戦争計画
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戦争計画(せんそうけいかく、War Plans, Military operation plan)とは、国家や政府が戦争に対処するために、特定の仮想敵国に対して、戦時の軍事戦略を総合的にシミュレーションすることをいう。なお、War Plans という英語での呼称は、実戦に直結する軍事戦略として、第二次世界大戦期に主に使用され、現代では Military operation plan のほうがよく使われる。
- 1 戦争計画とは
- 2 戦争計画の概要
戦争計画
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クラウゼヴィッツは戦争計画の章では戦争の総括的問題を解明し、本来の戦略とその重要事項について論じている。戦争計画は軍事行動のすべてが総合されたものであり、計画中のさまざまな目標は戦争目的と関係付けられる。戦争は国家の知性である政治家と軍人によって発起され、戦争において、また戦争によって達成すべき目標を決定する。しかしクラウゼヴィッツの戦争理論によって既に明らかにされたように、戦争には純粋な暴力の相互作用の原理が機能する絶対戦争と現実的形態として諸々の抑制が加わる現実の戦争がある。つまり戦争は二種類の目的が設定されうるものであり、敵の完全な打倒という戦争目標と敵国の国土の一部を攻略占領という制限された戦争目標が考えられる。 さらに戦争は政治の道具であり、政治的交渉は戦争においても継続され、また同時に戦争行動は政治的交渉を構成するという見解がクラウゼヴィッツの基本的立場である。つまり戦争が政治に内部的に従属するため、政治の戦争意思が強大になるに従って戦争は絶対的形態へと移行する。また政治の戦争意思が弱小になるに従って、戦争本来の姿から生じる厳しい結果を避け、遠い将来の成果よりも近くの結果に関心が集中する。戦争に必要な主要計画は全て政治的事情に対する考察が必要であり、政府と統帥部の意志が統一されなければならない。その方法の一つとして内閣の一員に最高司令官を加えることを挙げている。クラウゼヴィッツは、攻勢的戦争、防御的戦争それぞれにおいて重要な点を述べている。 クラウゼヴィッツが提案する戦争計画の原則は二つの原則から成り立っている。それは次のように定式化される。 可能な限り集中的に行動する 可能な限り迅速的に行動する 集中的行動の原則をクラウゼヴィッツは次のように説明する。敵の戦闘力を集中させ、その点に対して我の戦闘力を集中することが必要である。しかし戦闘力の最初の配置や参戦諸国や交戦地域の地理的環境などによっては分割も可能である。しかし戦闘の勝敗が重要でない地域に戦闘力を分散する場合にはこの原則に従うことが困難になる場合もある。したがってこの集中の原則は主要な戦闘を必要とする方面に対してのみ攻撃を、その他の方面に対しては防御を実施することが合理的であると考えられる。さらに迅速の原則において時間の浪費は戦力の消耗であり、また時間の要素は奇襲の条件を構成する。したがって戦争においては常に敵の完全な打倒を狙いながら前進し続けることだけが望ましいのであり、一度でも停止すると敵に対する有効な攻撃前進を再開することは不可能となる。
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戦争計画
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このナセルのやり方に憤慨したイギリスのアンソニー・イーデン首相は運河の国際管理を回復するために数ヶ月間に渡りエジプトとの交渉を続けたが、結実は成せず、フランスと協力してエジプトへの軍事行動を構想し始めた。 また、フランスは当時アルジェリア戦争においてエジプトがアルジェリア民族解放戦線に対する各種援助を提供する実質上の庇護者であると誤解し、ナセル政権を打倒することこそがアルジェリアにおける紛争終結に結びつくと考えた。 7月から8月にかけてパリとロンドンを訪問したイスラエルのシモン・ペレス国防相はイギリスとフランスがエジプトへの軍事行動を本格的に考えていることを知り、9月半ばに再びパリへ赴き、戦争に備えるための武器の調達に奔走した。フランスはイスラエルへの武器提供を積極的に支援し、ペレスはフランスのイスラエル支持の姿勢を確かめることになった。 英仏両国政府はエジプトに侵攻してスエズ運河地帯の確保を画策したが、第二次世界大戦以後、かつてのような侵略目的の戦争は非難を浴びる社会となっていたことから、英仏が目をつけたのが第一次中東戦争でエジプトと敵対していたイスラエルであった(エジプト革命の際にイスラエルはエジプトを攻撃しており、これに激怒したナセルは、イスラエルのインド洋への出口であるアカバ湾と紅海をつなぐチラン海峡を軍艦をもって封鎖していた。これによってイスラエルは経済に打撃を受けていた)。 スエズ運河の利権を手放したくない英仏と、チラン海峡における自国船舶の自由航行権を確実なものとするためにエジプト軍をシナイ半島から追い払いたいイスラエルは利害が一致したため、三国は事前に調整を重ね、10月末の実行が決定した。英仏の海軍艦隊が地中海のエジプト沿岸に派遣され、侵攻を待った。 イスラエルがシナイ半島へ侵攻したところで、英仏政府が兵力引き離しのためにイスラエル・エジプト両国に軍をシナイ半島から撤退するように通告。当然どんな国も自国領土から撤収するはずがないので、エジプトへの制裁を大義名分として英仏軍が介入し、エジプト軍をスエズ運河以西へ追い払った上でスエズ運河地帯を兵力引き離しのための緩衝地帯に設定して平和維持を名目に英仏軍が運河地帯に駐留し、イスラエルはシナイ半島を占領する、というのが三か国が描いた筋書きであった。 イスラエルはこのため、フランスより多くの軍事援助を受け取っている。AMX-13戦車250両を獲得したほか、援助の75mm対戦車砲を搭載したM50スーパーシャーマン50両も整備された。
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