法の華 創立後
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1980年1月6日深夜、天声を聞いたとして、法の華を創立した。検察の主張によると福永の実母が「輝(てる)ちゃんに特別な声がきこえるという事で活動しよう」と持ちかけたことで発足したとされるが、裁判では福永本人は否定している。 1月6日深夜2時の天声とは、以下のような内容であった。 「このままでは人類は行き詰まり、政治でも経済でも医学でも道徳でも科学でも救われない。今こそ、大自然を生かし続けている力、そのものが天と定まり、釈迦、キリストに続いて最後の救済者、法源を誕生させた。法源の法とは天地の法則にある法、源とは生活の中での人間になる姿、よってこの地上に生かされている人間は元々、人間法源なり。目に見えないものを見よ、耳に聞けないものを聞け、成(い)かされ成かす法源(ちから)を発見せよ。人間とは何か、人間が人間として生きる基本は何か、人生を歩むうえで一番大切なことは何か、人間は元々喜びの表現体である。これすべて天声なり、法源よ、お前は天のパイプ役である、天声を聞きそのまま人々に伝える役目が法源としての人生の使命だ」 天声「白い紙を30枚束ね、それをクリップで3か所とめよ。それを人々に配れ。観(おも)いの定めは3500円以上」 この天声を聞いた時には、正直、天声の意のままに動くしかないと決めていた法源は首をひねった。白い紙を30枚束ねただけのものが、果たして3500円以上で売れるのか、3日間その天声には従わないでいた。白い紙は一応購入したものの、それを束ねることはしなかった。ところが、すぐに次の天声が響き渡った。「お前は何をやっているんだ!早くしなさい」法源は天声に急き立てられ、白い紙を急いで30枚ずつ急いで束ね、3か所クリップで止めた。しかしそれだけではどう見ても体裁が悪く思え、表紙らしく見える厚紙を上に付けてみた。それが天法力三法行の原型であった。 ある日、税理士の行者が会わせたい人がいる、と言って法源の下を訪ねてきた。法源は当時、名刺などは持っておらず、代わりにその三法行を持参していた。それをテーブルの上に置き、相手の来るのを待った。訪問者が現れ法源の前に腰かけた。彼は当時、インド哲学、仏教研究の国際的権威である高名な教授だった。教授はテーブル上のその紙の束に興味を示し、「それなんですか」と聞いたので、法源は内心冷や冷やしながら差し出すと教授はそれをパラパラめくり、しきりに唸り、「一体全体、これは誰が作られたのですか?」と聞いた。その本を綴ったのは確かに法源だったが、作れと示したのは天声であったため法源は思わず「天声です。すみません」と答えた。教授はもう一度念を押すように「天声って、本当に誰が作ったのですか。これは釈迦がいちばん解けなかったことが現れてるんですよ。何も書いていない紙が必要なんです」と言って盛んにそれをめくった。法源はその言葉に面くらい「それはどういうことでしょうか」と問い返したところ、教授は分かりやすく丁寧に説明した。「書いてあるものを読むだけでは頭に入るだけである。ところが何も書いていないから、自分で書くしかない。書けば身に付く。これが行というものですよ」と答えた。「それは」と教授は一瞬言葉を止めたのち、さらにこう続けた「有るようでない。無いようである。これが空の世界なんです。まさにこれは釈迦が説きたかった世界の実態なのです」。法源は説明を聞きながら誇らしさを感じていたという。しかし、それをやらせたのは天声であったため、法源は天声に従って、三法行を作ったことを伝えた。「天声ですか」と教授は少し訝しげにつぶやいた。法源は天声を受けたこと、授かった天行力のこと、三法行のことなどを懸命に伝えた。それを聞いた教授は、しっかりと頷きながら、「瞑想も、写経も、読経も越えたものだ」と説明した。法源は天声の奥深さに身震いし、自分の中に三法行が実感として広がるのを感じた。 法源誕生から3年目を迎えたある日の天声 天声「今から『七勧行』を授ける。『七』とは成るである。七観行は、人間本来の生活を示したものである。」 続いて七観行が伝えられたが以下のような内容であったという。 一、健康にあふれた楽しい毎日です。 二、家族全員がゆたかで明るい毎日です。 三、希望にみちあふれた繁栄一筋の毎日です。 四、よろこびがいっぱいの毎日です。 五、感謝にみちた幸せな毎日です。 六、いつも楽しく三法行をやらせていただく毎日です。 七、親切あふれた生かしあいゆるしあう毎日です。 読み終えた法源は幼稚だと感じた。分かり切った言葉しか並んでいない。しかし真理とは案外簡単なことなのだ、法源は腹の底から喜びの思いが突き上げてくるのを感じ、感謝と喜びが無限に湧くのを実感したのだという。 天声「人間とは何かが書かれている最高の知恵の言葉である『般若心経』は願って、求めて、頼って唱えるのではただ頭で知っただけの心のお経『心経』だが、願わず、求めず、頼らず、やることで『心行』となる。それをただ繰り返すことで、大自然のリズムに自分が調和するようになってくる。つまり願わず、求めず、頼らず、ただやった時に本当の行として心のお経『般若心行』が最終的に『般若天行』になり、生活に答えが出る。これが般若心経を実践できたということであり、このときには首から下の本当の知恵が出てくる。つまり生活に答えを出すことができるようになっているのである」 1984年6月、「天声を聞く唯一の者」として埼玉県川口市で億万長者養成所というセミナーを開催した。億万長者を養成するとの研修で一般に知名度を高めた。1987年、静岡県で宗教法人の認可を受けた。1991年ころに「足裏診断」という相談者の足の裏をみて教団へ勧誘することが本格化し、2000年の逮捕時に判明した分だけで、約2万2,000人から約870億円を集金した。 1995年、平和活動への貢献に対しガンディー記念国際財団(Gandhi Memorial International Foundation)からマハトマ・ガンディー人道賞が授与された。その後、賞を贈ったヨーゲシ・ガンディーは郵便詐欺の疑いで米国で起訴されたが、その公判資料によると、福永が集めた金を日本の健康食品界の大物タナカ・ヨシオを通じてガンディーに送金し、ガンディーはその金で政界の大物に近づき、福永の権威付けに利用し、福永の布教活動の米国進出をもくろんでいたが、1990年代中ごろから福永が日本で訴訟を多数抱えるようになったことからこの計画は頓挫し、3者の間での訴訟合戦に発展したという。
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