行動の誘惑――英霊の聲とは? わかりやすく解説

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行動の誘惑――英霊の聲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:28 UTC 版)

三島由紀夫」の記事における「行動の誘惑――英霊の聲」の解説

1965年昭和40年初頭三島4年前に発表した短編小説憂国』を自ら脚色監督主演する映画化企画し4月から撮影して完成させた。同年2月26日には、次回作となる〈夢と転生〉を題材とした〈世界解釈〉の本格長編小説取材のため、奈良帯解円照寺初め訪ね、その最初の巻となる「春の雪」の連載同年9月から『新潮』で開始した1967年1月まで)。 9月からは夫人同伴アメリカ、ヨーロッパ東南アジア旅行し長編取材のために10月バンコク訪れカンボジアにも遠征して戯曲癩王のテラス』の着想得た。ちょうどこの頃AP通信ストックホルム発で、1965年度のノーベル文学賞候補三島の名が挙がっていると報じた三島以降の年も引き続き受賞候補として話題上ることになる。 11月からは、自身の〈文学行動精神肉体の関係〉を分析する太陽と鉄」を『批評』に連載開始し、戯曲サド侯爵夫人』も発表され傑作として高評価受けた。この戯曲三島死後フランスで人気戯曲になったドナルド・キーンは、三島以前日本文学海外翻訳を読むのは日本文学研究者だけに限られていたのに対し三島作品一般人にまで浸透したとして、古典劇に近い『サド侯爵夫人』がフランスの地方劇場でも上演されるのは、「特別な依頼ではなく見たい人が多いから」としている。 高度経済成長期1966年昭和41年)の正月三島日の丸を飾る家がまばらになった風景眺めながら、〈一体自分いかなる日、いかなる時代のために生れたのか〉と自問し、〈私の運命は、私が生きのび、やがて老い波瀾のない日々のうちにたゆみなく仕事をつづけること〉を命じたが、胸の裡に、〈なほ癒されぬ浪漫的な魂、白く羽搏くものが時折感じられる〉と綴った。 私はいつしか、今の私なら、絶対にむかしの「われら」の一員に、欣然としてなり了せることができる、といふ、甘いロマンチックな夢想のとりこになりはじめる。(中略)ああ、危険だ危険だ文士政治的行動誘惑に足をすくはれるのは、いつもこの瞬間なのだ。青年盲目的行動よりも、文士にとつて、もつとも危険なのはノスタルジアである。そして同じ危険と云つても、青年犯す危険に美しさがあるけれど、中年文士犯す危険は、大てい薄汚れた茶番劇に決つてゐる。そんなみつともないことにはなりたくないものだ。しかし、一方では、危険を回避することは、それがどんな滑稽な危険であつても、回避すること自体卑怯だといふ考へ方がある。 — 三島由紀夫「『われら』からの遁走――私の文学自身の〈危険〉を自覚していた三島は、それを凌駕する本物楽天主義〉〈どんな希望的観測とも縁もない楽天主義〉がやって来ることを期待し、〈私は私が、鍛冶屋のやうに、楽天的でありつづけることを心から望む〉心境でもあった。 同年1月モノクロ短編映画憂国』が「愛と死儀式」 (koku ou Rites d'amour et de mort) のタイトルツール国際短編映画祭出品され劇映画部門第2位となった日本では4月からアートシアター系で一般公開されて大きな話題呼び同系映画としては記録的なヒット作となった映画を観た安部公房は、「作品に、自己転位させよう」という不可能性に挑戦する三島の「不敵な野望」に「羨望に近い共感」を覚えた高評価した。 この当時毎週日曜日碑文谷警察署剣道稽古をしていた三島同年5月剣道四段合格し前年11月から習っていた居合も、剣道の師の吉川正実通じて舩坂良雄師範とする大森居合に正式入門した三島は、良雄の兄で剣道家舩坂弘ともこの道場で知り合い交流するようになった6月には、二・二六事件特攻隊兵士霊たち呪詛描いた英霊の聲』を発表し、『憂国』『十日の菊と共に二・二六事件三部作」として出版された。11歳当時二・二六事件20歳当時敗戦で〈神の死〉を体感し三島は、昭和戦前戦後歴史連続して生きてきた自身の、その〈連続性根拠と、論理的一貫性根拠〉をどうしても探り出さなければならない気持ちだった。 〈挫折〉した青年将校ら〈真のヒーローたちの霊を慰め、その汚辱ぎ、その復権試みようといふ思ひ〉の糸を手繰る先に、どうしても引っかかるのが昭和天皇の「人間宣言」であり、自身の〈美学〉を掘り下げていくと、その底に〈天皇制岩盤がわだかまつてゐることを〉を認識する三島にとって、それを回避するわけにはいかなかった。 『英霊の聲』は天皇批判含んでいたため、文壇評価賛否両論となって総じて低く、その〈冷たいあしらひ〉で三島文壇人の〈右顧左眄ぶり〉がよく解ったが、この作品書いたことで自身無力感から救われ、〈一つ小さな自己革命〉を達成した瀬戸内晴美は『英霊の聲』を読み、「三島さんが命を賭けた」と思って手紙を出すと、三島から、〈小さな作品ですが、これを書いたので、戦後二十年生きのびた申訳が少しは立つたやうな気がします〉と返事が来た。この時期作品は他に、三島としては珍しい私小説的な『荒野より』、エッセイ『をはりの美学』『お茶漬ナショナリズム』、林房雄との対談対話日本人論』などが発表された。三島はこの対談の中で、いつか藤原定家主人公にした小説を書く意気込み見せた

※この「行動の誘惑――英霊の聲」の解説は、「三島由紀夫」の解説の一部です。
「行動の誘惑――英霊の聲」を含む「三島由紀夫」の記事については、「三島由紀夫」の概要を参照ください。

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