東83系統
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 14:27 UTC 版)
(139甲→)東83:東京駅南口 - 都庁前(現・東京国際フォーラム) - 内幸町 - 霞ヶ関 - 溜池 - 六本木 - 西麻布 - 青山車庫 - 渋谷駅 - 大橋 - 三宿 - 三軒茶屋 - 駒沢 - 桜新町 - 桜新町操車場 (139乙→)東83:東京駅南口 - 都庁前 - 内幸町 - 霞ヶ関 -(首都高速道路都心環状線・首都高速3号線)- 三軒茶屋 - 駒沢 - 桜新町 - 桜新町操車場(東京急行電鉄弦巻営業所・瀬田営業所・駒沢営業所と共同運行) 1967年(昭和42年)12月、その3か月前に開通したばかりの首都高速道路3号渋谷線を使った都心と郊外を結ぶ新しい通勤手段として、平日の朝の下りと夕方の上りを一般道路経由とした甲、平日の朝上りと夕方下りを高速道路経由とした乙139系統が設定された。東京急行電鉄との共管路線で、東急では「高速渋谷線」と呼称した。 当時は路面電車の東急玉川線が2年後の廃止を控えており、東急新玉川線が開通するまでの間、東急バスと共に活躍した。 詳細は「東急田園都市線#新玉川線の建設」を参照 このためパートナーの東京急行では、世田谷区内にあった駒沢・瀬田・弦巻の3営業所が共同運行に参加するという取り組みがなされた。東急バスにおいて、1路線を3つの営業所が共管したのは、後にも先にもこの路線だけである。なお両経路共に日曜・祭日は運休であった。 「東急バス弦巻営業所#高速渋谷線」および「東急バス駒沢営業所#高速渋谷線」も参照 しかし、玉川通りの慢性的な渋滞に悩まされた上、1977年(昭和52年)4月7日の新玉川線の開通で利用客が次第に低下したため、第2次再建計画を乗り切ったものの追加再編で存廃整理の対象となる。東急も玉電代替や都営共管路線の縮小を進めていたため、都営・東急が同時に営業を取りやめることになり、1979年(昭和54年)11月22日限りで廃止された。
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