輸入までのいきさつとは? わかりやすく解説

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輸入までのいきさつ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 00:58 UTC 版)

ファンジとグレー」の記事における「輸入までのいきさつ」の解説

日本人初め生きたキリン実物見たのは、1862年文久2年)に江戸幕府送りだした文久遣欧使節38名)とされている。遣欧使節一行は、パリロンドンロッテルダムアムステルダムベルリンの各都市動物園見学した一行キリン見たのは、ロンドン動物園であった当時日記ではキリンgiraffe)に「之猟猢」(ジラーベ)という字をあてて「豹紋にして驢足(注:ロバの足を指す)、からだは人より高く、頸の長さ六尺(約1.82メートル)、頂より蹄に至るまで高さ一丈五尺(約4.55メートル)強、木葉食い食せず」と記述していた。 giraffe「麒麟」当てることは、桂川甫周1799年寛政元年)ごろに描いた麒麟図」までさかのぼることができる。ただし甫周は実物キリン見たわけではなくヤン・ヨンストンの『動物誌』を参考にしてこの図を描いた推定されている。その後1877年明治10年)に田中芳男が、前年フィラデルフィア万国博覧会入手したgiraffe剥製日本持ち帰ってきた際にも、「麒麟」という名称を使っていた。田中持ち帰った剥製は、1882年明治15年)に上野動物園内の博物館でも展示された。 1900年明治33年)、帝国大学農科大学教授動物学者石川千代松東京帝室博物館天産部長動物園監督任命された。ドイツ留学経験があって日本国外動物園事情通じていた石川は、当時外国産の大動物といえばラクダトラ程度かいなかった上野動物園では「動物園」の名称に値しない考えていた。石川は自らの職名を「ディレクター・オブ・インペリアル・ズー」(直訳すれば帝室動物園園長)として、ドイツ動物カール・ハーゲンベック動物取引に関する交渉開始した石川ハーゲンベック交渉による動物取引で、1902年明治35年10月第1陣となる1222点動物上野動物園来園した。この中にはライオン(2頭で価格当時約2475円)、ホッキョクグマ(2頭で約742円)、ダチョウ(2羽で約890円)などがいて、ポンドによる外貨払い決済された。翌1903年明治36年)には、第2陣第3陣の動物輸入された。当時日本日露戦争開戦前不安な世相の中で動物園観客収入減った時期財政苦しかったため、第2陣第3陣の支払い現金払いではなくタンチョウシカツキノワグマなどの日本産鳥獣との「物々交換」の形式決済された。 最初にハーゲンベックからキリン輸入についての手紙が届いたのは、1904年明治37年3月9日のことであった手紙の内容は、キリンシマウマを1450ポンド買わないかと購入勧めるものであったハーゲンベック提示した金額当時日本円1万4500円に相当したが、当時動物園動物購入予算額は年間2000円過ぎず、とうてい手の届くものではなかった。このとき石川は、日露戦争中で動物園観客減り予算もないという理由でこの勧め断っていた。日露戦争日本勝った翌年1906年明治39年11月30日に、再度の手紙がハーゲンベックから届いたこの手紙でハーゲンベックキリンのつがいについて知らせ輸送込み1600ポンド買わないかと勧めた上で「他にも欲しがっているところがあるので、欲しければ電報諾否知らせてほしい」と書てきていた。石川キリン乗せた船が横浜港入港する前に予算上の措置をすればよいと考え翌日購入希望返電打った。 しかし予算上の措置どころか収容する動物舎さえできていなかった1907年明治40年3月15日に、キリンのつがいを載せたドイツ船パスボルグ号が横浜港入港した。パスボルグ号にはキリンとともに、ワッヘという名のインド人男性ハーゲンベックから派遣され乗船していた。横浜港から東京には屋根なしの貨車鉄道輸送ようとしたが、キリン神奈川トンネル品川陸橋の下をくぐることができず、達磨船日本橋浜町河岸陸揚げしてから大八車2台に分乗させた。3月18日キリン上野動物園到着した。このキリンのつがいはオスの名を「ファンジ」、メスの名は「グレー」といった。1906年明治39年12月から1957年昭和32年3月まで50年以上にわたって上野動物園勤務した高橋峯吉は、自著動物たち50年』で「伝説にある麒麟とは似ても似つかぬおとなしそうな顔に、ちょっと意外な気がした」と当時回想している。 キリンのつがいが予想よりも早く到着したため、上野動物園側では2つ問題早急に解決せざるを得なくなった1つ目はキリン収容する場所であり、検討結果ラクダ小屋屋根ぶち抜き急造キリン舎として使用することに決まった当時ラクダの飼育を担当していた高橋大工一緒にキリン舎の工事携わりキリンの背の高さに合わせて継ぎ足した屋根代わりの筵を張り巡らせた。筵でキリンの姿を隠して見たものの、日本橋浜町河岸からの運搬の際にもすでに見物人集まって衆人環視の中で運ぶ羽目になったこともあって、キリン記事新聞にも取り上げられていた。 2つ目の問題予算上の措置であった石川宮内省財政当局への説明の際、giraffeでは理解得られない考えて以前田中使ったキリン」の名称を使用した宮内省購入許可しないうちにキリン先に到着ししかもそれが周知の事実になったため、年度変わりである4月まで一般公開延ばして予算承認するかたちにした。 まだ予算措置ができていないうちにキリン先に到着するという事態の責任を、石川は取らされることになった同年5月8日帝室博物館総長股野琢主事久保田昮は、「進退伺」を宮内大臣田中光顕提出した。この書類添付されていた手続書には、キリン購入数年前からの懸案であったとの記述見られた。しかも年度変わり4月1日から入園料大人4銭から5銭、小人2銭から3銭とそれぞれ値上げしていたため、『物語 上野動物園歴史』の著者小宮輝之 は「明治四十年度のあいだにキリン購入内定してたように解釈するともできる」と指摘した。股野と久保田譴責処分同年6月24日付)を受けたけだったが、石川5月15日に「願ニ依リ兼官ヲ免ズ」という辞令宮内大臣田中光顕から受け取り依願退職の形で上野動物園去った

※この「輸入までのいきさつ」の解説は、「ファンジとグレー」の解説の一部です。
「輸入までのいきさつ」を含む「ファンジとグレー」の記事については、「ファンジとグレー」の概要を参照ください。

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