辞典の執筆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/16 03:57 UTC 版)
一年後、ベン・イェフダーは編纂中の辞典から抜粋を、『旧約聖書・タルムード・ミドラーシュおよびタルムード後の文学にあるすべての語を含んだ、完全で一般的な本』(ספר שלם, כללי, שיכיל כל מה שיש בתנ"ך ותלמוד ומדרשים והספרות שאחרי התלמוד) という冊子にして出版した。この冊子は、過去にその語義が充分に解明されていない単語の解説を目的としたその後の辞書とは内容が異なっている。これは、ベン・イェフダーがヘブライ語の単語の知識が多い人間は非常に少数であると認識していたため、内容を変更したためと、このような問題の唯一の解決方法は、包括的な辞典を編纂する以外にないという、ベン・イェフダーの考えに由来すると思われる。 辞典の執筆のため、ベン・イェフダーはメナヘム・ベン・サルーク (Menahem ben Saruq, מנחם בן סרוק ; 中世スペインのユダヤ人哲学者) によるヘブライ語辞典など、過去に編纂されたヘブライ語辞典を精読したほか、聖書、ミシュナーとその注解 (トセフタ)、タルムード、カイロ・ゲニザの書簡類や『シラ書』などのユダヤ人による文献を読んで出典を求めた。また、他にもベン・イェフダーは古代の碑文や硬貨、ピーユート(礼拝時の詩文)、ハザルの書簡、カライ派の文学、カバラ文学、それまでに編纂された科学に関する書物など、ユダヤ人による他の重要な資料も出典元として使用した。ベン・イェフダーの自宅のほぼ半分が、これらの資料から彼が書き写した引用のメモにより埋もれていった。 以上のように、ベン・イェフダーが辞典に採録したヘブライ語の語彙は、主に書き残された資料から採られたが、必要な場合には、アラム語やギリシア語、ラテン語由来の単語も収録された。ベン・イェフダーによれば、資料を100ページも読んでも、辞典に採用できる単語が見つからないこともときどきあったという。ミシュナーやタルムードからの単語には、ベン・イェフダーにより手書きでニクダー(ヘブライ語の母音記号)を加えられており、彼が正しいと考えた綴りが採用されている。辞典の名称もこの頃、『ヘブライ語大辞典』 (מילון הלשון העברית הישנה והחדשה) と決定された。 辞典の当初の目的は、ヘブライ語を生きた、広く話される言語に生まれ変わらせるための助けとするためであった。そのため、ヘブライ語を20世紀に適応させるために作られた多くの新語が辞典の項目には含まれている。新語には特別な印が付けられ、元になった聖書やハザルの言葉、外来の言葉との関連が示されている。単語の中には、例えば、"אקדח"(ekdach, 「拳銃」、古代では「ざくろ石」)のように、時代に合うように意味が変えられたものもある。また、"גלידה"(glidah, 「アイスクリーム」)のように、別の単語を元に、全く新しく造語されたものもある。これは「氷」を表すアラム語の "גליד" (glid) に、"לביבה"(levivah, レビバー、ハヌカの際に食されるユダヤ式ハッシュ・ド・ポテト)が組み合わされたものである。また、"בדורה"(badurah, 「トマト」。これは普及しなかった新語で、現在は עגבניה, agvaniyah という)のように、アラビア語などの外国語から造語されたものも少数ながらある。ベン・イェフダーが造り出した新語の多くは、現在も使われている。 辞典の各項目はヘブライ文字のアルファベット順に沿って掲載されており、これは他のヘブライ語辞典と異なるところである。それまでの辞典では、項目はその単語の語根のアルファベット順に並べられているのが普通であった。例えば "אגרוף"(igruf, 「拳闘」)という語は、ג-ר-ף という語根のアルファベット順に従って配列されるのが普通であった。この方法は長年の間、ヘブライ語辞典における項目の普通の配列方法であったが、ベン・イェフダーはこの配列方法に従わなかった。これはベン・イェフダーが、辞典を読む人々の中で調べたい単語の語根が何であるかを、すべて把握している人は少ないであろうと考えたからであった。 単語の語義の解釈とその決定は、当初からベン・イェフダーの辞典編纂の目的であった。ベン・イェフダーはすべての単語の正確な意味を決定し、他の類義語との相違を明らかにしようと熱望していた。そのため、例えば "מעדר"(ma'der, 「鍬」)という項目では、単に地面を掘る道具であるという説明の上に、"אֵת"(et, 「シャベル」)という語と意味がどう違うのかも説明されている。辞典の内容の正確さを担保するために、専門家たちからそれぞれの専門分野で助けを得ることも多かった。それにもかかわらず、ベン・イェフダーは難解な単語の解釈で、研究者たちの意見の一致が得られない事態にもしばしば遭遇した。そのような場合、辞典にはその語の様々な解釈はすべて併記されず、ハザル時代以降に最も使用例の多い解釈が選ばれ記された。語義の解釈に研究者たちの意見の一致が見られたものの、文献により別の意味で使用されている例がある単語については、二つの解釈が併記された。また、意味があいまいな単語の解釈を決定するにあたってベン・イェフダーは、他の言語の類義語を参考にするのを常としていた。このような語義解釈の方法は、それまでのヘブライ語辞典における解釈方法とは異なるものであった。 さらに、ベン・イェフダーは各項目に英語、ドイツ語、フランス語の三つの言語の訳語も付け加えている。そのためこの辞典は、ヘブライ語と他の言語の訳語を決定づける初めての辞典ともなった。訳語の必要性についてベン・イェフダーは、辞典を利用する人々の多くがヘブライ語の知識に乏しく、ヘブライ語のみでは理解が難しいと説明している。またベン・イェフダーは、訳語を加えることで辞典にある単語の語義は、より明白になるとも考えた。 その上ベン・イェフダーは、単語の語源と他の言語との比較も加えている。この部分に関してベン・イェフダーはドイツの聖書研究者ヴィルヘルム・ゲゼニウス (Wilhelm Gesenius, 1786年 - 1842年) によるヘブライ語、アラム語辞典、Thesaurus philologico-criticus linguae Hebraicae et Chaldaicae V.T を参考にしている。語源と他言語との比較は各項目の説明中に記され、非常に複雑で詳細な内容になっている。語源についてのベン・イェフダーの記述は、今日までのヘブライ語辞典の中でも最も包括的なものであるが、現在では時代遅れだったり、誤りのある部分も含まれている。 辞典の項目はいくつかの要素から成り立っている。すべての項目語にはニクダーが付けられており、脇にその後の出典を示す特別な印が記されている(左図参照)。その項目に語源の説明がある場合は、関連のある語との通し番号が振られている。その後にその項目の単語の意味、続いて英語、ドイツ語、フランス語の訳語が記されている。項目の主要部分は、ベン・イェフダー以前の時代からの多くの出典元から採られた、整理された引用からなっている。 ベン・イェフダーは辞典の執筆を一人で行っていたために、作業には長い時間がかかった。執筆を始めた頃には、辞典は複数の専門家により執筆されるものであるとの考えが普通であった。しかし、ベン・イェフダーはこのような考えを否定し、一人で執筆活動を行うことで辞典の内容の統一性が保たれ、質も高まると述べた。辞典編纂に係る多大な作業のため、ベン・イェフダーは正常な生活を送るのに支障をきたすようになった。睡眠時間はますます短くなっていったが、執筆を止めることは考慮されなかった。執筆継続の決定は、ベン・イェフダーの妻ヘムダ(最初の妻デボラの妹)によるところが多かった。ヘムダはベン・イェフダーを説得して執筆を続けさせ、貧しい彼の世話をした。 最初の巻は1908年にようやく、ベルリンの出版社から出版された。この巻はずっと以前にすでに準備されていたが、ロスチャイルド男爵から辞典編纂作業に対する経済的な援助を受けていたにもかかわらず、費用不足により印刷が遅れたのである。ベン・イェフダーが死去した1922年までに、さらに四巻が出版された。
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