首都高速3号渋谷線
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首都高速道路 | |
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首都高速3号渋谷線![]() |
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地図 | |
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路線延長 | 11.7 km |
開通年 | 1964年 - 1971年 |
起点 | 東京都港区(谷町JCT) |
主な 経由都市 |
東京都渋谷区、目黒区 |
終点 | 東京都世田谷区(用賀出入口) |
接続する 主な道路 (記法) |
![]() ![]() E1 東名高速道路 |
■テンプレート(■ノート ■使い方) ■PJ道路 |
首都高速3号渋谷線(しゅとこうそく3ごうしぶやせん)は、東京都港区の谷町ジャンクション(JCT)で都心環状線と分岐し、同都世田谷区の用賀へ至り東名高速道路に直結する首都高速道路の路線である。アジアハイウェイ1号線「AH1」の一部を構成する。
概要
「都道首都高速3号線I期」[注釈 1]は東京都千代田区隼町(三宅坂ジャンクション) - 渋谷区道玄坂1丁目の延長6.7kmの路線であり、このうち、隼町から都道首都高速2号分岐線[注釈 2]が分かれる谷町ジャンクションまでは「首都高速都心環状線」と呼称。谷町JCTから西側を一般向けに「首都高速3号渋谷線」と呼称する。本項では「首都高速3号渋谷線」に相当する部分について説明する[1]。
歴史
1962年(昭和37年)1月20日、渋谷4丁目の青山学院大学付近の暫定出入口 - 道玄坂1丁目(渋谷出入口)付近の1.3 kmを着工。この区間は1964年(昭和39年)10月1日に開通した。谷町JCTと渋谷4丁目の間は1963年(昭和38年)に着工、1967年(昭和42年)9月2日に開通している[2]。谷町JCTから高樹町出入口付近までは、幅員20mだった放射22号線(六本木通り)を40 mに拡幅する工事と合わせて高架構造で建設された。建設中は都電が走っており、高速道路完成後は高架の下を走る予定であったが、完成時点で都電は廃止された。その名残として、高架の橋脚には都電の架線用の金具が取り付けられていた。六本木交差点と西麻布交差点(建設時は霞町交差点)の間の地下には日比谷線が通っていることから、地下鉄の構造物を地中梁で跨ぎ、上部構造では横梁を設けず橋脚で直接支える構造が採用された。西麻布交差点では、放射22号線が環状4号線(外苑西通り)をオーバーパスする陸橋と一体の二層構造となっている。その先の青山学院大学付近では、グラウンドの機能を維持するためトンネル構造が採用された。渋谷駅の前後の区間は交通の輻輳する街路や鉄道の上部を通過するため、安全でかつ交通を阻害しない工法として、プレストレスト・コンクリート橋の渋谷高架橋が、ヤジロベエのように橋脚から左右にバランスを取り桁を架設するディビダーク工法で建設された[3]。
道玄坂1丁目の渋谷出入口と用賀出入口の間は1968年(昭和43年)3月8日に着工、1971年(昭和46年)12月21日に開通した。大半の区間は放射4号線(玉川通り)上部を高架で通過する。玉川通りは道玄坂と三軒茶屋の間の幅員は40 m、三軒茶屋以西は30 mに拡幅されていたため、中間の渋谷(都心方向)・池尻(郊外方向)・三軒茶屋(都心方向)の3つの出入路はいずれも三軒茶屋以東に設けられている[4]。渋谷出入口近くで玉川通りと道玄坂通りが合流する道玄坂上交差点(建設時は上通交差点)は地形上の理由から玉川通りがアンダーパスとなり、建設省から委託を受け首都高速の高架の下部構造と一体施工された。ここから世田谷区新町1丁目交差点付近にかけては、路面電車の東急玉川線に代わり建設される東急新玉川線(2000年に東急田園都市線に改称)が地下に並行する。東急の地下トンネルの躯体を首都高速の基礎としており、同時施工の必要から下部構造の一部は東京急行電鉄(現:東急、鉄道事業は東急電鉄へ分割)に施工を委託した。一部駅舎や新町交差点付近では首都高速道路公団が東急から委託を受け施工している。用賀1丁目交差点付近から玉川通りを北に逸れ、環状8号線交差部までは用地買収区間で、この区間に用賀本線料金所が設けられている。用賀付近では強力な反対運動があり、土地買収価格を巡って最高裁判所まで争われたが、首都高速道路公団の主張が認められている[5]。
年表
- 1964年(昭和39年)10月1日 : 渋谷4丁目(暫定出入口) - 渋谷出入口開通。
- 1967年(昭和42年)9月2日 : 谷町JCT - 渋谷4丁目(暫定出入口)開通。
- 1971年(昭和46年)12月21日 : 渋谷出入口 - 用賀開通により全線開通[6]。同時に東名高速道路と接続。
- 2010年(平成22年)3月28日 : 大橋JCT供用開始により中央環状線新宿線と接続。
- 2014年(平成26年)3月20日 :渋谷出入口付近で火災発生。上りは大橋JCTと高樹町の間、下りは谷町JCTと大橋JCTの間で通行止め。
- 2015年(平成27年)3月7日 : 大橋JCTで中央環状品川線と接続。
- 2019年(令和元年)12月19日 : 渋谷入口(用賀・東名方面) 供用開始[7]。
路線番号
3
出入口など
- 出入口番号欄の背景色が■である部分については道路が供用済みの区間を示している。
- 全線東京都内に所在。
- 渋谷出入口を除く4つの出入口はハーフインターチェンジとなっている。用賀出入口の逆方向には、東名高速道路のインターチェンジとして東京インターチェンジがある。
出入口 番号 |
施設名 | 接続路線名 | 起点 から (km) |
備考 | 所在地 |
---|---|---|---|---|---|
- | 谷町JCT | ![]() |
0.0 | 港区 | |
301 | 高樹町出入口 | 六本木通り | 1.7 | 谷町方面出入口 | |
302 | 渋谷出入口 | 3.2 | 用賀・東名方面出入口 | 渋谷区 | |
303 | 国道246号玉川通り | 4.2 | 谷町方面出入口 | ||
- | 大橋JCT | ![]() |
5.0 | 目黒区 | |
304 | 池尻出入口 | 国道246号玉川通り | 5.6 | 用賀・東名方面出入口 | |
世田谷区 | |||||
305 | 三軒茶屋出入口 | 6.0 | 谷町方面出入口 | ||
- | 用賀PA 用賀TB |
- | 11.3 | 谷町方面 | |
307 | 用賀出入口 | 環八通り | 11.7 | 谷町方面出入口 | |
E1 東名高速道路 静岡・名古屋・名神京都・大阪方面 |
交通量
24時間交通量(台) 道路交通センサス
区間 | 平成17(2005)年度 | 平成22(2010)年度 | 平成27(2015)年度 | 令和3(2021)年度 |
---|---|---|---|---|
谷町JCT - 高樹町出入口 | 98,145 | 86,981 | 79,862 | 75,898 |
高樹町出入口 - 渋谷出入口 | 98,145 | 79,210 | 71,273 | 67,142 |
渋谷出入口 - 大橋JCT | 98,145 | 75,636 | 66,742 | 62,442 |
大橋JCT - 池尻出入口 | 98,145 | 106,584 | 108,193 | 99,114 |
池尻出入口 - 三軒茶屋出入口 | 98,145 | 118,110 | 117,498 | 107,990 |
三軒茶屋出入口 - 用賀出入口 | 98,145 | 105,691 | 105,308 | 94,702 |
(出典:「平成22年度道路交通センサス」・「平成27年度全国道路・街路交通情勢調査」・「令和3年度全国道路・街路交通情勢調査」(国土交通省ホームページ)より一部データを抜粋して作成)
ギャラリー
-
谷町JCT付近
-
六本木から高樹町出入口および渋谷出入口方向を望む
-
高樹町出入口付近
(骨董通り) -
国道246号と併走する首都高速3号渋谷線(渋谷付近)
-
三軒茶屋入口
-
東名高速道路と首都高速3号渋谷線の境界付近
脚注
注釈
- ^ 法定路線名であり、首都高速3号渋谷線の起終点とは異なる
- ^ 法定路線名であり、首都高速2号目黒線の起終点とは異なる。谷町JCT - 一ノ橋ジャンクション間は首都高速都心環状線と呼称
出典
参考文献
- 首都高速道路公団『首都高速道路公団20年史』1979年6月17日。
関連項目
外部リンク
渋谷線
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渋32:渋谷駅 → 大橋 → 三宿 → 下馬一丁目 → 下馬営業所 → 野沢龍雲寺 → 渋谷駅 渋32:渋谷駅 → 大橋 → 三宿 → 下馬一丁目 → 下馬営業所 → 野沢龍雲寺 → 下馬営業所(深夜バス) 渋33:渋谷駅 - 大橋 - 三宿 - 下馬営業所 - 都立大学駅前 - 奥沢駅 - 雪が谷 - 多摩川駅(瀬田と共管) 渋34:渋谷駅 - 大橋 - 三宿 - 下馬営業所 - 都立大学駅北口 - 東京医療センター 渋34:渋谷駅 - 大橋 - 三宿 - 下馬営業所 渋34:下馬営業所 - 都立大学駅北口 - 東京医療センター 多摩01 東京医療センター - 都立大学駅前 - 緑ヶ丘駅 - 雪が谷 - 多摩川駅 詳細は「東急バス淡島営業所#渋谷線」および「東急バス瀬田営業所#雪が谷線」を参照 1959年5月1日に渋谷駅 - 都立大学 - 雪が谷 - 下丸子 - 池上駅 - 大森駅の運行が開始(のちに大森操車所まで延長)されたのが始まりで、当時は淡島・池上が担当した。ただし、これ以前に池上担当で大森駅 - 雪が谷を結ぶ路線があり、渋谷線はこれを延長する形で成立している。この経緯から、池上側より渋谷へ向かう路線ということで「渋谷線」の線名が付いた。その後、定時性の低下に伴う長距離路線分断の流れの中で、1981年5月26日に渋谷駅 - 丸子橋(淡島が担当し、渋谷線の線名と渋33の系統番号を継承)と田園調布駅 - 大森操車所(池上担当、森10)に分割された。 詳細は「東急バス池上営業所#下丸子線(2代)」を参照 なお、渋33の北側は三宿線(渋31)・下馬線(渋32)などの並行路線があり、南側は東急電鉄の路線がすぐ近くを走っていることから渋33の独自性は低く、1988年に渋34(渋谷駅 - 都立大学駅北口、都立大学駅北口付近は右回り経路)が運行を開始し、更なる運用効率化が図られた。1989年(平成元年)12月16日、丸子橋折返所の廃止に伴い渋33の発着が多摩川園(現・多摩川駅)に変更され、1999年8月24日をもって下馬に移管され、東急トランセへの委託路線となった。 2002年10月16日には、トランセ委託後初の大規模な改正があり、多摩川駅からの折り返し便に相当する多摩01が運行を開始、渋34も発着点が東京医療センターに変更された。これにより、渋谷駅 - 多摩川駅を通し運行する渋33は朝のみの運行に縮小されている。 2003年6月16日のダイヤ改正により、渋32の深夜バスが新設され、深夜バスおよびその直前の便を下馬が受け持つようになった。 2011年3月1日のダイヤ改正では渋33が平日のみの運転となり、渋33の一部と多摩01が瀬田に移管されて雪が谷線に変更された(その後、渋33系統は2018年2月28日をもって廃止)。 2014年9月1日のダイヤ改正で、淡島営業所の担当に戻された。 ちなみに、雪が谷と大森駅の間には渋谷線とは別に、池上営業所と京浜急行電鉄(現・羽田京急バス)の共管路線、空港線(園11)が存在した。空港線の運行ルートは洗足池 - 大田区役所前(現・大田文化の森)が池上単独の大森線(森05)と重複し、洗足池では乗客を載せたままバス転回所で折り返していた。東急が撤退し共同運行を解消した後も京急はそのまま園11として運行を継続。1993年(平成5年)には羽田空港国内線ターミナルが移転するも国際線ビル打ち切りで残ったが、1998年(平成10年)、大田区役所の蒲田駅前移転で存続の意味を失ったとして廃止された。 詳細は「東急バス池上営業所#空港線」および「京浜急行バス羽田営業所#1990年代以降に廃止された系統」を参照
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