革命的ナショナリズム
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青年保守派系の第二の中核としていわゆる『革命的ナショナリズム(Revolutionärer Nationalismus)』があった。いうまでもなくエルンスト・ユンガーがその最も代表的な人物である。青年保守派と違いこのナショナリズムは戦争体験を直接の出発点とし、この体験のイデオロギーを国民のための政治綱領にまで高め、多くのロマン主義と魂によって貫かれた戦闘的でより強烈で冷酷なものだった。ユンガーは「新ナショナリズムは普遍的ならぬ特殊なもの、即ち『魂の力』を欲する」と言う。戦争の中でナショナリストへと自己変革をとげた者は、啓蒙や理性を否定し、新ナショナリズムは普遍的なもの全てを軽蔑しまさにこれであってそれ以外ではあり得ないという独自性を追及する。 根元的なもの、母なる大地との新たな関係、これがナショナリズムの本質である。この母なる大地の表層は物量戦の烈火によって焼き清められ、血の奔流によって受胎した。ナショナリズムの本質とは、民族の神秘な言葉に隷従し、それを二十世紀の言葉に翻訳することである — Der Kampf um das Reich ナショナリズムとは、国民を中心的価値と感じかつ認識し、利用しうる全ての力、全ての手段をもってこの国民のために挺身する一つの絶対的意志である。この新しいナショナリズムの旗は、黒=赤=金でも黒=白=赤でもない。それは我々の心臓に基づきそこから建設さるべき新しいもっと偉大な帝国の旗である 黒=白=赤のナショナリズムをヴィルヘルム主義として、したがって反動として断罪するにせよ、あるいはそれを安物の愛国心として無造作に斥けるにせよ、とにかくそれを嘲笑することは革命的ナショナリストの日常的行為であった。 新ナショナリズムは他ならぬヴィルヘルム主義の崩壊の中から生まれたものである。ナショナリズムは最早玉座によって束縛されることも妨げられることもない。その結果、我々のナショナリズムはかつてなかったほど奔放で、好戦的でかつ強暴となる。ナショナリズムはたんなる思想の産物ではなく、行動であり運動であり意志である。それは最高級の権威ある法則である。それこそは新国家構造の基礎である。全ての闘争はこの新国家の実現を目指す場合にのみ意味を有する。 ナショナリズム革命の原動力は血の中にある。国民は血の共同体であるが、それは人種的にではなく生命主義的に理解される。生は精神的、道徳的内容によらず、力の充実によって評価される 革命的ナショナリストの諸宣言には陶酔状態の中で書かれたかのような印象をうける。他のいかなるナショナリストよりも強烈で、野性的で、好戦的である。革命的ナショナリストは、危機克服のための政治綱領を持たず、むしろその密教的性格に満足し、激烈な宣言で市民にショックを与えることを得意としていた。彼らは鉄兜団のような他のナショナリズム諸団体を憐憫の目で見下げており闘争と戦争を讃え、全てのブルジョア的、市民的なものを否定し自ら陰謀家をもって任じ、唾棄すべき民主主義を恫喝していた。革命的ナショナリストの中には一種異様なロマン主義ともいえる雰囲気があり自らの過激な言動は歴史的、運命的必然性を有するものと主張された。英雄的な戦闘行為と物量戦の思い出に浸りつつ、同時にドイツ魂の根源を呼び起こし、マイスター・エッケハルト、ヤーコプ・ベーメ、ゲーテらの中に慰めと励ましを見いだすと称していた。 革命的ナショナリストは全ての既成のものへの闘争を宣言すること以外には何も国民に提供しなかった。その国家像は軍隊組織を国家組織へ単純に移しかえたものであった。市民的自由のかわりに強い拘束が持ち込まれ、市民という類型に対しては前線兵士か労働者の類型が対置された。それは英雄的形態の人間像であり人間性や理性的思考などの女々しい体質を克服したと自認する人々の類型であった。一人一人の人間は、類型あるいは形態の犠牲となり個人は民族の血の共同体の中に溶解し、民族が命令するときにはすすんで自己の命を犠牲にしなければならなかった。こうした革命的ナショナリストの思想はニーチェとシュペングラーの思想を、主として軽蔑から導きだされた政治的、行動主義的イデオロギーとして焼き直されていた。市民的なものとその国家像に対するこの軽蔑は一種の美的なまでにかたまり、嫌悪すべきヴィルヘルム主義の精神を継承したにすぎない国家秩序の克服は祝福すべきものと見なされる。こうした陰険な「没落の喜悦」が革命的ナショナリズムの精神を貫いている。 1926年から1932年までのユンガーは、民族的、社会主義的傾向の青年団体や組織に接近して精力的な著作活動を展開していた。これには、短期間であるが、ユンガーの弟フリードリッヒ・ゲオルク・ユンガー(ドイツ語版)も明らかに彼の影響を受けて加わっている。 ユンガーは「新ナショナリズムの精神的指導者」と目されており、彼ほど的確に理想主義に燃えた志願兵の戦争体験を表現した者はいなかった。彼によれば、「戦争の地獄図」の中で兵士たちはその愛国的ロマン精神を死の戦慄の洗練された美意識にまで昇華したのである。こうして商人の世界を軽蔑し平然と踏み躙ることのできる壮大な独断的ヒロイズムが、以後何年にも渡って培養されていった。 長年の後、我々の目は、戦争の地獄絵の中ではじめて本質的なものを見ることができるようになった。今こそ我々はこの本質的なものに迫ろうとしているのだ。前方にほのかに見える目標の光が我々の道を照らし、火炎放射器が邪魔者を一掃してくれた。そうでなければ、我々は何処にも立つことができないであろう。我々は市民の敵であり、しかも純粋で真実で紛うこと無き非情なる敵であるから、市民の滅亡ほど愉快なことはない。我々は断じて市民ではない。戦争と内乱の子である。市民世界の全て、即ち、虚ろに動く回り舞台が一掃される時こそ、我々の中に今なお、自然、本質、純粋な野性、血と種による真の生産能力として眠っているものが開花するであろう。その時はじめて新しい形の可能性が生じるのだ ユンガーをはじめとするナショナリストたちは、共和国の混沌のなかから新しい、より良いものを形成していこうという気持ち、即ち、共和国自体に新しい土台を与えようという気持ちは毛頭なかった。彼らは共和国のデモクラシーのなかに「我々の祖父たちの風化した理想」の実現しか認めなかった。1918年の革命は全く革命などではなく、崩壊に過ぎなかったのであり、ユンガーは革命がやり直さなければならぬとする点で、青年たちと一致できると信じていた。
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