逸話と評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/02 09:36 UTC 版)
文政5年の元日に、大窪詩仏の玉池精舎に藤堂龍山・五十嵐竹沙ほか数名が集まり、例年行っている寄せ書きのうち題字として泰星池が残した「唐々春」という言葉の意味がわからない。星池はすでに帰っていて誰も明らかにできないでいるうちに、文人仲間では長老株なのに人望がない星池についての悪口が出た。その場にいた弟子からそれを聞いた星池が激怒して、手紙で詰問したので龍山は自分たちの不明を認め詫びた。ところが星池はおさまらず、中井敬義の発会では龍山に対して「湿塵軽舞唐々春」という詩句をわざと書いて示して嫌がらせをしようとした。その詩句の出所を調べておいた龍山は詩の結句を書いて星池に示したが、星池はその意味がわからなかったので「唐々春」の意味を知らずに題字に使ったことが暴露され、かえって恥をかいた。 「市河米庵も胡兆新に学んでいたが書体鄙俗で、星池に遠くおよばない」というのは、松本奎堂の評である。
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逸話と評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/19 15:59 UTC 版)
ニキアスの最後について史家のトゥーキュディデースは「彼の常日頃の言行が一つとして徳に背くところのなかったことを思えば、このような不運の極みに終わるべきいわれはなかったのであるが」と述べている。プラトンの対話篇『ラケス』には攻撃的なラケスに対して、理知と判断力を代表する人物として登場している。 成功をおさめた作戦として、コリントス人を待ち伏せで大半を倒したり、シュラクサイの騎兵が通ると予想した平原に棘をまいて勝利をおさめるなど、周到さと機転を見せている。逆に前425年に指揮権を譲ったクレオンが予期に反してスパルタの捕虜を連れて凱旋した時には、アテーナイ市民の間で大変な不評を受けた。このことはアリストパネスの喜劇『鳥』でも揶揄されている。
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