賤ケ岳の戦いとは? わかりやすく解説

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しずがたけ‐の‐たたかい〔しづがたけ‐たたかひ〕【賤ヶ岳の戦い】

読み方:しずがたけのたたかい

天正11年(1583)賤ヶ岳羽柴豊臣秀吉柴田勝家破った戦い秀吉全国制覇基礎築かれた。


賤ヶ岳の戦い

(賤ケ岳の戦い から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 02:14 UTC 版)

賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)は、天正11年(1583年4月近江国伊香郡(現:滋賀県長浜市、旧:伊香郡木之本町)の賤ヶ岳付近で起きた羽柴秀吉柴田勝家の戦いである。この戦いは織田勢力を二分する激しいものとなり、これに勝利した秀吉は亡き織田信長が築き上げた権力と体制を継承し天下人への第一歩がひらかれた。


注釈

  1. ^ 柴裕之『清須会議』(戎光祥出版、2018年)の説。柴は勝家が信孝を推した逸話は『川角太閤記』の創作で、そもそも京都・安土・岐阜ではなく清州で会議が開かれたのは、後継者である三法師の御前で開くためであったとしている。

出典

  1. ^ 賤ケ岳合戦:黒田官兵衛も参戦していた…秀吉の古文書発見(毎日新聞2013年5月10日)
  2. ^ 高柳 2001.
  3. ^ 池上ほか 1995, p. 477.
  4. ^ 大浪和弥「加藤清正と畿内-肥後入国以前の動向を中心に-」(初出:『堺市博物館研究報告』32号(2013年)/山田貴司 編著『シリーズ・織豊大名の研究 第二巻 加藤清正』(戒光祥出版、2014年)ISBN 978-4-86403-139-4
  5. ^ 『一柳家記』(『続群書類従 第二十輯下』pp.473-476)。
  6. ^ 『尾張群書系図部集 下』(続群書類従完成会、1997)p.853
  7. ^ a b c 『一柳家記』(『続群書類従 第二十輯下』p.474)。
  8. ^ 『一柳家記』(『続群書類従 第二十輯下』pp.474-476)。
  9. ^ 『一柳家記』(『続群書類従 第二十輯下』p.476)。
  10. ^ a b 神田 2002, p. 270.




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