青年保守派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 12:23 UTC 版)
『青年保守派(Die jungkonservativen)』はドイツ国権派のナショナリズムと類似していたが、青年保守派自身は新しい生活感覚、本質把握を通じて自己を旧ナショナリズムから峻別しており、こうした意識から彼らは議会での勢力分布に基づいて分類されたり左右両翼のいづれかに固定的に位置付けられるのを好まず、むしろ彼らは旧世代と新世代の間の大きな断然があることを重視していた。 青年保守派は保守主義を名乗りながら一切の反動と一線を画していた。この反動は、古いものにしがみつき反動的に凝り固まったナショナリズムだけでなく、新時代の成長を遅らせるだけで阻止することをしない世界的反動としての自由主義にも反対する。 メラー一派の言葉によれば 革命的になるとすれば、それは状況のせいである。心の秩序にかわって心の無秩序が世界を支配するとき、正常な心をまだ見失っていない者ならこの心の無秩序と戦うために立ち上がらなければならない このように定式化された青年保守派の主張は強烈な主張であった。保守革命は、まさにフランス革命の残滓を一層し、それにかえて新たな価値を措定する壮大な対抗革命として理解される。青年保守派の保守革命は近代ヨーロッパにおける人間解体を阻止しドイツの指導の下、新たな秩序、エートス、新たなヨーロッパ統一を主張していた。青年保守派によって広められたこのようなナショナリズムは実際、国権派とは別種のものだった。それは権力とドイツの威信の再建を要求するだけでなく、近代文明の悪そのものの根元を捉えようとした点にある。 青年保守派独特のナショナリズム思想がその高慢な予言、精神的前提の不明確さ、善玉悪玉論の世界観にもかかわらず国権派のナショナリズムと異なっていたのは、理想主義的であり、高次の国民的目標を追求していたためである。しかし、あまりにも多くの政治知らずのロマン主義、セクト主義、眩惑が多かったため現実の改革には何一つ役立ちえなかった。カール・フォン・オシエツキーはかつてメラーの『第三帝国』を「単調なメランコリーに満たされた政治知らずの哀歌」と名付けたことがある。青年保守派のイデオロギーはそれが理想や夢や壮大な言葉を弄しながら、現実の政治状況やそこに含まれる可能性を詳しく検討することを怠ったという点では、政治そっちのけの高踏的なイデオロギーであった。
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