部落解放問題に関する主張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 01:10 UTC 版)
「小森龍邦」の記事における「部落解放問題に関する主張」の解説
一貫して部落民自身による部落問題の解決を主張し、自民党政府の同和政策を厳しく批判し続けてきた。また、そのためには強硬行動も辞さない態度をとり、解放同盟の外部に対しても積極的な発言を続けている。そのため、外部からの強い批判を受ける事もしばしばある。 藤田敬一『同和はこわい考』(1987年)が出版され、一部で議論を呼んだ際には、その内容が、当時の政府地対協「意見具申」の主張と変わりないと批判。自身の批判の骨子を解放同盟中央本部の「『同和はこわい考』に対する基本的見解」として出した。それを批判する解放同盟周辺の知識人、土方鐵や師岡佑行らとも論争した。『同和はこわい考』を「少なくとも部落差別の対象にならない人が、『あれもいけない』『これもいけない』と注文がましいことを言ってはいけない」と批判し、朝日新聞記者の上丸洋一から「ありていに言えば、痛みのわからない者は黙っていろ、というのである。この自己絶対化」と非難を受けた。 解放同盟中央本部書記長在任中には、TV「朝まで生テレビ!」の「部落と人権」特集で部落解放同盟の代表者として出演(1989年)したり、小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』第4巻(1997年)にも対談で登場し、その運動の正当性を主張している。 オランダ人ジャーナリストのカレル・ヴァン・ウォルフレンの著書『日本/権力構造の謎』(早川書房)の記述を取り上げて、抗議を申し入れ、それをうけて1990年10月30日に実現したウォルフレンへの確認・糾弾に参加し、部落差別かどうかの判定権は部落民にのみあるとする理論を展開。ウォルフレンは、この一件を「国際的スキャンダル」と表現した。 1992年、『月刊現代』誌上で、島田裕巳(当時日本女子大助教授)の司会のもとに、オウム真理教教祖の麻原彰晃と対談している。
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