立教とスポーツ
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東京六大学野球連盟に所属する野球部をはじめ、オリンピックや日本選手権など数々の大会で活躍したことから「水泳立教」と呼ばれ、日本水泳界をリードした水泳部。日本サッカーの父、デットマール・クラマーに学び、多くの日本代表と日本代表監督を輩出してきたサッカー部。全日本選手権優勝7回、全日本大学選手権優勝6回のバスケットボール部など、立教のスポーツは輝かしい歴史と伝統を持つ。アメリカンフットボール部も日本のアメフトの歴史そのものといえる由緒あるクラブであり、アメリカンフットボールの普及と1934年の東京学生アメリカンフットボール連盟設立に尽力し、「フットボールの父」と呼ばれるポール・ラッシュ博士によって創部された。ラッシュはアメリカンフットボール以外にも、多くのスポーツ振興を行うとともに、戦後の日本の復興に大きく貢献した。立教大学野球部が1931年に六大学野球リーグで初優勝した際には、野球部の米国遠征を大学体育主事であったジョージ・マーシャル教授と企画し、現地アメリカの大学との試合に加えてベーブ・ルースやルー・ゲーリックらによる歓迎会も催し、スポーツを通じた日本とアメリカの友好の架橋となった。1933年には、サッカー部の2代目部長として、チームを関東リーグ1部へ昇格に導いた。戦後まもなく、再来日したラッシュは、日本の復興には若者たちに夢や希望と生きる活力を与えるスポーツを復活させることが喫緊課題であるとし、終戦翌年の1946年に高校野球夏の甲子園大会を復活開催させている。2013年には、ラッシュを記念して池袋キャンパスにポール・ラッシュ・アスレティックセンターが完成した。 1965年には、初代法学部長で、憲法学の権威である宮澤俊義が、教授職と兼務で日本野球機構(プロ野球)コミッショナーを務めた。 立教のスポーツは長い期間、低迷する時代が続いたが、近年になってスポーツ施設が生まれ変わり、アスリート選抜入試など受け入れる制度も整い、有望な選手たちが入学し、立教大学を胸に世界と戦うための環境ができつつある。野球部は、2017年全日本大学野球選手権で1958年以来59年ぶりに4回目の優勝を飾った。陸上競技では、2018年から「箱根駅伝2024事業」が開始し、立教大学の誇りと伝統校復活のため、強化を進めている。2019年には、剣道部が、第38回全日本女子学生剣道優勝大会で全国優勝し、女子ラクロス部は、第11回ラクロス全日本大学選手権大会で全国優勝し、それぞれ創部初の快挙となった。また同年、第69回全日本学生賞典障害馬術競技大会で馬術部の杉本瑞生が創部以来初の個人優勝を果たした。2021年、プロボクシング日本女子ミニマム級で、鈴木なな子が日本チャンピオンに輝いた。日本学生自転車競技連盟主催の「全日本学生ロードレース・カップ・シリーズ2021」では、自転車競技部の中島渉が総合優勝し、同部史上初の快挙となった。2022年、レスリング部が東日本学生リーグ二部リーグで優勝し、1962年大会から61年ぶりに一部リーグ復帰を果たした。(#スポーツを参照。) 2008年には、スポーツ科学を総合的に学べるスポーツウエルネス学科がコミュニティ福祉学部に開設されている。2019年からは、同じ聖公会に属する聖路加国際大学と協定を締結し、プロ選手や日本を代表するトップアスリートの健康維持管理を医学的側面からサポートしてきた聖路加国際病院スポーツ総合医療センターの医療スタッフからスポーツにおける医療的な支援や協力を受けられる体制を整備している。2023年4月には、コミュニティ福祉学部スポーツウエルネス学科を改組し、スポーツウエルネス学部が設置予定である。 東京オリンピック・パラリンピックプロジェクト オリンピック・パラリンピックの開催を契機に、スポーツを通じて多様性を尊重する社会の実現を目指し、スポーツから得られる感動体験とともに活力をもって生きる環境と機会を生み出す教育・研究活動を推進するプロジェクト。2016年11月に発足。具体的な活動に、立教スポーツの活性化、通訳・ボランティア派遣等大会支援活動、しょうがい者スポーツボランティアの育成、競技への科学的サポートなどがある。大会がゴールではなく、活動を活性化させる契機と捉えている。ブラジルオリンピックチームとは大学の施設をトレーニングキャンプで利用する覚書を締結した。 立教大学とオリンピック 立教大学とオリンピックのつながりは古く、1924年パリ大会で、水泳部の学生が100メートル背泳ぎで6位入賞したことに始まり、1936年ベルリン大会では、水泳部の学生2名が競泳男子800m自由形リレーで世界新での金メダルを獲得した。サッカーでは、1964年東京オリンピックにサッカー部から3名の日本代表選手が出場し、次の1968年メキシコ大会でも3名の選手が活躍し、銅メダルを獲得した。その他競技も含め、立教大学からこれまで60名以上の選手を送り出し、コーチや監督といった選手を支えるスタッフとしても多くの関係者が出場している。競技以外でも、1964年(昭和39年)の東京オリンピックの選手村食堂運営に、立教大学の「ホテル研究会」の学生が携わった。 2020東京オリンピックで、池袋キャンパスに設置されたスピードクライミング壁で練習を行っていた野中生萌が、新競技となるスポーツクライミング女子複合で銀メダルを獲得した。
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