ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」 | Tableaux d'une exposition | 作曲年: 1874年 |
楽章・曲名 | 演奏時間 | 譜例![]() |
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1 | プロムナード "Promenade" | No Data | No Image |
2 | 1.小人 No.1 "Gnomus" | No Data | No Image |
3 | 2.古城 No.2 "Il vecchio castello" | No Data | No Image |
4 | 3.テュイルリー, 遊んだあとの子供のけんか No.3 "Tuilleries - Dispute d'enfants apres jeux" | No Data | No Image |
5 | 4.ブイドロ(牛車) No.4 "Bydlo" | No Data | No Image |
6 | 5.卵の殻をつけたひなどりのバレエ No.5 "Ballet de poussins dans leurs coques" | No Data | No Image |
7 | 6.ザムエル・ゴルデンベルクとシュムイル No.6 "Samuel Goldenberg und Schmuyle" | No Data | No Image |
8 | 7.リモージュの市場 No.7 "Limoges, le marche" | No Data | No Image |
9 | 8.カタコンブ-ローマ時代の墓 No.8 "Catacombae - Sepulcrum romanum" | No Data | No Image |
10 | 9.鶏の足の上に建っている小屋 No.9 "La cabane sur des pattes de poule" | No Data | No Image |
11 | 10.キエフの大きな門 No.10 "La grande porte de Kiev" | No Data | No Image |
作品解説
副題に<ヴィクトル・ガルトマンの思い出に>とあるこの組曲は、39歳で夭折した友人の画家、ガルトマン(1834-1873)を追悼して開かれた遺作展にインスピレーションを得ており、ムソルグスキーが35歳の時に作曲された。1874年6月の3週間で完成されている。これは、他の作品にかかった時間と比較すると、非常に速いペースである。出版は、ムソルグスキーの死後5年を経てから、1886年にサンクト・ペテルブルクでリムスキー=コルサコフの校訂によりなされた。この際、ムソルグスキー独特の手法の多くが誤りとして訂正されており、オリジナル版の出版は1931年のムソルグスキー全集を待たねばならなかった。尚、この組曲は、ラヴェルやリムスキー=コルサコフによるオーケストラ編曲を通して広く世に知られている。
<プロムナード>。アレグロ・ジュスト・ネル・モード・ルッシコ・センツァ・アッレグレッツァ・マ・ポコ・ソステヌートで、4分の5拍子と4分の6拍子が混在する。ガルトマンの遺作展に足を運んだムソルグスキーの歩く様子を表している。ロシアの旋法を色濃く前面に打ち出したこの断章は、形を変えたりしながら、所々に挿入される。まず、メロディーのみが1本のラインとして提示され、その後、オクターヴや和音に重ねた厚いテクスチュアで仕立てられる。
<こびと>。プロムナードからアタッカで続けられる。曲がった脚で少々不恰好に歩くこびとを描いたスケッチにインスピレーションを得た曲と考えられている。原語の「グノームス」とは、こびとの姿をした「土の精」。左右の手による低音域のユニゾンで開始する。曲には高い緊張感がみなぎっている。
<プロムナード>とは明記されていないものの、組曲を開始したプロムナードが異なる音から始められる。モデラート・コモド・アッサイ・エ・コン・デリカテッツァと指示されている。「p」の強弱記号が多く付された静かな一節。
<古城>。プロムナードの要素を持つ挿入的な部分からアタッカで続けられる。アンダンティーノ・モルト・カンタービレ・エ・コン・ドルチェの標示。8分の6拍子で書かれている。曲は低く鳴り響く空虚5度で開始。その伴奏に乗り、哀愁を帯びたメロディーが歌われる。
<プロムナード>とは明記されていないものの、ここにもその要素を持つ部分が挿入される。やはり、異なる音から始められる。また、組曲最初の『プロムナード』が24小節であるのに対し、<古城>の前に挿入された2回めの『プロムナード』は12小節、そして今回は8小節と、その長さは短くなっている。ここでは、モデラート・ノン・タント・ペザメンテと指示されている。
<テュイルリー(遊びのあとの子どものけんか)>。プロムナードの要素を持つ挿入的な部分からアタッカで続けられる。アレグレット・ノン・トロッポ・カプリッチョーソのこの曲は、大勢の子どもと女教師のいるパリのテュイルリー公園の並木道を描いた絵にインスピレーションを得たと考えられている。これまでの音楽に比べ、軽やかなリズムが特徴的である。また、所々に見られる音階的な音の動きが、この曲の持つ推進力に寄与している。
<ブィドウォ(ブイドロ、ビドロ)>。ポーランドの牛にひかれた荷馬車の音楽である。「ブィドウォ」とは、ポーランド語で、「家畜」、「家畜のような人間」の意味があり、巨大で重々しいこの車をひく「苦役」を示唆していると考えられる。センプレ・モデラート・ペザンテのこの曲は、リムスキー=コルサコフの校訂版ではリムスキー=コルサコフの手が加えられたために「pp」で開始していた。しかし、オリジナル版では「ff」で開始し、重苦しさを一層直截的に表している。主要なラインは低音域で野太く奏でられるか、ないしは高音域でオクターヴや和音に重ねられて響く。そして、何れの場合にも、低音域に密集した和音が8分音符で刻み続けられる。
<プロムナード>とは明記されていないものの、ここにもその要素を持つ部分が挿入される。ここで特筆すべきことは、そのメロディーが<ブィドウォ>を引きずり抑圧されているかのように、途中から始められることである。トランクィッロの指示。4分の6拍子から7拍子までが混在するこのプロムナードは、最後の小節で4分の3拍子となる。
<卵の殻をつけたひなどりのバレエ>。前曲からアタッカで続けられる。バレエ作品《トリルビー》の舞台上演のためにガルトマンがイラストレーションを作成した、鎧のように卵の殻を身に纏ったカナリアのひよこたちが踊る様子にインスピレーションを得た曲と考えられている。スケルツィーノ・ヴィーヴォ・レッジェロのこの曲では、始終弱音ペダルが踏まれる。そして、高音域のみで音楽が運ばれ、一瞬の風のように通り過ぎていく。
<ザムエル・ゴルデンベルクとシュムイレ>。<卵の殻をつけたひなどりのバレエ>からアタッカで続けられる。この組曲が書かれた当時のサンクト・ペテルブルクでは、ザムエル・ゴルデンベルクは裕福なユダヤ人の典型的な名前であり、一方、シュムイレは貧しいユダヤ人の典型的な名前であったとされている。アンダンテ・グラーヴェ・エネルギコのこの曲では、付点と連音符が巧みに組み合わされたリズムが特徴的である。また、単音の連打やオクターヴに重ねられた連打も独特の雰囲気を醸し出すことに寄与している。
<プロムナード>。この組曲の冒頭以来、所々にプロムナードに基づく部分が挿入されてきたが、このように明記されたものはなかった。ここで特筆すべきことは、単音で開始せず、左右のユニゾンに重ねられていることである。また、冒頭に付された指示は、アレグロ・ジュスト・ネル・モード・ルッシコ・ポコ・ソステヌートと、この組曲を開始した<プロムナード>とほぼ等しい。また、開始音も冒頭の<プロムナード>に即しており、「f」で開始する。
<リモージュ 市場(大ニュース)>。<プロムナード>からアッタッカで続けられる。フランス南西部にある古い都市リモージュの市場で、フランス人の女性たちが激しく言い争う様子を描いた絵にインスピレーションを得た作品と考えられている。アレグレット・ヴィーヴォ・センプレ・スケルツァンドのこの曲では、「f」を基調としており、頻繁に付されたスフォルツァンドが、市場の活気ある喧騒を伝えている。
<カタコンブ(ローマの墓)>。カタコンブとは、地下に掘られた共同墓地のことである。ローマと明記されているものの、この曲のインスピレーションとなった絵は、パリのカタコンブをランタンの光をあててじっと見つめるガルトマン自身が描かれたものと考えられている。ラルゴの指示がなされたこの曲は、4分の3拍子で書かれ、付点2分音符を主体としている。また、しばしばフェルマータを伴う。ディナーミクの変化は幅広く、僅か30小節の曲でありながら、印象深い余韻を残す。
<死者の言葉をもって死者とともに>。<カタコンブ(ローマの墓)>からアタッカで続けられる。自筆譜では、この曲を表す語句、「死者の言葉をもって死者とともに」は非常に小さく添え書きがなされているにすぎない。そして、ラテン語で綴られている。アンダンテ・ノン・トロッポ・コン・ラメントの指示がなされているが、拍子は明記されていない。とは言え、各小節には、規則的に6つの4分音符が配置されている。僅か21小節のこの曲も先立つ<カタコンブ(ローマの墓)>と同様に、「pp」のトレモロの深い響きによって印象深い余韻を残す。
<にわとりの足の上に建つ小屋(バーバ・ヤガー)>。この曲のインスピレーションを得たと考えられているガルトマンのスケッチでは、にわとりの足の上に妖婆の小屋の形をした時計が描かれている。ムソルグスキーは、そこに臼の上に乗って進む「バーバ・ヤガー」を付け加えた。「バーバ・ヤガー」とは、森の中に住み、人をつかまえ手はその肉を食する痩せた妖婆のことで、鉄製の臼に乗り、杵で漕いで箒でその軌跡を消しながら進むとされている。尚、この曲の原題は、「吹けば飛ぶようなあばら屋」という意味も持つ。アレグロ・コン・ブリオ・フェローツェの4分の2拍子で書かれたこの曲では、左右のユニゾンを主体としたホモ・テクスチュアを築く部分が多い。そして、これに該当しない部分では、非常に幅広い音域を扱っている。後半からはアレグロ・モルトとなり、推進力が一層増す。
<英雄の門(首都キエフにある)>。<にわとりの足の上に建つ小屋(バーバ・ヤガー)>からアタッカで続けられる。この曲のインスピレーションを得たと考えられているガルトマンの下絵では、スラヴ風のかぶと型の丸屋根をした、古ロシア的石造り様式のキエフ市のための門が描かれている。しかし、この設計図は、結局、具現されることはなかった、尚、スケッチや水彩画のみならず、舞台装置や衣装のデザインも手かげたガルトマンの本職は、建築家であった。アレグロ・アッラ・ブレーヴェ・マエストーソ・コン・グランデッツァの指示がある。組曲中最も規模が大きく、音楽内容も雄大なものと言えよう。全体的に、重厚な和音によって響きが生み出され、オクターブも多用される。後半からは、メーノ・モッソ・センプレ・マエストーソとなり、終結部分では、グラーヴェ・センプレ・アッラルガンドとなり、壮大な響きをもって組曲全体を締めくくる。
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