永隆寺
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永隆寺 | |
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所在地 | 東京都世田谷区北烏山4-17-1 |
位置 | 北緯35度40分44.9秒 東経139度35分44.4秒座標: 北緯35度40分44.9秒 東経139度35分44.4秒 |
山号 | 春陽山 |
宗派 | 法華宗本門流 |
創建年 | 不明(江戸時代) |
開基 | 利玄院日義 |
公式HP | 法華宗本門流 春陽山永隆寺 |
法人番号 | 1010905000126 ![]() |
永隆寺(えいりゅうじ)は、東京都世田谷区北烏山にある法華宗本門流の寺院。山号は春陽山。大本山本能寺末。境内には三遊亭圓生の碑がある。「烏山寺町」を構成する26の寺院の1つである。
歴史
慶長17年(1612年)、徳川家康の囲碁の師であった利玄院日義が家康より神田加治橋に寺領を拝領し、開基となって創建した[1]。養珠院から神保大黒天も拝領している。
寛永年間(1624年 - 1643年)に谷中清水町に移転、次いで元禄4年(1691年)に本所出村(現在の墨田区太平町)に移転、関東大震災後の昭和3年(1928年)に現在地へ移転した[1]。
本所時代に度々洪水に遭い、須弥壇まで水に浸かったため、多くの古文書が流出し、詳細な記録を失っている[2]。
歴代
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- 利玄院日義
- 木下信隆
境内
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- 本堂
- 山門
- 庫裡
- 鶏塚
交通
脚注
参考文献
- 『せたがや社寺と史跡』
- 『東京名所図会』
- 世田谷区 編『小学生の烏山寺町あんない 付 世田谷の社寺と遺宝その2』世田谷区、1978年
- 竹内秀雄 著『世田谷区史跡散歩 (東京史跡ガイド12)』学生社、1992年
関連項目
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永隆寺(えいりゅうじ・地図)
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「烏山寺町」の記事における「永隆寺(えいりゅうじ・地図)」の解説
法華宗本門流に属し、本山は本能寺、山号を「春陽山」という。開基の日義は徳川家康の囲碁の師匠だったといい、家康から神田鍛冶橋に土地を拝領してこの寺院を創立した。その後谷中清水町、本所出村と移転を重ね、関東大震災後の1928年(昭和3年)に烏山の現在地に移転するまでの237年間、本所太平町にあった。本所太平町の旧地は地盤が低くてしばしば水害に遭い、古記録などを失ったという。所在地は北烏山4-17-1。
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