柴田勝治 (建築技術者)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 柴田勝治 (建築技術者)の意味・解説 

柴田勝治 (建築技術者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/18 23:45 UTC 版)

柴田 勝治(しばた かつよし、1859年 - 没年不明)は、明治時代の日本建築技術者。建築設計者。

略歴

明治宮殿造営組織における図工の採用状況と堂宮大工の参加経緯(小沢朝江「相模国大山大工・手中家の日記から」(日本近代:作家論(3),建築歴史・意匠,2012年度大会(東海)学術講演会・建築デザイン発表会)『学術講演梗概集 2012(建築歴史・意匠)』日本建築学会、2012年9月、pp.143-144,)によると当初は製図工であったが,のちに臨時建築局雇・内務技手。1887年(明治20年)に臨時建築局雇となる。その後、同局技手見習。

その後、内務省技手見習として海軍省庁舎海軍大臣官舎、仮議院の工事に参加[1]。 のち宮内省内匠寮技手となり、1885年(明治18年)、皇居御造営事務局雇となる。 1892年(明治25年)宮内省内匠寮技手となり、監査課勤務となった。 また1895年(明治28年)竣工の京都帝室博物館の工事を担当した[2]

脚注

  1. ^ 中島久男「明治期における海軍省営繕組織の沿革について : 明治期における海軍省営繕組織の史的研究 その1」『日本建築学会計画系論文集』第63巻第514号、1998年、225-232頁、doi:10.3130/aija.63.225_3 
  2. ^ 京都国立博物館 編『京都国立博物館百年史』京都国立博物館、1997年10月、[要ページ番号]頁。全国書誌番号:20477584 

参考文献

  • 伊東忠太「國家と建築術との關係を論ず」『建築雑誌』第9巻第108号、1895年、321-326頁。 
  • 「卷末附圖京都博物館建築」『建築雑誌』第9巻第108号、1895年、326頁。 
  • 所蔵文書「土地建物録」件名目録 (PDF)
  • 前田久夫「旧帝国京都博物館建築工事図面について : 建築歴史・意匠」『学術講演梗概集. 計画系 53(建築歴史・建築意匠)』1978年、.2135-2136頁。 
  • 前田久夫「旧帝国京都博物館建築工事図面について : 帝国京都博物館の研究(資料篇)(建築史)」『日本建築学会近畿支部研究報告集. 計画系 (18)』1978年、437-440頁。 
  • 大蔵省印刷局 title=敍任及辭令 編『官報』1900年7月7日。NDLJP:2948397 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「柴田勝治 (建築技術者)」の関連用語

柴田勝治 (建築技術者)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



柴田勝治 (建築技術者)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの柴田勝治 (建築技術者) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS