第2世代 1971年 - 78年
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「オールズモビル・トロネード」の記事における「第2世代 1971年 - 78年」の解説
初代とは劇的にスタイリングが変わり、トロネードは"GT"スタイルの車からより保守的な高級車分野の車へと変容した。1967-70年モデルのエルドラドのスタイリングの特徴を取り入れたトロネードはビュイック・リヴィエラよりもキャデラック・エルドラドの方に近似性を持つようになった。前輪ディスクブレーキが標準装備となり、 空力特性に優れたグリルレスのデザインを基調とするボトムブリーザー(英語版)の概念が採り入れられた新しい外観は、多くの新しい顧客を惹きつけ販売数は劇的に増加した。 ホイールベースが119インチからフルサイズのデルタ 88(Delta 88)より僅か2インチ短いだけの122インチ(3,100 mm)へ延長された'71年モデルのトロネードは全てのサイズが拡大されていた。初代のサブフレーム構造もフルサイズ車のデルタ 88やナインティエイト(Ninety-Eight)と似たフレームと別体ボディ構造に変更された。前輪のトーションバー式サスペンションは継承されたが、後輪のリーフスプリングはコイルスプリングに変更された。 455 cu inのロケットV8エンジンは標準型のトロネードのエンジンとして前モデルから引き継がれた。2代目のトロネードの導入はGMが1971年モデルに盛り込む技術指針に合致していた。全てのエンジンは、ますます厳しくなる連邦(そしてカリフォルニア州)の排気ガス規制に合致するように低オクタン価の有鉛レギュラーガソリン、低鉛または無鉛ガソリンで稼動しなければならなく、これを解決するために圧縮比を下げるといった方法に至った。これは無鉛ガソリンの使用を必須とする1975年の三元触媒の導入へ向けての第一歩であった。1971年モデルのトロネードの455 cu in (7.5 L) V8エンジンは圧縮比8.5 : 1(1970年モデルの10.5 : 1から低下)で350 hp(1970年モデルの375 hpから低下)の出力を発生した。 1972年モデルでは455エンジンの表示出力は250に落ちた。これは出力の測定方法が測定架台上で補器類を付けずにエンジン単体で測定するネット方式から全ての補器類と排気ガス浄化装置を付け車両に搭載した状態で測定する“グロス”方式へ変わったためであった。455エンジンを搭載した最後の1976年モデルのトロネードでは出力はネットで215馬力まで落ちていた。 1971- 78年モデルは、現在の米国の全ての乗用車に義務化されている2つの安全装備を使用した初期の例として特筆される。1960年代のフォード・サンダーバードが短期間似たような装置をオプションで装備したことがあるが、トロネードは初めてハイマウントストップランプを標準で装備した車であった。またトロネードは1974年から1976年モデルにかけてGM初の実験的製品でエアクッション・リストレイント・システム(Air Cushion Restraint System)と名付けられた運転席と助手席のエアバッグを装着した。これらのトロネードは運転席側のダッシュボード下側に膝あてが付き特徴のあるハンドルを備えていた。 スタイリングと技術面での注目点は、1972年モデルに磨耗を知らせる警報装置付きのディスクブレーキ、1973年モデルに縦型の尾灯と共に全国的に必須となった前部の5マイルバンパー、1974年モデルにボンネット上で直立したオーナメント、後部の5マイルバンパーとオプションで側面に固定式のオペラウインド(opera window)、1975年モデルには角型ヘッドライトが装備された。しかし、5マイルバンパーの装備に伴い、エアインテークを従来通りバンパーの下面から行うレイアウトとする為、ボトムブリーザー構造は1973年を境に、フェイスリフトを繰り返す中で段階的に廃止されていった。 第2世代のトロネードの販売期間中のほぼ全てに渡って毎年2種類の内装トリムが提供された。標準の内装トリムは布製かビニール製からの選択、前席はセンターアームレスト付きカスタムスポーツ・ベンチシートであった。オプションのブロアム(Brougham)の内装は布製のベロアかビニール製からの選択、カットパイルのカーペットやドアに装着された足元用の照明が備えられ、前席はセンターアームレスト付き60/40分割式ベンチシートであった。1971年モデルから1973年モデルにかけてのトロネードには、運転席の真正面に大きな四角の速度計、暖房/エア・コンディショナーとライト/ワイパーのスイッチを左側にラジオの操作系とシガーライターが右側に付いた他のフルサイズのオールズモビル車と似た左右に張り出した計器盤「コマンドセンター("Command Center")」を備えていた。1974年から1978年のモデルでは、横に「メッセージセンター("Message Center")」という名称の警告灯が付いた水平移動指針の速度計、燃料計と象限儀状のシフトレバーを備えた平たい計器盤(再度デルタ88とナインティエイトと共通の)で、その他の操作スイッチは前年のモデルと同じ場所にあった。 高級車に相応しくトルネードは、ターボ=ハイドラマチック変速機、可変転舵量パワーステアリング、倍力装置付き前輪ディスクブレーキと共に電気時計、カーペット、豪華なホイールカバーといった数多くの標準装備品を備えていた。実質的に全てのトルネードは、エア・コンディショナー、8トラックプレーヤー付きAM/FMカーオーディオ、トランクオープナー、ビニール張りの屋根、チルト・伸縮式ハンドル、クルーズコントロール、パワーウィンドウ、ドアの自動施錠と6ウェイ電動シートといった追加料金が必要となるオプション品を装備して販売された。パワーウインドウは1975年モデルから標準装備となった。 この世代のトルネードの末期では新たな変更はほとんどラジエターグリルや外装飾りといったスタイリング上の些細なものに限られていたが、1977年にXSとXSRというモデルが発表された。双方共に熱線入りの折り曲げ3面リアウインド(画像)を持ち、XSRはボタン1押しで内側に引き込まれる電動式Tバールーフを備えていた。しかし試作段階でXSRはこの引き込み部から排水することができず、これはこの車が雨天には容赦ない雨漏りに苛まれることを意味していた。誰もこの問題に対し有効な解決案を考え出すことができなかったらしく、僅か1台の試作車が造られただけでこの車の計画は静かに幕を閉じた。量産に入ったXSにはGMのより信頼性の高い(十分な漏水対策の施された)スライド式サンルーフのアストロルーフ(Astroroof)が提供された。 走る実験室である"XSR"試作車は、1990年代遅くにキャデラック・オートモビル誌(Collectible Automobile Magazine)により「復元された」と報じられた。 1977年モデルでは455 cu in (7.5 L)のV8エンジンは、来る政府の燃料消費率規制(CAFEという名で知られ、1978年モデルから摘要された)のために小排気量の403 cu in (6.6 L)エンジンに代替された。加えて、以前はオールズモビル車の中で最大であったデルタ88とナインティエイトが1977年モデルで小型化されたため、もう2回のモデルイヤーに渡りトルネードがオールズモビル車中で最大の車となった。1978年モデルで中型のカットラス(Cutlass)・シリーズが小型化されると自動車産業全体の小型車への流れのあおりを受けてトロネードはオールズモビル車の中で取り残され先行きは暗かった。 この世代はおそらく販売面では革新的で議論を呼んだ「舳先("boat-tail")」(画像)デザインを採用した同時期のビュイック・リヴィエラに助けられ、トロネードは当初このビュイックの従兄弟よりも販売数が多かった。しかし、逆に高価格のキャデラック・エルドラドはほとんどの年でトロネードより良く売れた。
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