ドイツ国権派とは? わかりやすく解説

ドイツ国権派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 12:23 UTC 版)

保守革命」の記事における「ドイツ国権派」の解説

上層ブルジョワジー、旧官僚や軍を代表する貴族など広範なから成る『ドイツ国権派(Die deutschnationalen)』は、その政治的信念において青年ナショナリズム激烈な突撃精神に対して否定的な態度示していた。社会問題には他のナショナリスト比べてきわめて関心であり、民主主義による国民的な民族国家建設反対する頑固な民主主義集団だった。国権ナショナリスト生粋君主主義者であり、自分たちに権力特権保障してくれる支配秩序代弁者だった。それゆえ帝政時代に彼らがもっていた強大な社会的政治的地位共和国によって失われたときこれらを祖国混沌と道徳的退廃との広がり捉えていた。 「聖なる理想革命革命後の嵐の中で無残にもかき消され国家生活と社会生活道徳的基盤失われた権威王権神授説忠誠祖国愛異な身分人々の全財産への畏敬無価値なものとしてガラクタ置場にぶちこまれ、それにかわって新し神々、即ち民主主義裸体主義運動無秩序な自然主義友愛結婚無制限自由放任主義玉座についた。これは民族を思う烔眼の全ての認めるところである。」 ドイツ国権派の愛国心ここまで反動的となったのは、彼らが世界大戦後ワイマール共和国時代中に昔ながら自己をほとんどそのまま持ち込んだせいであった実際ドイツ国民多く内面的にはまだ帝政期心情持ち続けその結果新し事態への適応極めて困難だったことを考えればそれは心理的に理解できることであった。しかしそれは同時に政治現状対する彼らの著し理解力の不足を暴露したものであったそもそもドイツ帝国という官憲国家現実の中で生活することによって、自立的な政治姿勢多かれ少なかれ放棄していた上層ブルジョアジーは、1918年以後国家肯定しつつ心底では非政治的だったかつての態度変更し新秩序に対して激し怨恨を抱くようになった。したがって当初ははっきりと君主制復活志向していたドイツ人民党や、本来極めて反動的なドイツ国家人民党が、時折ワイマール共和国政府協力したのはただ戦術的な配慮からだけであった。この協力は特に国家人民党場合には常に日和見主義性格帯びていた。 こうしたナショナリズム系の政治文書の特徴としては、匕首伝説戦争責任デマ宣伝十八番とし、そうでない場合過去帝政時代への追憶支配的であった。そのため全て1914年以前か、あるいはビスマルク辞任以前の状態に戻されるべきと考えられた。大戦前の巨大な経済発展産業主義大衆社会出現相まって全く新し政治的社会的条件作り出したという認識国権派にはほとんどなかった。 彼らが主張する祖国愛心情にしても保守革命派らの新しナショナリズム場合のような国民感情ではなく、また彼らが国粋的感情を示す場合でもそれは国家への全国民層の結集参与意味するというよりは、むしろ文化政治及び経済におけるユダヤ要素排斥意味していた。国権派は階級闘争嫌悪するが、それはプロレタリアート協力してより良い国民共同体建設するためではなくプロレタリアート階級闘争通じて国民の間に占め国権派の政治上のヘゲモニー揺り動かすことを恐れたからである。民主的な社会主義でさえ彼らにとっては共産主義と同様、信頼のおけないものだった労働者の生活向上を目指す如何なる社会主義試みに反対し、そうした試みに潜むボルシェヴィズムへの危険性警告していた。さらに彼らは、芸術と文学分野偏狭な民族主義克服しようとする知識人らを「文化ボルシェヴィズム」と呼んで罵った国権派の思想は、特にその祖国愛心情という点で個別的にどれほど尊敬値するものであったとしても時代新し要請理解し得ず認識しようとしなかったがゆえに、反動的な思想だった。国権派は敗戦責任銃後敗北主義勢力おっかぶせ1918年ドイツ革命戦争による疲弊窮乏とに苦しめられ人々の諸集団社会的向上を目指し競い合う努力表れとして見ることができず、そこに国家権威対す暴動一揆しか見なかった。壮大な過去歴史つぎはぎ細工からなる国権派のイデオロギーは、それが強い怨恨感情によって培養されていただけに、一層致命的な影響共和国に対して及ぼすこととなった国権派には、自己よりも若くしかも自己敵対するナショナリスト比べて時代新し要求から生まれ創造的理念欠けており、現に存在する国家その都度無批判肯定するというこれまでの習慣共和制の中で維持することができなかった為、国権派は専ら怨恨中傷撒き散らすほかなかった。現実克服すべき諸問題に対して思想乏しく頑迷ナショナリスティック対決姿勢固執する国権派は、存在するものを否定する喜びの中のみに勝利感を味わっており世界大戦からもその敗北からも何も学ばなかった。そのため、若い新ナショナリストこうしたドイツ国権派への追随拒否したのは当然であった

※この「ドイツ国権派」の解説は、「保守革命」の解説の一部です。
「ドイツ国権派」を含む「保守革命」の記事については、「保守革命」の概要を参照ください。

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