ノーベル文学賞候補とは? わかりやすく解説

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ノーベル文学賞候補

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 01:08 UTC 版)

西脇順三郎」の記事における「ノーベル文学賞候補」の解説

1958年には谷崎潤一郎とともにノーベル文学賞候補者候補41人中になったその後1960年から1968年までの間も毎年候補になったことが明らかになっている。推薦者は、インド文学研究者辻直四郎が7回(1958年1960年1962年1964年・1965年1966年・1967年)、日本文藝家協会1961年)と日本学士院1963年)が各1回である。 選考資料に残る委員コメントでは、1958年1960年は「翻訳作品評価のための資料が少ない」ことが記され1961年にはそれらに加えて「もし現在の資料の中から彼ら(引用者注:西脇谷崎)の作品評価するとすれば今のところ賞に値するとは言えない」とされていたが、1962年には「このノーベルアカデミーの水準達しているとは思えない」と翻訳資料不足の指摘なく低評価下され1963年には「ドナルド・キーン教授からの意見従い西脇これ以上推薦しないことにした」とあり、選考側が日本人文学者について参考としていたキーン西脇評価していなかったことが明らかになっている。

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ノーベル文学賞候補

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 05:07 UTC 版)

井上靖」の記事における「ノーベル文学賞候補」の解説

1981年昭和56年10月井上靖ノーベル文学賞候補との報道流れ世田谷井上宅に報道陣殺到した井上報道陣自宅応接間招き入れ受賞者発表されると、集まった一同と残念の杯を上げた以降毎年ノーベル文学賞発表の日になると、集まった報道陣応接間招き入れて残念会酒宴「ノーメル賞」が行われるようになった報道年を追うごとに過熱したが、当の井上は「天から石が降ってきて、世界何十億人の誰かひとりに当たるというのだから、当たると考えるほうがおかしいし恥ずかしいことだ」として、自らの受賞はまった期待望みもしない態度であった家族からは、賞を期待しているように思われるから報道陣を家に入れないほうがいい、という意見もあったが、相手にとって嫌なことでも取材せざるを得なかった新聞記者時代経験から、「仕方ないことだ」として、集まる報道陣に対して一定の理解示し丁寧な応対つづけた当時井上実際に候補挙げられているかどうか不明であったが、2020年令和2年1月井上1969年昭和44年)の候補実際に挙げられていたことが判明したまた、それ以前2012年平成24年3月ノーベル委員会ペール・ベストベリー委員長が、読売新聞取材に対して井上靖が非常に真剣に討論されていた」と回答している。

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