逸話と信憑性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 04:06 UTC 版)
切腹の副検死役である多門重共(幕府目付)が記した『多門筆記』によると、高房は最期に一目浅野長矩と会うことができたとされている。長矩が切腹の坐に向かうときに、高房が庭先にひかえて涙ながらに無言の別れをする場面は、『忠臣蔵』を題材にしたドラマなどではよく描かれている。 それによると、高房は「最期に一目我が主にお目通りを」と田村邸の家臣達に懇願したが、このことを田村建顕が、正検死役の庄田安利(幕府大目付)に告げ対応を伺ったが、庄田は取り合おうとしなかった。そこへ副検死役の多門と大久保忠鎮が現れ、2人は庄田に「内匠頭に判決を読み渡している内にその者をつれて来なさい。内匠頭と距離をとらせ、刀を持たせず、その者の周りを取り囲んでいれば一目見るぐらいならば問題はない。もしその者が主君を助けようと飛び出したとしても田村家の家臣も大勢いるのだから、取り押さえられないことはないだろう。最後に一目会いたいという願いを叶えてやるのは人間として当然の慈悲であると心得るが、いかがか?」と迫ったところ、庄田は「お好きにされよ」とだけ答えた。ただ片岡に長矩は気付かず、片岡も主君の姿を遠くから見ただけで終わった。 これらは多門の自称であり、『内匠頭お預かり一件』はじめ田村家の資料からそのような情報は引き出せない。元禄赤穂事件研究家の間では「多門伝八郎には虚言癖がある」とする説が主流になっている。田村家が幕府に遠慮して資料を残さなかった可能性もあるので、この一件に関しても、多門の虚言であるとは断定できない。ただ、一関藩からの遺体受け取りの要請で片岡は田村邸に出向いており、もし既に田村邸に居たのなら、そのまま受け取って帰ればよいわけで矛盾がある。 そして何よりも、赤穂側の史料にこれほど大切なことがまったく記されてないのである。
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