニバース世界大会出場後、ジャニーズ事務所二人目女性タレントとなり、「嶋田じゅん」として芸能活動1977年昭和52年)にフォーリーブス青山孝と結婚、後に離婚第20回 1971年 武富茂子 第20回トップ12』を獲得 武富は、通算20代目日本代表第21回 1972年 前田晴美 第21回 プエルト・リコ(ドラド) 『トップ12』を獲得世界大会における審査員には、当時朝日放送社長原清がいた。 第22回 1973年 染谷美代子 第22回 ギリシャ(アテネ) 『トップ12』を獲得世界大会では、日本ファッションデザイナー森英恵審査員ひとりであった。 第23回 1974年 坪井江里子 第23回 フィリピン(マニラ) 同世界大会における審査員には、当時朝日放送社長原清がいた。 第24回 1975年 中山幸子 第24回 エルサルバドル(サンサルバドル) 『トップ12』を獲得世界大会における審査員には、当時朝日放送社長原清がいた。 第25回 1976年 岩国美弥子 第25回 香港 第26回 1977年 佐藤恭子 第26回 ドミニカ共和国(サントドミンゴ) 第27回 1978年 萬田久子(女優) 第27回 メキシコ(アカプルコ) 同世界大会における審査員には、デヴィ・スカルノデヴィ夫人)がいた。 第28回 1979年 黒田百合香 第28回 オーストラリア(パース) 特別賞「ミス・アミティー」を受賞 第29回 1980年 檜山久恵 第29回 韓国(ソウル) 特別賞「ベスト・ナショナル・コスチューム」の第3位受賞 檜山は、1984年プロ野球選手の上川誠二と結婚。同世界大会における審査員には、当時朝日放送社長原清がいた。 第30回 1981年 織作峰子(写真家) 第30回 アメリカ(ニューヨーク) 織作は、通算30代目の日本代表第31回 1982年 奥脇絵里(カーレーサー) 第31回 ペルー(リマ) 第32回 1983年 山口遊子 第32回 アメリカ(セントルイス) 特別賞「ベスト・ナショナル・コスチューム」の第3位受賞 第33回 1984年 新山恵 第33回 アメリカ(マイアミ) 第34回 1985年 古沢初美 第34回 第35回 1986年 江崎普子 第35回 パナマ(パナマシティ) 第36回 1987年 難波央江 第36回 シンガポール 第37回 1988年 坂口美津穂 第37回 台湾(台北) 総合第4位を獲得 坂口は、1989年プロ野球選手星野伸之結婚第38回 1989年 田代絵里 第38回 メキシコ(カンクン) 第39回 1990年 三好浩子 第39回 アメリカ(ロサンゼルス) 三好同日、同じ舞台でミス・フラワークイーン日本代表選出され宮川朋子は、ロサンゼルス同時に大阪国際花と緑の博覧会行われたミス・フラワークイーン世界大会出場第40回 1991年 山本亜津子 第40回 アメリカ(ラスベガス) 山本は、通算40代目の日本代表第41回 1992年 安藤晃子(女優) 第41回 タイ(バンコク) 第42回 1993年 志岐幸子(スポーツキャスター感性工学学者) 第42回 メキシコ(メキシコシティ) 志岐スポーツキャスターとして活躍後、感性工学学者として関西大学准教授となり、さらにその後同大教授となった。同世界大会では、日本のジャズ奏者松居慶子審査員ひとりであった。 第43回 1994年 川人千明 第43回 フィリピン(パサイ) 第44回 1995年 佐伯成美(女優) 第44回 ナミビア(ウィントフック) 「小出華津」として芸能活動をしている。

※この「1995年度までの日本代表」の解説は、「ミス・ユニバース・ジャパン」の解説の一部です。
「1995年度までの日本代表」を含む「ミス・ユニバース・ジャパン」の記事については、「ミス・ユニバース・ジャパン」の概要を参照ください。

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