柴田勝家との対立とは? わかりやすく解説

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柴田勝家との対立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 00:49 UTC 版)

豊臣秀吉」の記事における「柴田勝家との対立」の解説

詳細は「賤ヶ岳の戦い」を参照 秀吉山崎宝寺城築城し、山崎丹波国検地実施し、さらに私的に織田家諸大名と誼を結んでいったため、柴田勝家との対立が激しくなった。 天正10年1582年10月勝家滝川一益織田信孝と共に秀吉対す弾劾状を諸大名ばらまいた10月15日秀吉養子羽柴秀勝信長の四男)を喪主として、信長葬儀を行う。同年10月20日堀秀政宛の秀吉書状宛名には、羽柴名字使用されており、すでに秀吉による織田家臣掌握始まっていることが分かる10月28日秀吉丹羽長秀池田恒興三法師織田家当主として擁立した清洲会議決定事項反故にし、信雄を織田家当主として擁立し主従関係を結ぶ。ただし、これは三法師成人するまで暫定的なものであった12月越前国勝家動けないのを好機見た秀吉は、信孝が三法師安土戻さないことなどを大義名分とし、信孝打倒兵を挙げる12月9日秀吉池田恒興諸大名動員令を発動し、自ら5万大軍指揮執り宝寺城から出陣し12月11日堀秀政佐和山城入り柴田勝家養子柴田勝豊が守る長浜城包囲した。元々勝豊勝家、そして同じく養子であった柴田勝政らと不仲であった上に病床臥していたため、秀吉調略に応じて降伏し秀吉長浜城獲得した12月16日には美濃国侵攻し稲葉一鉄らの降伏織田信雄軍の合流などもあってさらに兵力増強した秀吉は、信孝の家老斎藤利堯が守る加治木城攻撃して降伏せしめた。こうして岐阜城孤立してしまった信孝は、三法師秀吉引き渡し生母坂氏と娘を人質として差し出すことで和議結んだ天正11年1583年1月、反秀吉派の一人であった滝川一益は、秀吉方の伊勢峰城を守る岡本良勝関城伊勢亀山城を守る関盛信らを破った。これに対して秀吉2月10日北伊勢侵攻する。2月12日には一益の居城桑名城攻撃したが、桑名城堅固さと一益の抵抗にあって三里後退余儀なくされた。また、秀吉編成した別働隊長島城中井城に向かったが、こちらも滝川勢の抵抗にあって敗退した。しかし伊勢亀山城は、蒲生氏郷細川忠興山内一豊らの攻撃遂に尽き3月3日降伏したとはいえ伊勢戦線では反秀吉方が寡兵であるにもかかわらず優勢であった2月28日勝家前田利長先手として出陣させ、3月9日には自らも3大軍指揮執り出陣した。これに対して秀吉北伊勢蒲生氏郷任せて近江国戻り3月11日には柴田勢と対峙した。この対峙はしばらく続いたが、4月13日秀吉に降伏していた柴田勝豊家臣山路正国勝家方に寝返るという事件が起こった。さらに織田信孝岐阜で再び挙兵して稲葉一鉄攻めると、信孝の人質処刑した。はじめは勝家方が優勢であった4月20日早朝勝家重臣佐久間盛政は、秀吉織田信孝討伐するために美濃国赴いた隙を突いて奇襲実行した。この奇襲成功し大岩山砦の中川清秀敗死し、岩崎山砦の高山重友敗走した。しかしその後、盛政は勝家命令逆らってこの砦で対陣続けたため、4月21日中国大返し同様に迅速に引き返してきた秀吉反撃にあい、さらに前田利家の裏切りもあって柴田軍は大敗喫し賤ケ岳の戦い)、柴田勝家越前撤退した美濃大返し)。 4月24日勝家正室お市の方と共に自害した秀吉はさらに加賀国能登国越中国平定し前田利家には元々の領地である能登国加えて加賀国のうちの2郡を与え佐々成政には越中国支配これまで通り安堵した5月2日異説あり)には、織田信孝自害追い込み、やがて滝川一益降伏した。 こうして織田家実力者たちを葬ったことにより、秀吉家臣第一地位確立表面上は三法師奉りつつ、実質的に織田家中を差配することになった

※この「柴田勝家との対立」の解説は、「豊臣秀吉」の解説の一部です。
「柴田勝家との対立」を含む「豊臣秀吉」の記事については、「豊臣秀吉」の概要を参照ください。

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