部落解放同盟を批判する見解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 05:44 UTC 版)
「確認・糾弾」の記事における「部落解放同盟を批判する見解」の解説
これに対して、日本共産党を中心に、確認・糾弾は「かえって人びとの観念のなかに、部落民にたいする恐怖心や憎悪を植えつけている」「解放同盟が恣意的に検事と判事の役割を務める『弁護士なき人民裁判』に等しいものであり、手続上きわめて大きな問題を孕んでいる」とする意見がある。具体的には矢田事件(1969年)や八鹿高校事件(1974年)、天理西中学校事件(1989年)など数多の刑事訴訟に発展した事例もあり、それらについては解放同盟の幹部らが逮捕起訴され有罪判決を受けた事例も存在する。矢田事件の判決では「被糾弾者が拉致監禁され深夜まで糾弾を受け、執拗な脅迫文言を以て威圧される異常事態に発展した。」と認定されるに至った。実はこのときの被糾弾者は部落出身者であった。これを以て「確認・糾弾が部落出身者自身の人権を侵害する手段ともなりうる」と主張されることがある。 差別事象に対する正常化連の方針は次の通りであった。 反動勢力の側からの意図的な差別と、勤労国民の間の偏見や認識不足、不用意な言動に基づく問題とを厳密に区分する。いかなる理由があっても人権を侵害しない。社会的常識と道義を遵守し、民主的態度で行動する。そして、広範な国民の支持を獲得する。 正常化連の後継組織である全解連はさらに踏み込んで、1985年3月10日に「差別事象にたいする全解連の態度」を、1988年に「差別事象にたいする全解連の方針」をそれぞれ打ち出し、差別事象に対して「確認・糾弾」という手段をとらないことを決めた。全解連の丹波正史は「その当時まだ方針が曖昧で糾弾行為はしないが、確認行為はおこなう地域もあった。こういうことが運動としてふさわしいのかどうかという議論が出て、この差別事象方針を出すことになった」と、述べている。 勤労国民の間で起こった差別事象は、部落と部落外というような敵対的な立場でとらえるのではなく、当事者間の民主的な話し合いで解決することを原則とする。必要がない限り直接運動団体は介入せず、基本的には本人同士で解決する。 支配者側の差別事象については、必要によって政党の協力も得ながら議会闘争を含めた社会的闘争を行う。 また、法務省の人権擁護機関や司法による救済措置、弁護士会の人権擁護委員会などの公的機関を積極的に活用する。 これが全解連の方針であった。また、部落解放同盟大阪府連から分裂した部落解放同盟全国連合会も 本部派の当時の支部長は、現役暴力団や右翼と一緒になって、事実確認もせずに「糾弾会」を行いました。僕らは、間違った運動をするなと抗議をしました。兵庫県連にも指導の要請をしました。県連は「指導に行く」と言いながら今日まで何もしていません。 と指摘している。 八鹿高校事件の刑事裁判の控訴審では、被告人である部落解放同盟側の代理人弁護士が「部落大衆や指導者は社会科学を学んで運動しているものではない、『無知蒙昧』の部落民が立ち上がったとき誤りや弱点があるのは当然だ」との主張を展開し、「これこそ差別観念まるだし」と批判されたことがある。 確認・糾弾に対して向けられる批判の1つに、糾弾対象が差別事象の行為者のみではなく、監督・指導等の責任者を問うことに対してのものがある。1999年松阪商業高校事件当時の校長は「確認・糾弾会による心労から縊死を遂げた」と主張されている。また、1977年には「部落地名総鑑」購入をめぐって三菱鉱業セメント北九州事業所の所長が糾弾され、カミソリで頸部を切断し自殺した事件も起きている。 現在の解放同盟は、地域で暮らしづらくなった・退職せざるを得なくなったなど、悪質な差別事案にのみ対応しているとしているが、実際には曹洞宗の町田宗夫理事長のごとく「部落問題は既に解決された」旨の発言から糾弾に至る事例も数多い。法務省は上述のような幾つかの問題点を列挙した上で「確認・糾弾会は、同和問題の啓発には適さない」と訓示している。 なお、差別者の特定と部落差別の解消は基本的に行政の責任であるとの認識から法務局と協力して行うのが解放同盟の方針であるが、法務省は「確認・糾弾がそもそも違法である」との立場から、確認・糾弾会への立会いを拒否するとともに、「確認・糾弾会には出席すべきでない」としている。 「確認・糾弾に対する法務省の通知」も参照 また、差別用語に対する規制問題を追究していたジャーナリストの山中央は、「『差別する自由はない』ということばが、糾弾の"殺し文句"として使われているが、一方では『勝手に差別と決めつける自由もない』のである」と主張している。 アイヌ民族主義者の秋辺日出男は「あれは、検察官と被害者だけの、弁護人のいない裁判で、これこそ人権侵害でしょ。アイヌにはチャランケというのがあって、当事者が発言することはせずに、親族が双方の弁護人になって裁判をする仕組みがあった」と発言。また、差別を理由に役所に強引な要求をする者を「人権テロリスト」と呼んでいる。 全解連の丹波正史は、次のように指摘している。 それにしても「解同」が糾弾を行うのは、主に学校とか行政であり、国家権力の中枢に対して糾弾行為をしたというのは聞いたことがない。例えば中枢の国会議員が差別的発言をしたからといって、糾弾の場所に呼び出し、糾弾をやったというような話はない。つまり、糾弾行為は結果的にどこに向いているか明瞭である。 糾弾を積極的に肯定する小林健治もまた、麻生太郎による野中広務への差別発言を部落解放同盟が糾弾しなかった原因について、部落解放同盟中央本部委員長と麻生の間に「秘密裡に“手打ち式”」がおこなわれたためであると再三主張している。 なお全日本同和会は「我々は、同和問題の歴史的な推進過程の中で、差別糾弾闘争は国民に恐怖心を与え、差別意識を温存させる結果を招来させており、このような観点から同和運動は「対決と闘争」中心のみでは、完全解決を期することは出来ないという教訓を学んだ」と述べている。
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