柴田勝豊
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柴田 勝豊(しばた かつとよ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。織田家宿老の柴田勝家の甥でその養子となり、越前丸岡城主[3]のちに近江長浜城主を務めたが、勝家との不和から離反して羽柴秀吉に属した[3][1]。
注釈
出典
- ^ a b c d e f 堀田 1923, p. 1104.
- ^ a b 加藤国光 編 『尾張群書系図部集(上)』続群書類従完成会、1997年、496頁。ISBN 9784797105551。
- ^ a b c デジタル版 日本人名大辞典+Plus. “柴田勝豊”. コトバンク. 株式会社DIGITALIO. 2022年4月22日閲覧。
- ^ 『改訂坂田郡志・『近江長浜町史』
- ^ a b c d e f g h 谷口 1995, p. 204.
- ^ a b 山鹿素行 国立国会図書館デジタルコレクション 『『武家事紀』巻第十三』山鹿素行先生全集刊行会、1915年、450-451頁 。2013年10月30日閲覧。
- ^ “福井県史年表 1581~1600年”. 2021年8月31日閲覧。
- ^ 太田浩司 著「賤ヶ岳の戦い」、杉山博; 渡辺武; 二木謙一 他 編 『豊臣秀吉事典』新人物往来社、2007年、254頁。ISBN 9784404034687。
- ^ a b 高柳 & 松平 1981, p. 120.
- ^ 谷口 1995, p. 204-205.
- ^ 谷口 1995, p. 205.
- ^ 中島孝治「柴田家離反に動いた実相を追う」(『歴史群像シリーズ』15号、1989年)[要ページ番号]
- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus. “山路正国”. コトバンク. 株式会社DIGITALIO. 2021年8月31日閲覧。
- ^ 朝日日本歴史人物事典. “亀田高綱”. コトバンク. 株式会社DIGITALIO. 2021年8月31日閲覧。
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