逸話と伝説とは? わかりやすく解説

逸話と伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 15:16 UTC 版)

小野篁」の記事における「逸話と伝説」の解説

篁は昼間朝廷官吏を、夜間冥府において閻魔大王のもとで裁判補佐をしていたという伝説が『江談抄』、『今昔物語集』、『元亨釈書』といった平安時代末期から鎌倉時代にかけての説話集紹介され、これらを典拠にして後世の『本朝列仙伝』(田中玄順・編、1867年・刊)など多く書籍冥官小野篁紹介されている。『江談抄』三の三十九において、藤原高藤急死した際、閻魔庁の篁によって冥土からの生還果たしたことが記されている。 『今昔物語集』巻第20第45話小野篁、情に依り西三条大臣助くる語(小野篁依情助西三条大臣語)」によると、病死し閻魔庁に引据えられ藤原良相が篁の執成しに よって蘇生したという逸話見える。 『元亨釈書』 では、巻の九にある矢田寺金剛山寺)の滿米(満米)上人の項において、篁が閻魔大王菩薩戒授け人物として上人紹介する。この物語は「矢田地蔵縁起」として描かれ京都矢田寺重要文化財指定京都国立博物館寄託)、奈良矢田寺非公開)、奈良国立博物館根津美術館などに残されている。この伝に基づき京都矢田寺梵鐘を「送り鐘」と称して六道珍皇寺の「迎え鐘」と対の存在としている。 冥府との往還には井戸使い、その井戸は、京都東山六道珍皇寺(死の六道入口)と京都嵯峨福正寺(生の六道出口明治期廃寺にあったとされる。また近年六道珍皇寺旧境内から井戸発見され六道珍皇寺ではこの井戸を「黄泉がえり井戸」と呼称している。六道珍皇寺閻魔堂には、篁作と言われる閻魔大王と篁の木像並んで安置されている。 『江談抄』の藤原高藤蘇生譚(前項参照)の前段(三の三十八)において、篁は悪ふざけで高百鬼夜行遭遇させた伝説語られている。 京都市北区にある篁のものと伝えられる墓の隣には、紫式部のものと言われる墓があるが、これは愛欲描いた咎で地獄落とされ式部を、篁が閻魔大王とりなしたという伝説に基づくものである源氏供養参照)。 嵯峨天皇が「無悪善」という落書き読めと篁に命じたが、篁はなかなか応じようとはしない。さらに天皇強要したところ、篁は「悪さが(嵯峨無くば、善けん」(「嵯峨天皇がいなければ良いのに」の意)と読んだ天皇は、これが読めたのは篁自身書いたからに違いない非難し、篁は「どんな文章で読めます」と弁明したため、では「子子子子子子子子子子子子」を読めと言ったところ、篁は「猫の子の子獅子の子の子獅子」と読み解き事なきを得た『宇治拾遺物語』巻三「小野篁広才事」)。『江談抄』三の四十二にも類話見えるが、こちらでは「一伏三仰不来待書暗降雨恋筒寝」を「月夜には来ぬ人待たるかき曇りも降らなん恋つつも寝ん」と読み解く。 『白氏文集』が御所秘蔵されていた頃、嵯峨天皇戯れ白居易の詩の一文字変えて篁に示したところ、篁は改変したその一文字のみを添削して返したという(『江談抄』四の五)。 白居易は、篁が遣唐使に任ぜられた(遣唐使#回数参照)と聞き彼に会うのを楽しみにしていたという(『江談抄』四の十八)。 陸奥守在任中の承和9年842年)に竹駒神社創建している。また、六道珍皇寺創建したとの説もある。 伊具郡川張丸森町川張)の地名は篁がイノシシ退治したという逸話にちなむ。 晩年仁寿2年(852年)には一本大木から京都六地蔵彫り上げ大善寺安置したとされる。 『野馬台詩歌行詩)』の注釈によれば、竹から生まれたのはかぐや姫だけでなく、小野篁も竹から生まれたという。

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逸話と伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/30 18:33 UTC 版)

ジッポー」の記事における「逸話と伝説」の解説

ジッポー社は、自社ライター強靱性などを説明するために、しばしば広告作成した。これらのうちいくつか都市伝説化しているが、次の逸話は、ジッポー社がライター宣伝実際に使ったもので、事実考えられている。 第二次世界大戦中ベルギー戦線従軍中のあるアメリカ軍兵士ドイツ軍狙撃されたが、銃弾胸ポケット入れていたポケット版の聖書貫通した上でその下にあったジッポーライターにヒット弾丸ジッポーの所で停弾、兵士一命とりとめたジッポーはへこんでしまったが、オイル入れれば今でも火がつく第二次世界大戦中1945年3月アメリカ海軍航空母艦カボットが、乗組員目的地告げず航海続けていた。レーダー担当の若い士官が、同乗していた著名な従軍記者アーニー・パイルに「艦の目的地知らないか」と尋ねたパイル問い答えずライター借りると、そのジッポーの底に何か文字刻み、「ポケットにしまえ。命令があるまで見てはいけない」とライター返しながら告げた30分後、命令注意するようにという合図があったときにこの士官自分ライターの底を見ると、“TOKYO”という文字刻まれており、アメリカ軍による、日本本土へ最初の攻撃予告していた。このジッポーパイル没後も、彼にライター貸したレーダー担当士官によって愛用され続け1961年ジッポー社の広告で「どんなに古くても、無償修理します」というメッセージと共に紹介された。なおこのジッポー1992年ワールドフォトプレス今井今朝春が対面した時も、ちゃんと点火できたという。なお、元の所有者はすでに亡くなっており、彼の夫人所有していた。 アメリカ陸軍戦闘機パイロットは、夜間敵機攻撃電気系統破壊され照明失われた機体の中で、ジッポーライターを灯し、計器盤を読み取った。この機転により、同機無事にアメリカ軍基地帰還した第二次世界大戦当時は、ジッポー社にとっては軍という大きな市場得たのと同時に国内民間にはライターを卸せず市場から忘れ去られる危機を蒙っていた。この中で同社は、「4個10セント専用フリント専用オイル国内ユーザーのジッポーライターを長持ちさせてください」と雑誌広告などで呼びかけていた。

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